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オフコースのオリジナルアルバムを勝手にレビューするシリーズVolume6:「JUNKTION」

例の如く敬称略。そしてグループ名の中黒は、このアルバム、強いて言えばシングル「秋の気配」以降つかないので、そのつもりで。

序説

オフコースには前作の頃に、元ザ・ジャネットのメンバーだった大間ジロー、松尾一彦の二人が加入した。
そして概ね同じ頃に、元ザ・バッド・ボーイズの清水仁がバンドを手伝うようになっていた。

もっとも、清水の立場は最初はかなり危うかった。テクニックだけなら前作にも参加した小泉良司が選ばれていたはずだった。小田にしても、鈴木にしても、似たようなことを証言している。
小田は実際、演奏のテクニックではなく奏者の人柄、という辺りを重視して清水を選んだようだ。
最初は、まだザ・バッド・ボーイズとしての契約があったため、レコーディングには大っぴらに参加できなかったが、このアルバム、正確にはシングル「こころは気紛れ」から清水もレコーディングに参加した。
当時の清水は小田や鈴木に技術的に追いつくために必死だったという。最初は苦しんだが、小田や鈴木は清水と根気強くつきあい、清水もそれに応えるように腕前を上げた。

清水も清水で、ザ・バッド・ボーイズの時とはまるで勝手が違うわけで、その意味ではとにかく戸惑ったことだろう。しかし、ある曲をきっかけに、その戸惑いが晴れていく。
このアルバムにも収録されているシングルカット曲の「秋の気配」の終盤部分で、短めのベースソロを入れよう、と小田から提案されて、清水は懸命に考え、そして演奏した。
この時の苦闘を経て、清水はオフコースに参加したことを強く実感することになった。

大間と松尾がいたザ・ジャネットがそうであったように、ザ・バッド・ボーイズもまた武藤敏史が一枚かんでいた。このグループも彼のプロデュースしたグループだったのだ。

清水は、オフコースに参加する以前のザ・バッド・ボーイズ時代に、オフコースのライヴを観に行ったことがあるという。
その時の印象を聞かれて、「演奏は一流だったけど、喋らせるとアウトだった」と述べていたことがある。そんなオフコースの懐に入っていって、大きく苦労もしたが、やがてひとかどのミュージシャンになった。

さて、例によって全曲を紹介する。この頃からアルバム一枚当たりの収録曲がグッと減る。

1:INVITATION
2:思い出を盗んで
3:愛のきざし
4:潮の香り
5:秋の気配
6:変わってゆく女
7:あなたがいれば
8:恋人よ そのままで
9:HERO

このアルバムからは、小田・鈴木・大間・松尾・清水の五人衆が揃い踏みする。曲によってゲストが参加することはあるが、基本的なレコーディングはこの五人で行っている。
また、松尾はこのアルバムから本格的に、本来の担当楽器であるギターも演奏するようになっている。

アレンジも彼ら自身で手がけている。プロデュースも武藤と小田と鈴木。これは前作から変わっていない。
まだ、ジャケットの片隅にセブンスターが写っているが、当時小田は喫煙をしていた。その後、禁煙に成功している。

1:INVITATION

基本的には鈴木の曲だけれども、冒頭部分は前作に収録された小田の「歌を捧げて」のアウトロにリンクしている。
それを小田のみで歌うのではなく、小田と鈴木で歌っている。ただ、「歌を捧げて」の時から少しテンポが上がっている。

斯様なイントロから曲が始まるが、この世界観は、後に発表された鈴木の作品「通りすぎた夜」と、ほぼ共通している。
(作詞・作曲:鈴木康博)

2:思い出を盗んで

小田の曲だが、後にシングル「ロンド」のカップリング曲になっている。なお「ロンド」は鈴木の曲だが、これはいわゆるロンド形式ではない。また、同曲は鈴木が依頼を受けて仕方なしに歌詞を書いているとも言う。
これは、母親のことを実感できるのは少なくとも40代、50代になってからのはずで、若い頃には書くのが難しいだろう、という鈴木の考え方が根底にあってのこと。
鈴木は後に「オフコースには合わないから、と置いてけぼりにされた曲だけれども、自分は好きだった」と述べている。この「ロンド」はテレビドラマの主題歌にまでなったが、オリジナルアルバムには収録されなかった。

一方、こちらの「思い出を盗んで」は大間が必死に考えたドラムスのフレーズが採り入れられているという。
(作詞・作曲:小田和正)

3:愛のきざし

三拍子のゆったりしたワルツで小田の曲。冒頭にセミの鳴き声の音効があって、小田のフルートもアクセント的に登場する。最後はややキーの高いメロディラインで終わる。
コード進行がかなり独特で、一筋縄ではいかない。
(作詞・作曲:小田和正)

4:潮の香り

鈴木の非常に流麗且つ美しい作品。エレキギターも少し出てくるが、全体的にバックボーンにあるのはアコースティックあるいはガットギター。
そして、恐らくモーグシンセだろうと思われる美しいメロディラインが聴かれる。
Aメロから順に半音ずつキーが上昇していく、という凝った構成を聴かせる技巧に富んだ作品。また、そのような意味からも、これは非常に難しい作品と言っても良いかもしれない。
メロディの後半部分のコード進行のさせ方などは、これでもかとばかりに凝っている。

歌詞には葉山の地名が登場するので、その辺りをイメージして作られた作品と言えるかもしれない。
後に「Three and Two」に収録される「汐風の中で」に近い世界観を持っているように感じられる。
(作詞・作曲:鈴木康博)

5:秋の気配

小田の楽曲で、アルバムの少し前にシングルカットされている。小田の説明では「女に振られたという経験がなかったが故にああいう歌詞になった」ということらしい。
その経験があれば、あんな傲慢な歌詞にはならないだろう、と小田は言及しているようだ。

舞台については、横浜にある港の見える丘公園説が有力だが、小田本人は別の場所について言及したこともある。

収録されているアルバムによっては、ストリングスの音量が少し異なっているミックスが存在する。

また、前述したように小田が清水に対して、8小節分任せるから何かやってほしい、と要求したため、清水は必死になって考えて、ベースのソロをやることにした。
清水はこの経験を「あれでオフコースの一員に真の意味でなれたと感じた」と述べている。

ちなみに、グループ名から「・(中黒)」が取れたのは、このシングルからである。それはまでのシングル及びアルバムでは「オフ・コース」表記だったことはあまりにも有名。
(作詞・作曲:小田和正)

6:変わってゆく女

鈴木の、比較的楽しいイメージのある曲。鈴木のこの頃の曲には顕著だが、男性が主人公であるにもかかわらず、一人称が「私」である。
歌詞のタッチがコミカルにできているが、よくよく聴くとなかなかにシリアスでヘヴィな状況が歌われていたりする。

この曲ではベースラインやアコースティックピアノに於いて、低音を強調した作りになっている。
(作詞・作曲:鈴木康博)

7:あなたがいれば

元々、1977年2月にリリースされたシングル「こころは気紛れ」のカップリング曲だった。
アルバムのテイクはそれを再録音したもので、その際にウェス・モンゴメリー風のギターソロが加えられている。また、ヴォーカルのメロディも若干異なっている。
基本的にアレンジも若干異なっており、特に冒頭からのキーボードのフレージングが大きく異なる。また、小田のフルートはアルバムのテイクではかなり抑え気味にされている。

この曲は珍しく、小田が作詞、作曲を鈴木が行っており、リードヴォーカルは鈴木が担当している。
(作詞:小田和正、作曲:鈴木康博)

8:恋人よ そのままで

鈴木の楽曲で、小田のフルートなどが登場することもあり、ややシャンソンのテイストもある。シングル「秋の気配」のカップリング曲としても知られている。
最後にハイトーンを聴かせてお終い、という少し珍しいアレンジになっている。
(作詞・作曲:鈴木康博)

9:HERO

7分以上ある、当時としては非常に長い作品。小田と鈴木が二人で分担しながら作った作品。故にクレジットも二人の連名になっている。
ある意味、プログレッシヴロックの、組曲的なテイストも感じることができる。一応、リードヴォーカルの担当者で該当部分の作曲者がわかるようになっている。

使う楽器も、シンセサイザーだけでなく、ラップスティールギター、チェンバロ、などなど意欲的に採り入れている。
楽曲の世界観の中には、デヴィッド・ボウイの「ロックンロールの自殺者」を彷彿とさせる部分がある。あれをもっとマイルドにしたような感じ。オフコースにとっては、かなり冒険した楽曲とも言える。
曲調や構成だけ聴いていると、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」やビートルズの「アイヴ・ガット・ア・フィーリング」辺りとの共通性も感じることができそうだ。
(作詞・作曲:小田和正・鈴木康博)

アルバム全体の短評

基本的にはオフコースの黄金期を形成する5人の編成になった最初のアルバム、ということで間違いない。

メンバーの増員について鈴木は……

「単純に音量が大きくなるだけかと思っていたが、それは間違いで、二人でやっていた時はどちらかのミスで沈みがちになったものが、五人だとそれを気にしないようになって、余裕ができた」
(「秋ゆく街で」のコンサートの中でも、小田が盛大に歌詞を間違える場面があったが、ああいう事例のことを指していると思われる)
「また、その結果として、やっている自分たちに余裕が生まれ、聴衆とのコミュニケートに気を配れるようになった」

……という意味のことを述べていた。
また鈴木は増員のおかげでステージで持つギターについて、エレキ中心に転換したという。同じように小田もステージでギターを持たなくなり、キーボードに専念するようになった。

東芝EMIのハウスプロデューサーでもある武藤はオフコースに、「当時の売れ線サウンドをまぶす」ような要望をしたという。
俗に言うニューミュージックの色合いが強く出たサウンド、と言って差し支えなかろう。
だが、気心の知れた武藤からの要求だったことと、「ワインの匂い」以前のオフコースならまだしも、当時の彼ら側にもそれを頑なに拒む理由はなく、そこは柔軟に対処したようだ。
もちろん、彼らが妥協できる範囲で、だったが。それでも武藤は出来上がったサウンドに満足したらしい。

収録曲数が減ったが、逆にその密度は濃くなった。曲自体の仕掛けも多様性が出てきたし、しかし、その仕掛けの豊富さが散漫さにつながらないようにも気を配っている。
尺で言えば、2分台の曲はなくなり、末尾の「HERO」以外は総じて3~4分程度になった。その尺の中で音楽性を出せるようにもなってきた。
商品としての音楽の完成度が、少しずつ高まってきた時期の作品と言えるかもしれない。
この時期だと、例えば荒井由実などが日本のポップス界にセンセーションを巻き起こしていたが、オフコースはそうした辺りとはやや趣が異なっているようにも思えた。

小田と鈴木、という音楽的なレベルや志の高い二人に、得難いパーソナリティを備えた大間・松尾・清水の三人が加わることで、オフコースは加速していった。
鈴木の言にもあったように、ステージングも幾分変わり、オフコースが新しい方向を目指そうとしていることは、容易にわかるようになってきた。
反面、「オフコースの小さな部屋」に代表される従来のスタイルでのコンサートを次第に止めるようにもなってきたし、その意味での変革は徐々になされてきたが、それも規模の拡大と共に生じた変化だった。

本作は、そういう方向性の転換を断片的に示したもの、という言い方ができると思う。

アルバムタイトルの「JUNKTION」は造語で、「JUNCTION」(連絡駅や転換点を意味する語)と「JUNK」(がらくたを意味する語。ポール・マッカートニーにもこの語をタイトルにした曲がある)の合成による言葉。

生み出された音楽の数々は決してがらくたではないが、一つの転換点になったことには相違ないだろう。
武藤・小田・鈴木、そしてあとから加わった大間・松尾・清水らが化学反応を起こした結果は、この後のオリジナルアルバムにより強い形で現れていくことになる。

オフコースはこのアルバムのあと、初のベスト盤となる「SELECTION1973-78」を出す。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。