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Charlie Watts is a sort of maybe

ローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツが身罷った。
80歳だった。

今朝、そのニュースを目にした時、俺は「とうとう来るべき時が来ちまった」と思った。

チャーリーの素晴らしさを、言葉、特に美辞麗句をこれでもかと並べて語ろうとも思った。

だが、それをしてもし尽くせないお人だと思うし、俺の音楽的知識では、彼の、特にローリング・ストーンズへの音楽的な貢献など、到底語り尽くせるわけがない。

だから、俺はここにこれだけは断言したい。

今の世界には、チャーリー・ワッツよりもテクニックで上回るドラマーはたくさんいる。
だけど、チャーリー・ワッツよりもグルーヴ感の出せるドラマーなんて、この世には誰一人としていないのだ、と。

ミック・ジャガーは、「Love You Live」のディスク2のA面、つまり俗に言うところの「エルモカンボサイド」でのMCでチャーリーを紹介する際に、たった一言、「Charlie Watts is a sort of maybe」とだけ言った。

このミックのコメントが意味するところなんてわかりっこないのだけど、このミックのコメントを歌詞カードで見た時、面白いことを言うんだな、と思ったのは覚えている。

後に、チャーリーを「俺のドラマー」と酒に酔って電話口で呼んだミック・ジャガーに激怒した上でぶん殴って、同席していたキースに丸一日宥められたのは非常に有名なエピソードだ。

あの頃(アルバムで言うと「Undercover」の頃)、ミックは確かに相当にイカレていたが、そのイカレたミックをぶちのめしたのが、普段は淡々とドラムスに向かうチャーリーだった。

俺は、この一件を知ってから、ますますチャーリーが好きになったし、この人は底知れない人間なのだと思うようになった。

しかし、彼は亡くなった。

早世した初代リーダーのブライアン・ジョーンズや、バンドの初期メンバーでもあり、その後ロードマネージャーをやりつつピアニストとしても腕を披露したイアン・スチュワートなどを除けば、メンバーの死はデカい。

チャーリーは、彼自身も様々な機会に何度となく言及しているように「ジャズ・ドラマー」だった。実際に、ジャズのアルバムもいくつか出している。
その「ジャズ・ドラマー」が在籍していたのが、世界に冠たるロックバンドであるローリング・ストーンズだった、というだけのことに過ぎない。

最後になる前に、個人的に最も愛好するチャーリーのドラミングをご紹介しておきたい。
1969年12月にオルタモント・スピードウェイで行われたコンサートの中で演奏された「Under my thumb」だ。

この「Under my thumb」は、本来8ビートでアレンジされることが多いし、多くのライヴでも8ビートでアレンジされてきたものが演奏されてきているのだが、このオルタモントだけは違っていた。16ビートで演奏された。
(他にも16ビートでの演奏例はあったのだろうが、俺はこれしか知らない)
チャーリーの恐ろしいまでにレイジーでダルなビートは、この曲の終演直後に起きた一件も相俟って、鋭いナイフのエッヂみたいに思えさえする。このライブで、この曲は異様に際立っていた。
気になる人は映画「Gimme Shelter」を見てほしい。DVDもリリースされているはずだ。

最後に、ありがとう、チャーリー・ワッツさん。

あなたは世界一のロックバンドに籍を置いた、不世出のジャズドラマーだった。そのドラミングに俺は魂を持って行かれた。これからも、あなたのドラミングに魂を持って行かれ続けると思う。
でも、それで良いんだと、俺は考えている。

あなたの肉体は亡くなったが、あなたのドラミングはこれからも多くの人々に愛され、聴かれ続けるはずだ。俺はそう信じたい。

Rest in peace, Mr. Charlie Watts.

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。