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№5420:教育とか指導というのは「聖なる任務」である

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こんにちは。遠藤です。
※過去分(4740回分)はこちらにあります。

さて、情報ビジネス等では「知識格差」という言葉がよく使われます。

これは「あなたより知識がない人が、あなたという自分より知識がある人に教わりたいと思う」という考え方です。

で、「だからあなたにも教えることができる!(誰にでもできる!)」となります。

が、本当にそうでしょうか。

私は完全に異論があります。

明確な理由は「人は知識を教わりたいのではないから」です。

人が教わりたいのは「人生」です。

それも「より良い人生」です。

であるならば、あなたは「良い人生の実践者」である必要があります。

諸説ありますが「自分の人生」をやっている人は5%程度しかいないといわれています。

中には1%という人もいます。

要するに「ほとんどいない」ということです。

「ほとんどいない」のに「誰にでもできる」というのはおかしなことだと思いませんか。

こうなるのは「儲ける人間」と「情報弱者」がいるからです。

「儲ける人間」、つまり「仕掛けている側」は「誰にもできます」というもっともらしい理由をつけて「情報弱者」を洗脳します。

が、そこまでの人生がパッとしない多くの「情報弱者」は、その教えを学んでも一向に結果を出すことができません。

これは当然ですね。

「自分の人生」さえ良くできないのに「他人の人生」を良くできるはずがないからです。

このことはトレーナーとかインストラクターでも同じことが言えます。

一般の方々は「正しい身体管理法」についてまったく知りませんから、本で読んだような「知識」を使えば、そこに「格差」をつくることができます。

が、これは「マシンの使い方レベル」の話までです。

「本で読んだようなこと」を人に伝えてお金をもらうようなことをしてはいけません。

某伝説の指導者は「教育とか指導というのは『聖なる任務』である」という主旨の言葉を遺されました。

この考え方を知った瞬間から、私は強権型のマネジメントを展開していた過去の自分を全否定するようになりました。

「知識格差を使え」

「誰にもできる」

「聖なる任務」がそんな態度でできるわけがないと思います。

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