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スーパーのレジ台を舐めるのが日課だった子供は、どんな母になったのか。

理由のない強迫観念に駆られ、母に連れられて行く「コープさん」のレジ台を、必ずこっそり舐めてから通過していた4歳の私。機械油のような「ヒヤキオーガン」のような無機質な味わいは、40年近く経った今でも舌に染みついている。

今の子供たちはあまり「自家中毒」にならないらしい、とネットの情報で知ったときは、思わず「ずるい…」と呻いた。

保育所に通っていた頃、2ヶ月に一度は「自家中毒」で医者にかかっていた。4、5歳の頃の記憶といえば、台所の隣の畳の部屋に布団を敷いて寝かされ、波のような胸のむかつきに襲われて涙目になりながら枕元のゲロ袋に顔を突っ込んでいる自分の姿しか思い浮かばない。

「自家中毒」とは何か知らない幸せな人のために申し添えると、自家中毒とは「アセトン血性嘔吐症」の別名で、ストレスやら自律神経の不調などから体内のケトン体が過多になり、激しい嘔吐が起こる症状だ。

母は慣れたもので、私が吐き始めると、私をおぶって大きなチャウチャウ犬のいる近所の小児科に連れていった。

そこではいつもすぐに尿検査をされ、ものの数分で「またあれやね」ということでぶっとい注射をされる。とにかく、その時期以降にはよそで見たこともないほどぶっとい注射なのだ。
記憶が勝手に「盛っている」可能性もなくはないが、少なく見積もっても直径4センチ、長さ10センチくらいはあった。その注射器に琥珀色の液体が満たされ、これまた巨大な肥満体の看護師さんにのしかかられた状態で、おしりにブスッと注射された。

この注射は立派なもので、家に帰り着いた頃にはもう気分の悪さは消えていて、お粥やうどんを食べる気にもなれた。自家中毒は憎むべき病気だったが、この注射を我慢すればすぐに治ると知っていたのが唯一の救いだった。

この症状は、その当時は大人になるまで続くのかと思っていたが、意外にあっさりと、小学校低学年になる頃には治ってしまった。チャウチャウ犬のいる小児科にも、年に数回しか行くことがなくなった。幸せなことだ。

そんな(多分)神経が細くて感じやすかった保育園児の頃の私が、嫌で嫌で仕方ないのに、しなければならないという強迫観念に駆られて行なっていた習慣が、「コープさんのレジ台の端っこをこっそり舐めて味をみること」だったのだ。

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なぜ「コープさん」の「レジ台」なのかはわからない。保育所からの帰りに、2日に一度は母に連れられて買い物に行くのだが、あるとき突然「天の声」を聞いたような気がしたのだ。「この台の味を確かめよ。さもないととても悪い事が起こる」と。

私は恐る恐る、レジで会計を待っている母の顔を盗み見た。財布の小銭に気をとられて私に注意する様子はない。夕方のレジは順番待ちの列ができていて、後ろにおばさんが並んでいる。今しかない。早く。早くしなければ。何もせず帰ってしまえば、私たち家族に何か悪い事が起こるかもしれない。

会計を終えた母がレジかごを袋詰め台に移した瞬間、私は、顔の真ん前にあるレジ台の、丸くカーブのついた端っこを、舌の先で素早く舐めた。ほんの1秒ほどのことだったが、舌の先1センチほどで忌憚なく味わった。自転車にさす油のような、夜泣きする私に母が飲ませていた「ヒヤキオーガン」のような、鉄臭い味がした。

誰にも見咎められていないか、何気ない風を装って左右を見たが、誰も私のことなど見ていなかった。緊張から解かれた私は心からホッとして、わけもなく胸が弾み、いつになく母にあれこれと話しかけてうるさがられた。

それからというもの、「コープさん」に買い物に連れていかれるたびにこの恒例行事を執り行うことになった。
レジに並ぶ。もう少しで会計が終わる。胸がドキドキして手に汗が滲んでくる。やれ、やらなくては。そして達成した後の高揚感。今日も私が家族を守ったのだ。家に帰っても、なんの心配もなくぬくぬくとあったかいお布団で眠ることができる。神様は私がレジ台を味わったことを見ていて、そのことによって私たち家族を許し、守ってくれるのだ。素晴らしい気分だった。

大人になってから思い返せば、あの頃のわが家は、父と母の仲がすでにしっかりと冷えきっており、すでに10代だった姉も父とはよそよそしかった。小さかった私だけが、時々爆発する父の鬱屈をなだめ、かりそめの家族団らんを作り、冷蔵庫の中身を整理しながら背中を震わせて泣く母を守っていたのだ。

レジ台を舐めることで得た達成感は、何かに守られていたいと心の奥で願っていた私が初めて自分の力で手にした神様からの報酬であり、家庭を維持する方法など知るよしもない子供に与えられた「幸せのおふだ」だったのかもしれない。

結局、両親は私が15歳の年に離婚し、私は28歳で母となり、さらに年月を経て3児の母となった。

父とは、阪神大震災の起こった翌日、一人住まいのアパートから徒歩で私たちの家に安否を確かめに来てくれて以来、一度も会っていない。ヘビースモーカーだった父の、ヤニ臭い口の匂いと、どてらに染み付いた防虫剤の匂い。娘たちと楽しげに遊ぶ夫の姿を見ながら、父は私の小さな達成をどう思っていたのだろう、と思う。

長女に生まれつき持病があったために、私は極端な清潔志向の母親になった。スーパーに連れて行ったら、帰りの車に乗りこむ前にトイレで手を洗わせる。マスクだって季節を問わず持ち歩く。
公園に行っても、ウエットティッシュを家に忘れてきたと気づいただけで半狂乱になるほどだ。

レジ台を舐めるなんて、わざわざお金を払って各種感染症をもらうようなものだ。私の気配りがウイルスや病原菌を駆逐し、可愛い我が子を守っているのだ。いま、我が家の安寧を守っているのはこの私だ。

何かを守っている達成感が私を生かし、退屈で面白みのない日々を後ろへ送っていくエネルギーをくれるのだ。4歳の頃と何も変わらない。死ぬ前に思い出すのも、あの「コープさん」のレジ台の味かもしれない。

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