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プーチンの世界~「皇帝」になった工作員 (著)フィオナ・ヒル/クリフォード・G・ガディ

おつかれさまです。本日は単行本の紹介です。522ページとボリュームがあるが非常に興味深い1冊です。

「プーチンとは何者なのか?」
庶民の家庭に育って、一介のKGB職員だった男がどの様に大統領にのぼり詰めたのか?経緯や背景が描写されています。

素顔に迫るために「国家主義者」「歴史家」「サバイバリスト」「アウトサイダー」「自由経済主義者」「工作員」という6つの側面「ペルソナ」から多面的に捉えている。

結果として、プーチンの謎をかなり解明している最良の教科書だろうか。

「私たちは、ロシアにたびたび驚かされ、さらには衝撃を受けてきた」と綴っている。そして今もその「指導者」に惑わされ続けている。

ロシアはどこに向かうのか?錯綜する情報が多い中、精緻な分析と検証を重ねた本書は、確かな情報源となるでしょう。

本書のPOINT
①プーチンの出自などの基礎事実さえあやふやだ。公式な情報が少なく、かつて存在した情報は隠蔽されている。

②プーチンの思考回路や世界観の全体像に迫るには6つの側面から分析する必要性がある。

③愛国主義者の多いKGBで勤務していた過去から、正に国家主義者を自称している。

プーチンとは何者か?

プーチンの望み

1991年のソ連崩壊に伴って、クリミア半島はウクライナに引き渡された。国家が分断されたと捉えるプーチンにとってはクリミア併合は「失われた領土」の再併合という宿題だった。欧州の安全保障上、併合は大きな打撃となった。

なぜ、プーチンはあんな事をしたのか?望みは何だったのか?ずる賢く、強欲で、権力に飢えた、独裁的な指導者というのは一面に過ぎない。

ウクライナへの行動は、2000年代の試みの延長線上にある自然な成り行きだった。また、彼の民族主義的な発言や併合の決断を、新たな「帝国主義」思想と見る向きもあり、旧ロシア帝国を復活させようとしているとの見方だ。

プーチンの経歴

1952年にレニングラードで生まれ、兄弟の中で唯一生き残った子どもだった。レニングラード大学で法律を勉強し、卒業後にソ連の情報機関KGBに入った。KGB時代にケース・オフィサー(工作員)となった後、大学に戻り学長補佐官を務めた。また法学部時代の教授がサンクドペテルブルク市長になった際に、貢献したプーチンは副市長に抜擢された。

大統領の資産管理の職務のために96年にモスクワ・クレムリンに異動、数々の要職を歴任した。98年にはKGBの後身、ロシア連邦保安庁長官に就任。
99年にはエリツィン大統領に首相に任命された。そして、2000年に大統領となった。これらの基礎事実さえ、情報源は曖昧の様だ。
著名時にしては、公式情報が驚くほど少ない。かつて存在した情報は隠蔽され、歪められ、消失した

90年代に起こった政治生命を奪いかけた有名な醜聞も、関係者ともども資料が闇に葬られた。
2年半足らずで大統領府副長官から大統領代行へと大出世した理由も、自伝のインタビューでさえ多くを語っていない。
確かなのは、プーチンが自ら運命を形作ったことだ。

プーチンの多面性

人格の多面性に焦点を当てて、人物像を浮き彫りにした。素顔を暴き出すには、パフォーマンスや政治的ブランドを成す「入念な見せかけ」に惑わされず、その深奥を見極める必要がある。
思考回路、世界観を見出すために、それを作り上げるペルソナの解析を試みる。
「国家主義者」「歴史家」「サバイバリスト」「アウトサイダー」「自由経済主義者」「工作員」の6つだ。

前の3つは多くのロシア人に当てはまる一般的なペルソナであり、国家観、政治哲学、そして1期目の大統領時代の考え方の土台となっている。
後半の3つは、より個人的なペルソナだ。
目的達成のために用いた手段と深く関連する。労働者階級が集う地域で過ごした幼少期や国内外でのKGB任務、90年代のクレムリンでの目立たない職務などだ。全て、独自のスキルと経験を与え、大統領にのしあがる基礎となった。

6つの顔

国家主義者

1999年12月29日にロシア政府サイトに、プーチンの署名入りの論文「新千年紀を迎えるロシア」が載った。2日後にプーチンに大統領を引き継ぐことが宣言された。これは、プーチンの政治的使命の声明であり、統治システムを理解する鍵となる。
論文では、「ロシア思想」はあらゆるものを今まで以上に固く結びつける「合金」であるべきと説いた。思想の中心には愛国心、集団主義、常に外国に影響を及ぼす大国という信念などの固有の価値観があった。

強力な国家は秩序の保証やあらゆる変革の源であり、プーチンは国家の指導料や統率力を取り戻すと約束した。自身を「国家の建設者、国家の公僕」だと宣言した。

歴史家

ソ連の過去の指導者と同様に、「好都合な歴史」が果たす政策上の役割を知っており、歴史は社会や政治をまとめ、集団のアイデンティティ形成や連携を促すことができる。

ロシア史を頻繁に引用し、社会の変革や革命を阻止し、国家統一の維持こそが最重要だと訴えてきた。

お気に入りのフレーズは、「われわれに必要なのは偉大なる変革ではない。偉大なるロシアだ」である。

サバイバリスト

プーチンは、第2次世界大戦中のロシア史の暗黒時代をを生き抜いた人間の子孫だ。この生存の歴史こそ世界観を形成する要素だ。
大戦中、プーチンの父はKGBの前身部隊に所属だった。敵陣のナチス占領地へと送られ、主要インフラ破壊が任務だった。レニングラード郊外での作戦では、隊員28名中24名が死亡する惨事だったが、父親は生還した1人だった。
ナチスによるレニングラード包囲戦の間、砲撃や飢餓などで67万人の住人が亡くなり、プーチンの兄弟も犠牲になった。

戦争や困窮というサバイバーとしての共通体験こそが、ロシア国民を「常に最悪の状況を予想し、備える人間」“サバイバリスト”に変えてきた。特にレニングラード出身者はその傾向が強い。
戦争直後に生まれたプーチンは、家族や他の市民の苦しみを痛感している。

アウトサイダー

庶民の家に育ち、家族はインテリ階級でもなかった。KGBにおいても上層メンバーに選ばれることもなかった。
ゴルバチョフのペレストロイカ(変革)の間もアウトサイダーで、東ドイツに派遣されていた。ベルリンの壁崩壊後も留まり、当時の若者が抱いた「西側」に対する幻想や解放感も体験していない

こうして、常に政界の外側に立ち、争いを俯瞰し、行動を観察し、事態収拾のタイミングを見計らう人物のイメージが作り上げられた。

自由経済主義者

プーチンは東ドイツ駐在時代に「経済」の矛盾に気づいた。東ドイツは、人的蓄積など、ソ連にない利点が多くあったにもかかわらず破綻した経済を間近で目撃し、共産主義体制下での変革の難しさを実感した。
2001年に打ち出したフラット・タックス(一律課税)制度は、アメリカの自由市場支持者に「世界の模範」とまで評価された。

ケース・オフィサー(工作員)

KGB時代にスパイ行為や情報分析も担っていたが、最大の職務は協力者、エージェントの獲得だった。実践的スキルはこの仕事を通じて体得した。

インタビューでリーダーとして役に立ったものは?と聞かれ、2点あげた。
1つ目は、人間に対処した経験だ。対処するために、対話や関係作りの能力が要る。
2つ目は、大量の情報にうまく対処する能力を挙げた。

プーチンはKGB時代に2重スパイの獲得に関わっていたと指摘されている。2重スパイは、一層の忍耐や繊細さとともに、より威圧的な態度と非情さが求められる。

この6つのペルソナを見ることで、世界を混乱の渦に陥れている張本人の行動原理について、理解が深まるかもしれない。

その他、「忍び寄るプーチン疲れ」「プーチンの敬愛するアメリカ人」「ケース・オフィサー流のウクライナ対応」など読みどころ満載な内容になっており、興味ある人は一読してみてください。

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