さよならだけが人生か。でもさよならにも言い方がある。(32)

1月27日。
すごい一日だった。
朝から、訪問医療のクリニックに面談に。
父の在宅での看取りもしてくれたクリニックで
自宅での緩和治療に力を入れていて、
父のときには、大変助けられた。

が、父のときに面談に行った弟は、
医者の態度が偉そうなのと、説教をされたのとで
たいそう立腹していたのを覚えている。

私は偉そうにされることに関しては、
あまり意に介さないが、
病院での点滴が多すぎるために、
母は、いま拷問にあっている状態であること、
(これは多くの在宅医療の医師が指摘することらしく、
私が読んだ在宅死に関する本にも同じ記述があった)
病院の医師に任せる旨、同意をしてしまったことが
そもそも間違いだったこと、
経鼻胃管など入れたら、こうなるに決まっている、
長く生かすためには胃ろうにしたほうがよかったのに、
という、これまでの「間違い」を
延々指摘してくることには、辟易した。

「すみませんが、これまでのことではなく、
これからのことをご相談したいのです」

話の流れを変えるために、
わかりきったことを一応口にしてみた。

「あなたが家でお母さんを
看取ってあげることはできるの?」

って、要するにここまでの話は、
家族の気持ちをそっちに持っていくための
導入だったということだろうか。
その枕は、私には不要だったのに。

「その話をするために、私はここにいます」

そこからの話は、有意義だった。
明日にでも自宅に戻せれば、
クリニック側としては、24時間で対応するし、
看護師も一日おきに派遣すると。

いま1500ミリ入れている点滴を
500ミリに減らせば、
肺への負担が減って、
呼吸も楽になるはずだし、
痰も少なくなるだろう、そうなれば、
吸引もさほど必要ではなくなるはず、
介護用ベッドさえ用意できれば、
痰の吸引機も貸し出しするし、
酸素の機械も手配してくれるという。
ありがたい。

ケアマネさんと、病院の退院支援担当に連絡し
明日、退院させたい旨を伝える。

その後、夫と自転車で病院へ。
夫にとっては2年ぶりの母との再会だが、
22キロにまで体重が減って、
苦しそうに酸素マスクのなかで呼吸する母は、
しばらく目を開けることができなかった。

20分ほど話しかけていただろうか。
ゆるくうっすらと目を開けて、
私と夫の姿を見た。
なにか言いたいことがあったのかもしれない。
でも言葉にはならなかった。

今日は3人ほどの看護師さんに会ったが、
「大丈夫? がんばってね」
「覚悟が必要だと思うけれど、
気持ちを強くもってね」
などと声をかけられた。
不安はもちろんあるけれど、
どう考えても、私にはこの一択しかないので
最善を尽くすしかない。

介護ベッドの搬入が午後3時半頃にあり、
午後4時には酸素の機械が搬入された。
民間救急の車両と救急救命士の手配がなされ、
明日の午後1時の退院が決まった。

夕方、病院の主治医から電話。
明日不在にしているので、ということで、
電話をくれたらしい。
「あまりお役に立てなくて……」
と言われたけれど、
コロナ禍で自由に面会できないなかで、
毎週のように電話をくれて
経過を報告してくれたのは、
とてもありがたかった。

本人が苦しんでいる、ということを、
正直に伝えてくれたのも
彼女の誠意だったと思う。

「最後にお伝えしておかなければいけない、
と思うのですが」
と言いづらそうな前置きのあとで、
「こちらでは、病理解剖をすることも
できますので、もしも希望がありましたら」
とのこと。
たぶん、しないと思うが、
選択肢を提示してくれたのは、
これも彼女の誠実さだと私は受け止めた。

嵐のような一日だった。
けど、本番は明日から。
いよいよ最後の介護が始まる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?