さよならだけが人生か。でもさよならにも言い方がある。(04)

11月18日。
朝から母の体温が高い。37.2℃くらい。
パン粥、柿とバナナとヨーグルトのスムージー、
栄養ドリンクをもりもり。食欲はあるようだ。

正午に訪問看護の看護師さんが到着。
少し横になって寝たら?と言われるも
「寝たきりになりそうで怖いから」
と頑なに横にならない母。
たぶん、ほんとうに
ギリギリの土俵際だったんだろうな、
と振り返ると思う。

看護師さんに「医者に診せたほうがいい」と
促され、当日でも受診できるのと、
近い、というだけの理由で、やむを得ず
「ヤブ」で有名の近所の医者に電話をする。

老人が多く住むエリアで、
ホテルのロビーと見紛うほど、
やたらと華美な内装だったり、
町医者なのに、MRIなど
高額の医療設備をもっている
医者は(すべてとはいわないが)たいていは
バッドニュースだと思う。母を通した経験上。

歩いて3分の距離だが、
母はもちろん歩けないので、
介護タクシーを予約して、
家のドアまできてもらう。

母は以前から膀胱炎とか
尿路感染症とかにかかりやすく、
今回もそれを疑っている旨を、
「ヤブ」の医者に伝える。

パラパラとお薬手帳を見ていた彼は、
「あー、3月にもそれでほかにかかってるのね。
じゃあ、同じお薬だしておきましょうか〜」
などとほざくので、
「ご覧のとおり、身体が不自由なので、
きかなかったら、また来てくださいというのは、
簡単にできることじゃないんです」
と伝えたら、え?という感じ。
「どういう意味ですか?」とすっとぼけるので、

「ちゃんと検査もせずに、適当な薬を出されても、
その薬がきかないからといって、
なんども足を運べないということです。
ちゃんと検査をして、原因を同定してもらえますか?
尿の採取も、トイレでできない人には、
尿管を使ってできますよね?」
と一息にたたみかけてしまった。

はー、そういうことね〜、という感じで、
「じゃあ、時間かかるけどいいですかぁ?」と。

この「時間がかかる」は嘘ではなかった。
尿検査、採血、レントゲンと、そのたびに、
ながながと待たされ、結果5時間も、
母は小さな車椅子に身体を
沈めていなければいけなかった。

この5時間は、母の身体には
負担になったと思うが、
発熱者用の小さな診察室でふたりきり、
介護される側とする側という関係ではなく、
ともに「ヤブ」と闘う同志という関係ができて、
この3日間にはもてなかった、
やさしい気持ちになれたように思う。

長い長い診察の結果、わかった熱の原因は、
誤嚥性肺炎だった。

「薬が効くかどうかわからないので、
1日分出しますから、明日またきてください」

まったくどの口でいうのか、わからなかったが、
反論するには疲れすぎていたのと、
この薬で効かないときは、別の病院に行こうと
決意をきめて、形式上翌日の予約をいれて
介護タクシーで帰宅した。

帰ってから、生まれてはじめて
母のリハビリパンツをベッドの上で替えた。
脱がすときに、ここを切ると簡単にできるのよ、
と母に教えてもらい、
しっかりお尻を拭いて、履き替えさせた。

「自分がやってもらったことを、
やってあげる立場になるとは、感慨深いね」
とふたりで少し笑った。

いつの頃からだろうか。
母がパーキンソンだとわかって、
ケアマネさんとのやりとりや、
見守りについてなど、私が中心になって
プランを考えるようになってから、だろうか。
母は床に入る前にかならず
「今日も一日ありがとう」
と言ってくれるようになった。

この日も、同じ言葉で、母は眠りについた。

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