見出し画像

SC鳥取またはガイナーレ鳥取

初めましての方もそうでない方も、こんにちは。

KAZZと名乗ってTwitterなどで適当にツイートしてるアホなおっさんです。得意分野は何でしょうねえ・・・?サッカーや自作曲のブログを書いたりしてますが、まあ、いい加減なもんですよ。

まあ、とりあえずサッカーは好きです。つっても、特別に知識が豊富だったり、技能が優れているわけではありません。何事にもそうであるように、サッカーについてもまた浅薄で適当でいい加減です。俺に徒に知識・見識を求めると、大抵ろくな目に遭いません。保証します。

そんな俺が最初に惚れたのはベルマーレ平塚・・・今で言うところの湘南ベルマーレなのですが、彼らの話がしたいのではありません。むしろ2番目に惚れて、今も何だかんだで腐れ縁が続いているガイナーレ鳥取についてのお話です。

今更後述のブログに改めて書くような話でもないので、せっかくnoteにアカウント作ったので、何か書いとこうってなりまして・・・。じゃあ、ここに書いとけや・・・というだけのことです。長文ですが大したことなんざ書いてないので気楽におつきあいください。

初めて試合を観に行ったのは2002年8月。SC鳥取がJFLに上がった翌年のことです。
その前の年にテレビのニュースでこのチームを知りました。その時は、いつか観に行ければ、程度にしか思ってませんでした。
で、2002年8月のがいな祭の当日。一念発起しまして、いっちょ試合をやっている米子に行ってみるか、となりまして。
試合の方は確か負けたんですが、近くでこういうことやってるチームがあるんだ!と感じ入りまして。もうちょい見てみるか、となったので、そのシーズンは結局、最初に観に行った試合も含めて3試合ほど観に行きました。
3試合目はJFL残留がかかった試合だったと記憶しますが、いろいろあって残留を果たすことができまして。
この年のJFLは日韓W杯もあり、些か変則的な大会レギュレーションでした。確か試合数もメチャクチャ少なくて。
でまあ、ユニフォームのようなシャツを買うことになりましてね。と言っても、いわゆるレプリカユニフォームではなく、ユニフォームを模したシャツ(今で言うところのコンフィットシャツと考えてください)を買いまして。その年にはレプリカユニフォームまたはオーセンティックシャツは売っていなかったばかりか、サプライヤーが確かミズノでした。
翌2003年から、現在も(結局2018年までで終了)続いているhummelとの関係が始まっています。冒頭の写真がその最初のユニフォームで、何故か買っちまいましてね。そしてこのシーズンからサポーターの末席にくっついて応援の真似事を始めるようになりました。

SC鳥取と名乗っていた頃は、ハッキリ言って弱かったですよ。JFLでも2桁順位のことが多かったのでは。でも、彼らはそれなりに楽しんでサッカーしていたし、それが伝わっても来ました。
そうこうするうちに2005年のシーズン終了直後、いきなりJリーグに上がります宣言を当時の塚野真樹GM(現・社長)がテレビのニュース番組でし始めまして。そして2007年にチーム名を改名するに至り、組織も変更されまして、運営会社が株式会社になりました。
監督も結構なベテランを呼んできましたが、まあ、いろいろあって半年足らずでお役御免になりまして。次に呼んできたのが、ヴィタヤ・ラオハクルって人です。この陽気なタイのおじさんが次第にガイナーレ鳥取のチーム力を結果として底上げしました。Jリーグには到達できませんでしたが、彼の果たした役割は大きかったと思っています。
2008年の「龍ケ崎の悲劇」や、2009年の「東山の約束」は、当時を知るサポーターの間では語り種となっていますね。
で、2010年の開幕前、タイ国内でヴィタヤさんは交通事故に遭いまして、早急な再起が難しかったことから、当時身柄が空いていた元東京ヴェルディの監督もやっていた松田岳夫氏を呼んでくることになりました。すると、松田氏と豊富な戦力がハマって好結果を残し始めたのです。
で、2010年、かつて聖地と呼ばれた東山陸上競技場でJFL初優勝を決めるに至り、歓喜に沸いたわけです。

こうして、ガイナーレ鳥取はJ2に参入することができました。しかし、その後2013年秋に入れ替え戦に回らざるを得なくなり、カマタマーレ讃岐に敗れたため、ガイナーレ鳥取はそれ以降、J3リーグでの生活を余儀なくされていますね。

さて、では自分が、そんな曲折を経てきたSC鳥取あるいはガイナーレ鳥取を何故好きになってしまったのか。

自分の中で「これだ!」というきっかけがあったんだとすると、2004年の7月10日に鳥取市営サッカー場バードスタジアム(今で言う、とりぎんバードスタジアム)で行われたJFL後期第2節のHonda FC戦だったと思うんですよ。
今でこそ鳥取に行くのに道路事情も格段に良くなりましたが、あの頃は下道しかなかったので、えっちらおっちらと行くしかなかったわけです。
そんなしんどい思いをして出かけた鳥取で、あんな凄まじい試合を目の当たりにしたんですよ。
いいですか?今も当時もHonda FCはJFLというカテゴリに於いては別格の強さを誇っています。どんなにメンバーが替わろうが、監督が替わろうが、チームの強さの水準は決して変わらんのです。そんなチームに、決して強くない当時のSC鳥取が挑むんですが、先制こそ許したもののすぐ追いついて、終盤に決勝点を取って勝ってしまうのです。そんな様子を見せられたら、もう惚れるしかなくなっちゃうでしょう・・・。

選手も見始めた当初から現在に至るまで多数の選手が出たり入ったりしていますね。16年前を知る現役選手がプロにはほぼいませんしね(一部はアマチュアとしては活動中です)。中にはチームスタッフになった人もいますし、様々な形でチームとリンクしている人もいます。

そして、今のガイナーレ鳥取となったチームに、相応にシンパシーを抱きつつ、病気(脳梗塞)の予後なども気にしながらマイペースに見守っています。今はゴール裏で応援活動はできません。念のため。

まあ、自分とSC鳥取及びガイナーレ鳥取とは、こんな感じでつきあってきています・・・ってお話を。

最後になりましたが、自分のサッカーブログはこんな感じです。まあ、めぼしいことはほとんど書いてない、単なる雑記帳だろ、と言われたらそれまでですが。

たまにこのnoteに何か書くかもしれませんが、あまり内容と頻度に期待をしないようにしましょうね。プレッシャーには弱いのでw


基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。