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私は私の価値観で生きるだけ

面白いという価値観。

これは人それぞれに異なって当たり前のこと。別に不思議なことでも何でもなく、私が面白いと感じるものを、万人が同じように感じるわけではない、というだけのことだ。

私は若い頃のビートたけし(今の彼ではない)が好きだが、別の人は笑福亭鶴瓶を好むかもしれないし、明石家さんまかもしれないし、タモリかもしれない。
あるいは、上岡龍太郎だったり、島田紳助だったり、やしきたかじんだったり、笑点に出て来る噺家の皆さんだったりするかもしれない。
もっと世代が下がって、ダウンタウンやウッチャンナンチャン、とんねるずだとか、今、第何世代か知らないが、その辺りの芸人たちかもしれない。

また、あるいはお笑いのフィールドにいない人の言うことを面白いというかもしれない。

そして、それらを単一で好む人もいれば、誰と誰、というように複合的に好む人もいる。好みは人それぞれだと思うし、それこそ「みんな違って、みんな良い」とされるべきものだ。

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芸能人ですらそうであるように、例えばスポーツの競技や、選手、それらが属するチームにも嗜好の違いが出て来る。

私はガイナーレ鳥取を愛好するが、同時に湘南ベルマーレも愛好している、という立場を標榜している。

中にはそれを節操がない、みっともない、と思う人もいるだろうし、そう言いたくなる気持ちはわかる。

もっとえげつないことを言う人の中には、「そんな内股膏薬みたいなことをして、どちらにも忠誠心なんかないのではないか?」みたいなことを言い出す人もいる。

それを言われても「ええ、そうですね」程度で受け流すようにしている。それでもしつこく言い出すようなのには、それこそ流行していたあの曲をプレゼントするしかない。

自分なりには「現代の日本的なパンク」という解釈をしているこいつを、謹呈したい。

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ま、このままでは話がずれてしまうので、サッカーに戻そう。

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そのサッカーの見方一つとっても、多様性がある。

・知見があって、それをベースにした戦術論などの深掘りをする人
・とにかく「頑張れやれるだろ」的なことしか言わない人
・選手対監督のような対人のつながりから分析しようとする人
・とりあえず推し中心にしか見ない人

ざっと挙げてみたが、この他にも様々なパターンがあるだろう。どれが正解とかそういうのはないが、どれも決して間違ってはいない。
私はタイプ的に二番目が最も近い。昔からそうなのだ。ろくに知見もないくせに偉そうなことばかり言い出す。
故・若三康弘さんみたいに表面的にでも面白がってくださる人はまだいい。中には私の書いてきたことで、良からぬ思いを抱いた人もいるだろう。

それはただただ申し訳ないと思っているのだが、ともあれ、私は私の見方しかできない。それは大前提としてある。
大して経験はないし、そもそも様々な知識を有していない。

だいたい、素人の縁台将棋を見てる、それに輪をかけた素人が、私なのだから。「おまえ、こんなことも知らんの?バカじゃね?」と蔑まれることも多いだろうが、「ええ、そうですよ」としか申し上げられない。

私が書く試合のレビューみたいなのは、基本的に専門知識なんて全く無いものとして書いている。だから、サッカー常識的にはおかしい面もあるかもしれないと思う。
不整合というか、理不尽なことも書いているかもしれない。事実誤認もあるだろう。

それらについて、開き直るつもりはない。一つだけ言えるとしたら、これから先も私は私なりにしか書けないし、私なりにしか書かない、ということのみでしかない。

別にサッカーの戦術分野に特化したとしても、プロのモノカキでもないし、戦術論やそれに基づいた様々なことを披講しておカネをいただこうなんてことは一切考えない。


私は、私が興味を抱くことしか基本的に書かない。偏屈、我が儘、確かにそうかもしれない。
でも、伸ばしたロッドアンテナに何かが引っかかって、それを私が面白いと思えば、それで良いのかも、と考えている。

案外といい加減なのだ。

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ところで、面白いについての話は何処に行ったのか。


実際のところ、私の面白いと思うことは、皆さんそれぞれの面白いと思うことと、必ずしも一致しない。むしろ違っていることの方が圧倒的に多いと思う。

何度も言うが、人それぞれなのだから、違って当たり前だ。

よく、映画で「全米が泣いた」みたいなキャッチコピーがつくことがあるが、「全米」の中には、それを見ても何とも思わない人だっているだろうと思っている。
実は私もそのクチで「○○に感動したから、あなたにもその感動を!」とか連呼されると、「ケッ、てやんでえ」と思いたくなるタイプだ。

同様に、だいぶ前に流行った「一杯のかけそば」という話があるが、あれに感動した人も多いだろう。その一方で、何とも思わなかった人もいるだろうし、その感動に懐疑的だった人もいると思う。

感動することを強制される雰囲気は、どうもあまり好きじゃない。何事に於いてもそうだが、自分が感動したいと思うから感動する。たまたまそれが他人と一致することがある、ぐらいの感じで良いと思う。

好きだから、シンパシーを抱いているチームや選手を応援もするし、興味があるから、いろんなスポーツの会場に足を向けたりもする。
私が興味を抱くのは、何もスポーツだけではない。音楽だったり、将棋だったりもするし、いろいろなイベントだったり、観光地だったりもする。そんな場所にある日、ひょっこり行ったりする。

足の向くまま、気の向くまま、だ。

「私は私よ関係ないわ」と昔、中森明菜が、このとても有名な曲で歌っていたが、以前から私は本当にそれなのだ。
他人の詮索は元々あまり好きじゃないし、そういうことに正直あまり関心もない。

基本的に、自分の興味の範疇でしか動かない人間だ。それが良いのか悪いのかは、正直なところ私にはわからない。

そして、それを他の人が面白がるかどうかも私は知らない。だから、他人にお勧めはしない。私はたぶん、自他共に認める変わり者だから。

私が興味を抱くこと
私の今現在の考え方
私が培ってきた趣味
私にまつわる様々なこと
何より、私が今、面白いと感じていること

それらの上に、今の私があるし、それらに何某かの興味があって、真似をしたければ、別に私は止めない。そもそも私には止める権利がない。

私が今の時点で面白いと感じていることが、皆さんにも面白いかどうか、あるいは、有益かどうかの保証は、残念ながらできかねる。

それでも良ければ、どうぞ、自己責任で私の行動や思考をコピーしてください……としか申し上げられないのだ。
その結果について、私は一切の責任を負うつもりはないし、そもそもそれをする必要すらもない。

だいたい、こういう変なおっさんを真似たいなんて思う物好きもいないと思うけれども。

まあ何だかんだで、私はとりあえず今日も自分の考えに忠実に生きている。そのことに、誰にも文句は言わせない。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。