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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

ウマ娘のアニメを見て泣いてしまったおじさんの話


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始まりはゴルシ

少し前からツイッターのTLに「ゴールドシップ」「ゴルシ」というワードが頻繁に流れてくるようになった。

ファンアートで描かれる彼女は、時には長い銀髪をたなびかせる完全無欠の美女として、そして時には変顔や奇行を連発する面白ちゃんとして描かれていた。

気になって「ゴルシ」で検索したところ、アニメやゲームの画像が数点ヒットした。

「ふーん、おもしれー女、、、」

どころの話ではなかった。

画面の中の彼女はワケの分からない奇行を連発していた。

つっこむ言葉もみつからない別次元のボケのオンパレードだった。

何なんだコイツ、、、!とドン引きしながらも、何故か目が離せない不思議な魅力がある


一応知らない人のためにザックリ説明すると、

このゴルシは「ウマ娘」という作品のキャラクターで、「ウマ娘」は実在の競走馬を擬人化したウマ娘たちが熱いレースを繰り広げる、というゲームおよびアニメ作品である。

このゴルシのモデルになったゴールドシップは見た目は美しい白馬だが非常に奇行の多い馬として知られており、それが擬人化されたゴルシにもバッチリ引き継がれた結果、

立てば爆薬 座れば漫談 歩く姿はほぼロデオ

馬馬馬ー馬・馬ー馬馬

など、ネット上には彼女を秀逸に表現する面白ワードが溢れ、多くのファンを獲得したようだった。

自分もそんなゴルシの魅力に引き寄せられたファンの1人だ。


少しだけまじめな話をすると、自分にとってこのゴルシというキャラクターは、最近の漫画やアニメに漫然と感じていた

「メタ(出版社・声優いじり)とかパロディ(他作品いじり)に頼らない笑いって、もう無理なの?」

人を揶揄する笑いが駆逐されることは素晴らしいけど、その後に残った笑いってこれだけなの?

というモヤモヤをぶっとばしてくれた存在でもある

彼女が生み出す笑いはメタでもパロでもない、もちろん人の悪口でもない。

小学生の頃に読んだコロコロコミックの中に溢れていたような、幼稚で意味不明で最高の笑いだった。

もちろん作中にはパロディやメタを使う笑いも沢山ちりばめられているけど、使わなくても笑いをとれるという規格外の存在、それがゴルシというキャラクターだった。

アニメの主人公はゴルシではないけど、自分を楽しませてくれた「ウマ娘」という作品に出会ったキッカケは彼女だ。

忘れないようにここに書いておこうと思った。

なんか、1000文字後に死ぬフラグみたいになってしまった。



これより下はアニメ本編の感想です。

ネタバレが沢山あるのでアニメ未試聴の方はご注意ください。



アニメ「ウマ娘 プリティーダービー」

一期の主人公はスペシャルウィーク、通称スペちゃん

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雄大なド田舎、北海道から上京した明るく元気な彼女が、「日本一のウマ娘」という目標に向かい、憧れの先輩や仲間と共に夢の舞台を駆け上がるという王道なストーリー

明るく元気で食いしん坊でドジっ子天然、そんなスペちゃんが愉快な仲間に囲まれてひたむきに努力し、そしてレースでも快進撃を続ける。

THE・王道なヒロインのキャラと物語の滑り出しだ。

(ちなみにゴルシはスペちゃんが所属することになるチーム・スピカの最古参メンバーとして登場する。)

スペちゃんもゴルシと並んでファンアートがよくTLに流れていて、食いしん坊というキャラらしく、おなかがパンパンになって服からはみ出ている絵がよくアップされていたけど、公式アニメもまんまその表現でちょっと度肝を抜かれた

大丈夫なのか、ソレ

美少女アニメじゃないのか?これは?

スペちゃんのおなかパンパン表現で芽生えたこの疑問は序盤で確信にかわっていった。

「ウマ娘」は美少女アニメではない

では何か?

その正体は美少女アニメの皮をかぶったスポ根ものである。

前述の通り、このウマ娘という作品は実在の競走馬を擬人化して実在のレースを基にしたフィクションだ。

”レースの勝敗は(基本的には)史実にもとづく”という部分がキモである。

勝敗がなんかリアルなのだ。

そこで負けるの?!という場面でも負ける時は負ける

よりによって今?!というタイミングで怪我をする。

「スポ根もの」「勝敗は史実に基づく」という部分が勝負の世界の厳しさと残酷さをドライブさせる

いっぱい頑張ったから、沢山の人が応援してくれるからレースに勝てる

そんな単純な世界ではない

いかにもキラキラな美少女アニメの皮をかぶりつつ、レースの勝敗は常に公平で残酷である。

どんな決意を抱こうと、どんなに厳しい訓練を重ねようと、それはレースに参加するウマ娘全員同じ

負ける時は負けるのだ。


快進撃を続けたスペちゃんにも敗北は突然に訪れる。

初めての負けを経験しても普段の明るさを失わないスペちゃん

しかし先輩と別れて一人になった後、校舎の中庭の、なんか、なんだあのよくわからない切り株?の、穴?に向かって泣きながら悔しさをぶちまけるスペちゃん(あの切り株マジで何なんだ?)

「お母ちゃんに勝ったところを見せてあげたかったのに」
「私は、調子に乗ってたんだ」

そんなスペちゃんの涙が、叫びが、あのなんか良く分からない切り株の穴のなかに吸い込まれていった。


俺は泣いた。

したたかに泣いた。

どんな人間にだって人生で一度くらい全力をぶつけて勝負を挑んだことがあるだろう。

オレにだってそれはある。

だから本気で勝負に挑み、負けた時の苦しみを知っている。

本気で努力したからこそ、敗北はより心に深く突き刺さり、その傷跡は永遠に残る。

かつての自分も味わったその苦しみが、

五臓六腑を吐き出すようなあの苦しみが、

今まさに画面の中の少女の体をつらぬき、心をえぐり、

涙として、叫びとして、その肉体から溢れ出していた。


俺は泣いた。

涙が止まらなかった。


トレーナーはちょっと引っ込んでいてくれ。

木陰から見守ってろキサマは。

スペちゃんがまだ胸の内を吐露している途中でしょうが!

なにが「秋のレース全部勝つ」だ、「池の水全部抜く」みたいに言ってんじゃないよ!(このセリフは8話だが)

いや、トレーナーの話はどうでもいい、本題に戻ろう


この「ウマ娘」という作品、キラキラの美少女アニメの皮を一枚めくれば、残酷な勝負の世界という猛毒が仕込まれているとんでもない作品だった。

友情して努力して、挑んだ大舞台での敗北、挫折、

そして時には選手生命を奪うケガ、

それらが何の前触れもなしにウマ娘たちに降りかかる。


二期はトーカイテイオーを主人公に、彼女の故障と挫折から物語が展開していく。

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「憧れの存在、シンボリドルフと同じ功績を打ち立てる!」という目標に向かい、ひたむきに努力するテイオー、

しかし度重なるケガにより、徐々にその目標は遠ざかっていく

レースに対する情熱を失いかけた彼女に対するマックイーンの愛の告白のような、真の「ライバル」宣言

「これからは私がアナタの目標に、走る理由になってさしあげます。」

それまで両者の間にぼんやりと漂っていた「なんとなく、彼女にだけは負けたくない」という無意識に、くっきりと輪郭が与えられる瞬間

言葉に出して、相手に伝えるということがキチンと意味を持つ素晴らしい演出だった。

彼女にだけは自分の無様な姿は絶対に見せられない

実力を認め合うからこそ全力でぶつかり、そして倒したい

そんなライバルの存在が、レースへの情熱と執念を失いかけたテイオーを再び奮い立たせる。

トーカイテイオーとマックイーンのライバル関係を主軸に、物語は一気に加速していく。

お互いに相手を尊敬しつつ、絶対負けたくない相手としての意識を強めながら、友情(以上の何か)を築き上げ、挫折を乗り越えながらひたむきに前に進んでいく。

しかしそんな主人公テイオーを襲う挫折、三度目の骨折。

絶望的に高くそびえ立つ「現実」という名の壁

夕暮れの練習場で風のように走るマックイーンに心奪われながら「自分はもう、あんな風に走る事は出来ないんだ」と悟り、涙を流すテイオー

これ以上ないほどに残酷で、そして美しいシーンだった。


泣いた。

泣くなと言うのが無理な話だった。

「いい歳してアニメで泣ぎだぐない、、、、!!!」

ヒザを抱えて号泣してしまった。


物語はここからさらに続く、

永遠の片思い、ターボ師匠の見せる魂の爆走、

マックイーンをも襲う悲劇、

全身の血が沸き立つような運命の13話、

そして、爽やかな余韻を残すラスト、、、


もしここまで読んでいる人で興味を持った人はアマゾンプライムで全話見れるので是非みて欲しい。


それにしても、びっくりするくらい良く出来た物語だった。

魅力的なキャラクター、しっかりとした物語の構成、

「少女達のキラキラの学園生活と友情」というファンタジーの中に仕込まれた「勝負世界の現実」という劇薬

気づいた時にはもう手遅れ

続きを見るのを止めることも、涙を止めることもできない。

たびたび再生を止めてはヒザを抱えて泣き、泣き止んではまた再生ボタンを押す。

そんなことを繰り返しながら、この度やっとアニメを全話視聴し終えた。



蛇足

ただ、すばらしい作品だからこそ気になる部分もより気になった。

この世界の片隅の、この文章の片隅に、ちょっとだけ吐き出させて欲しい。

気になる部分、というか、率直に言えば不満なんだが、

アニメとして見た時に一番の山場であるレースシーンの出来はかなり悪いんじゃないだろうか

というか、レースだけでなく「動きとしての気持ちよさ」(いわゆる神作画)というアニメーションの魅力自体が、この作品にはなかったように思う。

いや、なんでなのかは大体察しがつく

もともとゲームのキャラクターとしてデザインされてるため、膨大な数のキャラクターを差別化するため、どうしても髪型と衣装が装飾華美になりがちで、そのためキャラクター1人の情報量がかなり多く、レースの場面では10人近い勝負服のウマ娘を描くその労力は素人目にも明らかで、「人力で作画すると作画崩壊」「CGで作画すれば動きの面白さが死ぬ」というまさにどん詰まりで、実際自分が素人なりに「じゃあ、どうすりゃいいんだ?」を考えたところで答えは出ない。そこは責められないが、それにしても、もうちょっと、こう、なんかあるだろ

唯一作画で鳥肌が立ったのは第10話のターボ師匠の魂の爆走シーンだが、情報量の多い勝負服ではなかった、というのがその理由の大半を占めているように思う。

加えてターボ師匠は走り終わるまでずっと目を開けないんだけど、「必死さの演出」という側面のほかに「瞳を描く手間が省ける」というのもある気がする。

瞳に関しては邪推かもしれないけど、とにかくこのシーンは情報量が他のレースに比べて少ないからこそ、「動かす」という事に全フリできた結果じゃないだろうか?

骨格のしっかりした物語や魅力的なキャラクターに心奪われる体験をしただけに、このレースシーンで作画のパワーが爆発しないというのがいっそう残念に感じた。

もし三期があるなら、レース場面の作画の改善に期待したい。



そして、出来ればゴルシの活躍がもっとみたい


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