麻布抹茶

天使の抹茶ラテと悪魔の落書き㉗

【終わりの始まりⅧ】

 車を降りた僕等を迎えたのは眉毛の濃い初老の男だった。
怪訝な表情がポルシェのヘッドライトに歪んでいる。
「やっぱり……タクローさんじゃないですか! どうしてこんな所に……」
事情をどうやって説明しようか考えていた裕也は驚いてタクローを見る。
「やぁやぁ。偶然!」タクローは裕也を見て、失礼にも初老の男性に指を向けて言う「モルシェくれた人」
男性は裕也を一瞥するも、タクローへ近づいた。一応頭を下げた裕也は無視された。頭を上げた裕也が男性を見て再び驚いたのは、高そうな毛皮のコート姿だったからでも、この寒い中大きく開けた胸元から入れ墨が見えたからでも、男の頭がハゲていたからでもない。
「いったいどうされました? どうやってここに?」
「案内されてきたんだー」

男はなぜか言葉をなくす。妙な沈黙に乗って、海の匂いがする事に気付く。
「誰に案内を……」
そう言って、男が僕を見た。男が僕の顔を見た。足がすくむ。
「僕じゃなくて……ある人に頼まれてきました」
鋭い眼光から逃げようにトキエの姿を探す。が、車の中にトキエの姿は無かった。
「あれ?」
「誰に頼まれてきた小僧。関之尾組か?」
関之尾組という名前に心当たりは無かったが、ここでトキエの名前を出すのは自分の役目ではないと思った。あくまでもトキエ本人が言う事に意味があるような気がした。
「いったい何の用だ?」
復讐。とトキエは言っていた。
言葉を返せないまま裕也は思う。穏やかではない言葉ではあるが、トキエの願いはその二文字にこそあるのではないだろうか。

 自分が何故死んだのか、もし殺したのがこの男であれば。復讐という大義名分で、ともするとこの男に逢えるから。

 そんな気がしたのは裕也の仕事場があったあのマンションですれ違っていた幸夫と友美の事があったからだろう。どんなに想い合っていても、伝わらなければ伝わらない。
 でも、もし伝える事ができるなら、伝わる事のない想いを伝えられたなら、悲しみも憎しみさえも温かい感情に変える事が出来るかもしれない。
「用があるのは僕ではありません。この場所にゆかりのあるあなたの大事な人をつれて来ました」
男をまっすぐに見据えて裕也はいった。その男の後ろにトキエは立っていた。右手に拳銃を構えて。
後ろに気配を感じたのだろう。男が振り返ってその姿をみる。
おそらく生前のトキエとは顔の全然違う女性を見る。
「時恵か! 時恵か!?」
返事をしようと口を開きかけたトキエが何かに気付いた様子で怪訝な表情を見せる。裕也が驚いた理由と同じだと思う。男の背中には血まみれのもう一人の男がしがみついていた。
トキエが返答を求めるように裕也を見てきた。いや僕を見られても……
「時恵! 俺だ! 昭吾だ!」
血まみれの男は男にしがみつきながら頭をゆらゆらと揺らしている。
その様子はなんとも怖々しい幽霊の動きに見えて不気味だった。
「時恵!」
「うるさいわね! わかってるわよ!」

トキエが叫ぶ。拳銃を力強く握ったのがこちらからでもわかった。
「トキエさんダメだ! あなたは話しをしないといけない!」
裕也も叫ぶ「せっかく話しができるんだ。ようやく伝える事ができるんだ。どんな想いであれ、伝える事をやめちゃいけない」
「解ってる……でも……なんで……なんであんたが……栄二がそこに居るのよ!」

初老の男の背中でゆらりゆらりと動く頭がぴたりと止まった。


  【大河原昭吾】

「栄二?」
時恵が泣きそうな顔で言った。時恵といっても姿形は全く違う。服装はなんとなく生前の時恵が着そうな装いだったが、例え雰囲気がどれだけ違おうが、俺には解っただろう。目の前の女は時恵だ。タクローのポルシェのヘッドライトが俺達を照らす。あの車が今ここにあるという事は、爆破には失敗したのだろう。それは結果良かったのだろう。タクローがどういた経緯で時恵と接点を持ったのかは解らないが、時恵を連れてきてくれたのだ。
「栄二……森村栄二か?」
俺は時恵に問う。
「なんで……昭吾が名前を知ってるの!?」
ああ。時恵だ。いや、元々確信していたが、時恵のその反応に体が理解する。死んだ人間は二度と現れないという常識の壁が消え去る。
それと同時に目頭が熱くなる。一年前のあの朝、時恵をちゃんと抱きとめてあげられなかった事を謝る事が出来る。時恵に触れる事ができる。
「お前を殺した男を俺が調べない訳なかろう」
「え?」

時恵が俺から目をそらす。いや。そらしたというより俺のすぐ後ろを見たように見えた。俺は振り向くが、そこにはタクローのポルシェしかなかった。
「ここに、いるのか?」
俺は時恵に聞く。だが時恵からは返事がなかった。下を向いてしまう。バツが悪くなったとき下を向くのは生前からの癖だった。仕方なく俺はタクローを見たが、タクローはニヤニヤしながら見ているだけだった。
「いますよ。血まみれであなたの背中にしがみついています」
そう言ったのはタクローと主に車から降りてきた男だった。何者だか解らないがはっきりとした口調で俺に言う。先ほどの時恵の視線から見ても、嘘という訳ではないだろう。
「なにぃ!?」
俺は背中の方に睨みをきかせる。
「あ、逆です」
男が言う。仕方なく逆へ向き直り、睨む。そこには何もないが、居るのなら何度でも殺してやる。時恵を殺したこの男だけは何度殺しても殺し足りない。
「どういう事なの? あたしを殺したのは昭吾じゃないの? 栄二なの? もう意味解んないよ……」
俺は時恵をまっすぐに見て答えた。
「なんで俺がお前を。解らないなら何でも聞け時恵。何でも答えてやる。もう一度話しをしよう」
時恵が俺を見る。拳銃はこちら狙いを定めたままだ。
「俺を撃って落ち着くことができるなら撃て」俺は努めて優しく言う。顔が怖いから話し方は優しくするように心がけなさい、と時恵に注意されたものだ「今度こそ俺にお前を受け止めさせてくれ」例えそれが弾丸だろうと受け止めてやるさ。
「トキエさん。背中の人はたぶんもうダメです。さっきの家族と同じだ」
後ろから声がしたが、俺は時恵だけを見ていた。そのまま長く沈黙が続いた。タクローも男も何も言わない。成り行きを、俺と時恵の行く末を待ってくれているようだった。やがて、諦めたように時恵が口を開く。
「腕疲れちゃった」
そういうと笑って銃を降ろした。
「意外と重いだろう?」
「うん」
「……聞きたい事聞け」

少し逡巡するように、おそるおそる、時恵は聞いてきてくれた。
「……私、栄二に殺されたの?」
「そうだ」
俺は以前タクローの力を使い調べあげた事を思い出す「元々はその男が……俺を殺す為にお前を近づけたんだったな」
時恵の驚いた表情が愛おしい。
「そんな事まで知っていたの?」
「後から知ったんだ」
「そっか。……私、逆恨みもいいところだね」

時恵が再び下を向く。
「でも、私は逆恨みのつもりじゃなかったんだぁ」
声が滲むように、冷たい風に凍えるように震えた声で言った。
「解ってる」
想いは同じだった。時恵は、俺を殺せなかった。俺と生きていく道を選んだ。それを森村栄二は許さなかった。
「昭吾と一緒に居たかったんだぁ」
時恵の目から涙が溢れている。顔が違うが、俺の目には生前の時恵の顔がありありと重なっていた。
「解ってる」
時恵に近づいて抱きしめた。途端に時恵が泣き崩れる。俺はその体をしっかりと抱きとめた。
「昭吾に……裏切られたと思って……信じられなくてごめんなさい」
「何を言う。そう思わせたのは俺だ。……悪かった」

時恵はほとんど悲鳴に聞こえるような声で、何度も謝っていた。
「ごめんなさい」
抱きしめる。
「ごめんなさい」
頭を撫でる。
「ごめんなさい」
顔を両手で包む。
「ごめんなさい」
涙を指で拭う。
「ごめんなさい」
抱きしめる。
「ごめんなさい」
頭を撫でる。

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