さよならだけが人生か。でもさよならにも言い方がある。(09)

12月1日。
仕事の打ち合わせで不在にしている間に、
母の主治医から弟のほうに電話があったらしい。

帰宅後すぐに主治医に電話。
口から食べることは、もうできないという話を
母にしたところ、落ち込んでしまい、
「死にたい」と言っているので、
一度面会してほしいとのことだった。

翌々日の12月3日の夕方、
弟と一緒に母の面会をする。

弟とは、あらかじめ打ち合わせをして、
いまは口からは食べられないけれど、
嚥下のリハもしてくれるリハビリ病院を
手配しているところなので、
いつかまた口から食べられるように
そこでリハビリをがんばろう、
と話すつもりでいた。

頭と膝の部分が半分起き上がったような
かたちにされたベッドの上で、
母は、頭を動かすのも、目を開けるのも
つらそうなようすだった。
手には経鼻胃管を抜かないように、
丸いミトンの手袋をはめさせられている。

夢と現をいったりきたりしているのか、
ものすごく饒舌で、
打ち合わせ通りの話をすると、
「わかった、ありがとう。がんばるね」
と言った。

さらに
「あんまり悪いふうに考えても仕方ないから、
できることをやっていくしかないね。
みんながそれぞれにがんばろう」
などと、違和感をおぼえるほど前向きで、
かと思えば、ふいに、
「昨日電車で帰り道に、あんたひとりで
一回家に帰ったでしょ?
あのとき、やっぱり3人でいなきゃだめだ
って、思ったの。
それで東京を離れなきゃって思って、
ゴミ箱の中を探したんだけど」
などと、明らかにせん妄状態にあるのかな、
という発言へとシフトする。

この日は結局、
「がんばる」「前向きに」「昨日電車で」
の3つのモードをいったりきたりで、終始した。

看護師さんにきいたところ、
この日の昼は、経鼻胃管を抜きそうになるので、
ミトンをベッド柵に
固定されたことで混乱したのか、
「おまわりさん、助けてください」
と大騒ぎしたらしい。

認知だけは割としっかりしていた母だが、
主治医が「認知症がでてきている」と言っていた
意味が実感をもってわかった日だった。

そして同時に、私としては
認知がはっきりしていて鬱気味よりも
認知がぼんやりしていて
前向きな母を見るほうが、
ずっと気持ち的には楽なのだということに
気づいた日でもあった。

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