桜漂流記用

桜漂流記 16

    『康広』

 今思えば、俺たちはいつも桜の木と会話していた。会話といっても、たまに陽太や洋子がふざけて桜の台詞を勝手に代弁するので、それに対して返答したりする程度だったが。そんな遊びの中での会話だが、俺は本当に会話している気になっていた。不思議と一度も『木』として接した記憶はなかった。どこか気持ちの通じ合う『友達』みたいな感覚で接していた。それは他の三人も同じだと思う。

 その日俺は、楽しくもない博打で大負けして、やけ酒を飲み家へ帰ろうとした。

 帰る途中、駅前の花屋を通った。まだ営業しているようだったので花束を買った。花なんかまったく詳しくないので適当に見繕った。店員が花を束ねている間に、近くのコンビニで缶ビールを二つ買う。そして、花束を受け取り普段はなるべく避けるようにしている場所へと向かった。

洋子が死んだ場所だ。事故直後。現場は悲惨極まりない状況だったらしい。

 洋子の葬式の後、一人でファミレスに入り飯を食べている時、隣の席で、現場にいたという目撃者が事故の状況を喋っているのを聞いてしまった。

喜々として喋り続けるその目撃者を、俺は本当に殺してやろうと思い殴りかかったのだが、相手が女だと思い直し、一発思いっきり殴って店を出た。

 知りたくなかった。

店から出て家に帰る途中で食べたものを吐いた。目から涙が出ていたのは嘔吐だけが原因ではなかった。クソ女が喋っていたのが本当なら、その悲惨な洋子の最後を 一番近くで見ていたのは仁美なのだ。


 洋子は赤信号を無視してきた大型のトラックに一度突き飛ばされ、何回か回転してうつぶせに倒れた。ちょうどトラックに頭を向ける形となった。そしてスピードを緩めたそのトラックの前輪で頭を砕かれた。パンという破裂音がして、ピンク色の何かがタイヤと地面の設置部分からはみ出てきた。痙攣している体が前輪に踏まれていき、その後後輪に踏まれている途中で、タイヤとタイヤに巻き込まれた体が、後輪と車の隙間で潰され始めた。

 ようやくトラックが止まった時、体はボロボロになり、一目では人だったと判別できない状態だった。そしてタイヤの隙間から飛び出した手が揺れていた。

「気持ち悪い」「スゲー」「見たかった」

悪魔のような言葉と、耳障りな笑い声交じりに聞いた一部始終だ。

 仁美は事故の後から姿を見せない。電話にも出ない。心配になり、陽太と仁美の家に行ったのだが、会うことは出来なかった。仁美のお母さんが目に涙を浮かべながら、ふさぎ込んで一 言も言葉を発そうとしない仁美の様子を教えてくれた。

 無理もない。そして仁美の事だ。自分を責めているに違いない。俺と陽太は時間があれば仁美の家に行った。けれど、一度も会うことは出来なかった。なす術のない俺は、仁美が変な気を起こさない事を願っていた。

 事故現場になった交差点の隅にいくつかの花束が置かれていた。買ってきた花束をその上に置く。コンビニの袋からビールを取り出した。プルトップを引く。その音に、桜の下で婚約を祝った時の事が思い出された

「これはお前の分だ」

想像の中の洋子にそう言って、今置いた花束の傍らに缶を置く。時間帯のせいもあってか、道路を通る車の数はまばらだった。

自分の分のビールを開けて、乾いた喉に流し込む。意識はしっかりしているが、思いのほか酔っているのだろう。涙が溢れてきた。

 洋子の婚約者はどうしているだろう? 

陽太が洋子の家まで連れてきたのを見ていたが、葬儀が始まってから姿が見えなくなったので気になっていた。その場に座り込む。そういえばあれから桜の木にも会いに行ってない。

 桜……あいつにも知らせないと。

洋子は死んだぞ。もうこの世のどこにも居ないんだぞ。

そう伝えないと……

 最近涙脆くなっているのだろうか……温かい涙が流れ出す。俺は涙を塞き止めるように強く目を瞑った。こんな所、陽太に 見られたら間違いなくからかわれるだろうな……と思って目を開けた時、目の前は真っ暗だった。

 しばらく動けなかった。あまりのことに頭が対応していなかった。体が動かせるようになったとき、辺りが真っ暗ではないということに気付いた。上を見ると満月が見えた。

大きくて、とても深い穴の中に居ることを知った。正座のような状態で顔を地面に突っ伏している陽太と、倒れている男の姿を確認したのはそのすぐ直後だった。

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