『建築家のドローイングにみる<建築>の変容 −−ドローイングの古典、近代、ポストモダン』 ②

①を読む


2. <古典的ドローイング>の機能 ――建物の代理表象


 ドローイング論を始めるにあたって、まずはじめにドローイングの機能についてある程度整理しておこう。
建築家の描くドローイングは実に様々なものがあり、その機能は多岐にわたる。例えば『20世紀建築事典ENCYCLOPEDIA of 20th-CENTURY ARCHITECTURE』の中の「ARCHITECTURAL DRAWING」の項には次のようにある。

「ドローイングを通して建築家は新しいアイディアやコンセプト、建設を意図されたプロジェクトだけでなく空想的なプロジェクトまでを記録することが出来る。この伝達を容易にするために、数々のドローイング上の慣習が進歩してきた。」2*

 この記述から、すでにドローイングが持つ機能の多様さが見て取れる。その中には「建設を意図されたプロジェクトだけでなく」、「新しいアイディア」から「空想的なプロジェクト」まで実に様々なものが描かれてきたのである。しかしまたこの文章から読み取れることでより重要なのは、ドローイングの機能として総括的に「伝達」が挙げられていることである。この「伝達」という機能はたしかにドローイングにおいて本質的なものであるように思われる。誰かに対し提示され、何らかの情報を伝えるものでなくてはドローイングとはいえまい。それ故本論においては、少なくとも建築家が建築的な意図を持って描き、かつ他者への提示を前提としたもののみを「ドローイング」と呼ぶことにする(3*) 。よっていかに見た目が似ていようとも、建築家がエスキースの過程で自らのためだけに描いたスケッチはこれに含めず、分析の対象とはしない。

このようにドローイングの主要な機能として「伝達」を考えるとすれば、その伝達の性質に着目して分析を施すという方法が有効であろう。そこでドローイングを、伝達の機能を計る上で重要である、“誰に”、“何を”、“いかに”という三つの軸に沿って見ていくことにする。

またドローイングを伝達の手段として考えた場合、その伝達は当然建築家が遂行する仕事のためになされると考えられるから、ドローイングの性質は建築家に求められる職能とも密接に関係していると考えられる。それ故、最初に建築家の職能について概観しておくことはドローイングの伝達を区分する上で有効な出発点を与えるものとなるだろう。フランク・ジェンキンス『建築家とパトロン』によれば、建築家の職能は近代に至るまでに大きく変化している。

「中世において、建築家と建設者が同一の人物、あるいは少なくとも両者が同一の修行を受け、したがってより協調的に考え制作した時代があった。ルネサンスには工匠(クラフトマン)ないし手職技術者(トレード・オペレイティヴ)からの芸術家ないし設計家(デザイナー)の分離を見た。18世紀後半、調査士や土木技師という明確な職能の確立と共に建築家の領域は一段と専門化された。そして、今世紀において技術上の進展は、益々多くの専門家を建築界にもたらし監督者(アドミニストレイター)や調整者(コ・オーディネーター)としての建築家の職務は、以前に増して重要かつ厳密になった。なおかつ彼は雇主と建設者との間で制作する芸術家である。」 4*

 このような職能の変化、建築家が果たすべき役割の移り変わりの中で、果たしてドローイングはどのような機能を担っていくのだろうか?まずは近代以前の時代についてその機能を考察していこう。


2-1.中世以前  単なるヒントとしてのドローイング

 西洋の中世以前においては、建築は主に石工の工房(メーソン)などの職人集団によって行なわれていた。この時代には建築家と施工者は一体であり、それ故ドローイングの必要性は今日に比べると非常に小さなものだった。

「熟達した石工の伝統的な知識の上に完全で確固とした信頼が置かれていた頃には、これらのような大雑把な指示以上のものはほとんど施工者に与えられなかったというのは十分あり得ることである。十分な知識を持ったものたちの間には、単なるヒントで十分であっただろうから。」5*

すなわちこの時代までは伝達がなされるべき他者というものがほとんど存在しなかったために、伝達の必要自体がほとんどなかったのである。建物の構造やデザイン、施工の方法などについて「十分な知識」が共有されていたこの時代、ドローイングは例えば複雑な部位などに関してだけ必要に応じて作成される、単なるヒントあるいはメモ書きのような断片的な性格のものであった。それは全体性を持った記号の体系を構成してはいず、また状況依存的で一回的な性格のものであったにちがいない。ドローイングは、その当の建設の現場の外の人々にとっては全く意味を持ち得ず、またその部位の施工が終わってしまえば全く必要がなくなってしまうものであっただろう。中世以前の多くの偉大な建物が残されているにもかかわらず、現在そのドローイングがほとんど残されていないことはこのことの証左である。


 2-2.ルネサンス期 施工者のためのドローイング

 ルネサンス期に入って、ドローイングの意義は大幅に上昇する。この価値上昇にはルネサンスという人文主義的ムーブメントが影響しており、そしてまたその中で起こった建築家と施工者との分離が直接の原因としてある。

「十六世紀に入るとドローイングは新たな重要性を持つにいたった。設計するものと施工するものとが同一人物であることが多く、あるいは少なくとも設計するものも常に修業を積んだ工匠であった中世の世界では、ドローイングはたしかにつくられ、用いられはしたものの、それほど重要視されなかったようである。工匠にとって初めて見る様式の採用がドローイングとくに「「建絵図(アプライト)」すなわち立面図を重視させることになった理由であることは疑いないが、今ひとつの要因も見過ごすことは出来ない。時として建築技能を身につけていない独立した設計家が現れ、雇用されるに及んで、ドローイングは彼らと現場の職人との間の主要な意思伝達手段――今日でも全く同じであるが、設計の構想とその実現とを結ぶ本質的絆となったのである。」6*

ギリシャ・ローマの歴史的な古典建築物を建築上の範型とするルネサンス期において、建築家は工匠的技術だけでなく古典建築の「知識」を求められるようになり、結果として施工者と分化しはじめる。そしてこの分化によって、「意思伝達手段」としてドローイングは不可欠のものとなるのである。一方では様式的なデザインに無知な施工者と、また一方では施工法に関して詳細な知識と経験をもたない設計者とのあいだを取り持つ存在として、ドローイングは「設計の構想とその実現とを結ぶ本質的絆」という地位を獲得するに至る。

この時代のドローイングはそれ故、専ら施工者のためのドローイングであった。それが施工者に対する伝達であることから当然予想されるように、このドローイングの目的は何よりも施工の的確な指示にある。それゆえ主に伝達されるべきは施工に必要な建物の情報、すなわち寸法や形状といった物理的情報であり、またそれは一意的に伝えられる必要があった。そのため、対施工者-物理的情報の伝達であるこのドローイングの表現は、ブロムフィールドのいう「客観的」な性格をもつ(7*)。建築家の意図と異なったものが建てられては困るから、施工のためのドローイングは曖昧さや恣意性を出来るだけ排除しなければならない。そのためこのドローイングは、原理的には誰が描いても同じものとなり、また誰が見ても同様な指示を読み取れるように、建築物の寸法や形状を一定の縮尺を用いて厳密に、「幾何学的」に映しとったものであって、その意味で「客観的」だと言える。ブロムフィールドはこのようなドローイングの代表として「平面図・立面図・断面図」(図1)を挙げている(8*)。

先の引用にあったように、ルネサンス期の古典主義建築においてはファサードといわれる通りからの見えが重要視されたことから、この時代にはとりわけ立面図が重要視されたようである。いずれにせよそこで要求されるのは「正確さ」「明瞭さ」であり、一意的理解を妨げ曖昧さの原因となる「陰影なども避けるべき」とされる。例えば、ルネサンス期人文主義で最も有名な芸術理論家、レオン・バティスタ・アルベルティは次のように述べている。

「画家の図面と建築家の図面との間では次の点が相違する。絵画の線描は平板の上に、影および線と角の縮小によって凹凸を示そうと努力する。一方、建築家は影をさけて、同じ凹凸を基礎の略図(平面図)に書き、各正面の形と大きさおよび側面を別の図(立面図)で具体的な線と実際的な角度によって示す。それは目に見える通りの形象を図に示そうとするものではなく、確定し算定した寸法を記入しようとする図面である。」9*

 ここで述べられているように、建築ドローイングにおいて求められるのは、絵画とは異なった客観的描写であり、「目に見える通りの形象を図に示そうとするものではなく、確定し算定した寸法を記入しようとする図面」だと考えられていた。ルネサンス期といえば、遠近法が確立された時代であり、絵画表現においてはなによりも三次元の空間表象のイリュージョンを描くことが目指されていた時期である。建築ドローイングにおいてはそれとは全く逆行する形で遠近法ではなく平面への投射が理想的と考えられたという事実は、建築ドローイングというものが独自の合理性を要請されていたこと、そしてまたそれが施工の指示という建築家に対する職能上の要求に発するものであったことを我々に教える。

③を読む


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2* Sennott, ENCYCLOPEDIA of 20th-CENTURY ARCHITECTURE
3* drawingという語は「図面」と訳されるであろうが、日本語で「図面」といった場合、絵画的なものは含めず、施工用図面などのように厳密に幾何学的に作図されたものに特化して用いられることが多いように思われる。この点原語のdrawingに比べると語感としてやや狭義のニュアンスがあるため、本論で扱うような多様な対象に適用するにはやや難がある。そのため文中では片仮名書きの「ドローイング」を採用し、これに統一した。
4* ジェンキンズ『建築家とパトロン』, p.5-6
5* Blomfield, Architectural Drawing and Draghtsmen, p.15
6* ジェンキンズ『建築家とパトロン』, p.28
7* Blomfield, 前掲書 , p.5
8* ibid.
9* アルベルティ『建築論』p.38


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