さよならだけが人生か。でもさよならにも言い方がある。(05)

11月19日。
感覚的には11月18日の夜中の2時半ごろ。
「頭が痛い。割れるように痛い」という
母の大声で目がさめる。
お互いのために、深夜から朝5時までは呼ばない、
という約束なっていたのに!と思わず怒ってしまう。
「ヤブ」が出してくれた薬だって飲んだのに、
なんで??と思ったが、本当に痛そうにしている。

本当はいけないのだろうけれど、
市販で買った、からだにやさしいとされている
鎮痛剤を飲ませる。

少し様子を見守るが、やはり心配なので、
30分後に東京消防庁の
救急相談センター#7119に電話する。

日中に肺炎の診断をされていること、
熱が下がらず、本人が息苦しさと
頭痛を訴えていることを伝えると、
すぐに救急車をまわします、とのこと。

15分後には救急車がきて、
3人の救急救命士が、ていねいに
玄関で靴を脱いで上がってきたのに、
なぜか冷静に感動するあたりが、自分自身、
海外生活長い症候群だなぁと思ったりした。

母がパーキンソンで6年前からかかっている
専門病院とおなじ敷地内にある総合病院に
搬送される。

ロンドンにいるときは、
現金を持ち歩く習慣がないこともあり、
このときも、母の保険証や診察カードなどを
まとめたポーチのほかには、
クレジットカードしかもたずに、
救急車に同乗した。

私自身はマスクをしていたが、
母にマスクをすることを思いつかず、
病院で「そこの自販機で買ってください」と
言われるも、現金がない。

幸い、かばんのなかに、
予備があるのを思い出し、ことなきを得たが、
現金の重要さを再認識した。

応急処置を経て、頭痛が落ち着いたのか、
「喉乾いた」「お腹すいた」
「ジュース(栄養ドリンク)が飲みたい」と
食欲をしめし始めた母だが、
なにぶん誤嚥性肺炎で搬送されており、
嚥下の問題があることは
火を見るより明らかなので、
医師からしばらく待ってくださいと言われる。

その後いくつかの手続きを経て、
同じ敷地内の神経関係の専門病院のほうに、
入院となった。

その後もろもろの流れのなかで、
非常階段近くのベンチに私だけ通され、
そこで、準備が整うのを待つことに。
ここで3時間以上待たされることになった。

12時ごろ、ようやく病室に通される。
嚥下に問題があるため、鼻から管を通して、
薬をいれるしかない、とのこと。
こちらからは、母の意向をくんで、
鼻からの管はあくまで一時的なもので、
口で食べることにこだわりたいことを伝える。
その場合、「延命はしない」に
サインをしてもらうが、それでよいか
という医師からの確認に同意する。

母はあくまで鼻から管を
入れられるのを拒んでいたが、
肺炎の治療に必須であり、
肺炎が治ったら、
口から食べるリハをする方向だから、
今回ばかりは選択肢がないから、
と言い聞かせた。

施術が終わりましたから、と病室に入ると、
鼻から管を入れ、下からは尿管につながれた
母が横たわっていた。

ぎゅっとつぶった目に涙が浮かんでいて、
その母に別れを告げるのがとても苦しかった。

コロナ禍で面会は禁止されているから、
次に会えるのは、退院時、
または病状が悪化したとき、
ということになる。

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