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「頭がいい」とはどういうことか?
「頭がいい」
この言葉を昔からよく耳にする。ただ、この言葉がどうも苦手だった。なぜかと言えば、よく実態をつかめない感覚になるからだ。
「頭がいい」
この言葉は総合的(synthetic)な印象として用いることが多い。つまり、誰かを評価する際に用いる割には、分析的(analytic)なものではないのだ。なんとなく「頭がいい」と言いたくなるのだ。
僕は「頭がいい」という言葉自体は苦手だけども、「頭が良くなりたいですか」と聞かれたら、「Yes」と回答するように思う。そうなると、ますますわからなくなってくる。どうしてよく分かっていない言葉なのに、自分の意思や欲求がそこに乗っかってくるのだろう…。
頭が良くなりたいと思った感覚を一つ一つ言葉にしてみよう。そうすることで、何かヒントが見えてくるかもしれない。
自分が持っている欲求なり本能的な衝動の一つに、「知的好奇心」がある。
よくわからないけど、知的好奇心が他の人より大きい。もちろん、世界の人たちを一斉に徒競走やテストのようにして、最上位から最下位までランクづけしたときに、誰にも負けないとは思っていない。ただ、これまでの実感として、なぜか他の人よりも「何かを知りたい」とか、「気になってしょうがない」とか、「ついつい考え続けてしまう」とかの程度が大きいように思うのだ。
頭が良くなりたいことの一つには、「何かをもっと知りたい」という「知的好奇心」を持ち続けたい、豊かにしたいという思いがあるように思う。そうなると、「頭がいい」ことの一つには、「知的好奇心が豊富である」ということが含まれるだろう。
じゃあ、それで定義としては完了だろうか。なんか違う気がする。「頭がいい」という言葉そのものが評価の要素を持っているのだとしたら、その人の持っているエネルギーというか内燃機関(エンジン)のようなものだけで意味が完結してはおかしいことになる。必ず、他者との関わりを意味することがあるだろう。
他者から見て、ある人を「頭がいい」と言うのであれば、他者に対する当人の何かしらの遂行(パフォーマンス)があることになる。それは、知的貢献と言ってもよいかもしれない。
僕は他者との関わりを考えても、頭が良くなりたいと思う。そこには、誰かの役に立ちたいとか、誰かと一緒にアイデアを膨らませたいとか、誰かにとってすっきりするような説明をしたいといったことが含まれている。
なかなかこれらのことを端的に表現するのは難しいが、一言で言えば「有意味な説明あるいは示唆を届けること」になる。「有意味(sense)」は「文脈」とも訳されて、連鎖的なもの、つまり他者との関係を表すことにもつながる。そのような関係の中で何かしらの理解や発見が生じている。
こうやって頭がよくなりたいと少しでも思ったときのことを考えてみると、「頭がいい」という言葉に含まれる自分が意味を見出せる部分が少しずつだが見えてくる。
今までの内容を踏まえるなら、「頭がいい」というのは、なんだか植物の栄養を蓄えることや他の存在に栄養を届ける、循環作用と近い気がしてくる。
「いい木を育てる」ということが、「頭がいい」を示すのに良い表現なのかもしれない。少なくとも、自分のイメージの中では、以前のなんとなくの印象として用いられていた評価よりも、しっくりくる。つまり、自分にとって意味(sense)がある。
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