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自分を低く見積もっていることについての弁明

自己評価が低いのでは?

そういう指摘を受けたことがある。

今まであまりそう言われたことはないが、言われてみれば思い当たるフシぐらいはある。

「ああ、そりゃそうだよなあ」と思う。

昔……たぶん、子供の頃から、クリーンアップより7番とか8番打者……それかいっそ補欠の方が気楽で良いと思ってしまうクチだ。

「おみそでもいいや」と思ってしまうクチ、と言い換えても良いのかもしれない。
主軸になりたいと思うより、サブでいたいと思ってしまう。

こんな自分が何度かメインを張ったというか、張らされたことがある。

最初にそんな機会があったのは中学校時代の話。文化祭で生徒会がバンドをやるという話になった時、何故かは未だにわからないのだが、生徒会と縁もゆかりもない自分にリードヴォーカルをやれという話が舞い込んできた。
田舎とは言え、そこそこの人数がいるような中学校の文化祭のステージで、一介の生徒に過ぎない自分が歌を歌えとか、そんなムチャを言われたのだ。
まあ、何とかやったよ。死ぬほど恥ずかしかったけど。

これに似た経験を、このおよそ10年ぐらいあとにする。

当時、遊びのバンドみたいなことをしていた友人が結婚することになり、その人前結婚式なる催しで、そのバンドでリードヴォーカルなどやっていた自分は、歌ってくれないかと言われた。
するヤツが他にいないので、仕方なくやったが、これも恥ずかしかった。しかもこの時は自分がほとんど知らない曲を無理矢理覚えたので、難易度が以前よりも大きく跳ね上がっていた。

まあ、やったけどな。

こんな経験をしてしまったので、自分は表に出るよりも他人様のケツっぺたにくっついてる方が気が楽で良いと思うようになった。

これが仲間内でのカラオケみたいに、限られた人数の前で自分の持ち歌みたいなのをバカスカ歌うのなら、まだ良い。

昔はよくやった。

だが、大勢の人間による、いわば衆人環視の環境下で歌を歌うようなパフォーマンスをやれというのは、自分のような押しの弱い性格の持ち主にとっては、ある種の拷問みたいなものだ。

もう仕方がないので、その時は半ば開き直っていた。

この点、サッカーの応援行為の渦中にいた時は楽だった。バカでかい声さえ出していれば、何しろ自分がリードしなくて良いのだから。こんな楽な話もない。

そこで度胸が据わったのは、まあ、過去のそういう体験のおかげとも言えるが、前二者は自分にしてみれば恥ずかしいだけだった。


まあ、きれいな言葉で言うなら「シャイ」なのだろうし、キツい言い方をするなら「ケツの穴が小さい人間」なのだろう。

何しろ人間が控えめにできているせいか、どうしても自分の押し出しが弱くなってしまう。そんなこともあってか、自分への評価は押し並べて低いものになってしまっている。

それを、周りの人はじれったく思ってしまうのかもしれない、と時々は反省じみたことをしてみるが、結局生来のそういう性格は直せない。

今でさえ、せっかく目前にデカいチャンスが転がっているのに、それを自分から手放すような真似をしでかしている。極めつけの馬鹿だ

手放した結果、どうなるかの想像は自分にはつかないが、周囲の人々はガッカリするだろうな、とだけは思ってしまう。

でも、そのことも含めて、生き方の下手な自分らしい、どうにも馬鹿丸出しの思考なのかもしれないな、と、納得してしまう自分がいる。

そんな自分を自身でももどかしく思うこともあるが、一方で、そんな性格も決して嫌いではないし、損もたくさんしてきたが、ゆらゆらとたゆたうように生きる分には、支障はないのかな、とも思える。

まあ、それを刺激と面白みの無い生き方の選択と思われるのは、どうにも致し方がないし、自分でも受け入れるより他ないけど、まあ、それで文句言われても困っちゃうわけで。

結局、自分にしか跳ね返ってこないわけだしね。

とりあえず、そんな自分だからいいじゃんって、開き直っておくとしよう。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。