見出し画像

ユタになる、と言った。

 先に離婚を経験したので、メモを残しておこうと思い立ちました。

 「わたしは、ユタになるの。」

 あの人は、ある日そう言った。
 故郷の沖縄で師匠について、3年ほどの修行を経て、ついには職業的なユタになるのだと。
 それなりに衝撃的な宣言ではあったけれど、兆候は以前からあったので唐突には感じなかった。
 あの人のお祖母さんが、生前は御願者(ウガンサー:祖先祭祀を執行する職業的な司祭者、祈願者と理解される。)であったらしいことや、お祖母さんの家にはひときわ大きな仏壇があることは知っていたし、あの人がお祖母さんの血を引いて、神事や霊的な事柄への鑑があるらしいことに気付くこともたびたびだった。
 少なくとも3年の間は沖縄で修行をして、その後は沖縄でしか需要がない職業的なユタなるということは、すなわちこの家を出ることを意味していた。

 「櫻井德太郞著作集6 日本シャマニズムの研究 下 ‐構造と機能‐」1988年「第7章 召名巫の生態と入巫‐沖縄のユタ‐」を参考にユタに関する説明を試みる(説明中※は筆者加筆)。

 ユタは、奄美・沖縄における呪術宗教職能者(シャーマン)である。東北地方の民間巫であるイタコなどと同様な巫儀を展開する。
 琉球の民間社会で、民衆の宗教的機能を担う職能者は、女性司祭者の祝女(ノロ)などのカミンチュ(神人、つまり神女。女性神役の総称)と、シャーマンとして活躍するユタなどの類である。
 前者(ノロ)は遙拝所聖地や御願場の宗教行事を司祭するもので、もっぱら部落・村落の公的祭祀や共同体の祈願行事に主役を果たしている。
 後者(ユタ)は、共同体内の個々の家や家族に関する運勢(ウンチ)、吉凶の判断(ハンジ)、禍厄の除災(ハレー)、病気の平癒祈願(ウグヮン)など、民間の私的な呪術信仰的領域に関与する。
 両者はともに共同体生活で重要な役割を果たし、住民の宗教生活と深いかかわり合いをもつにもかかわらず、別個の存在であるかのごとく差別されている。しかし、両者とも沖縄民間信仰の底辺を貫流するシャマニズムの根の上に立つものであり、沖縄の民間信仰を支える車の両輪といえる。
 ユタの多くはウマリユタ(※生まれながらのユタ)といわれ、ある日突然に神霊が憑依し、その召命によって入巫する。
 ナライユタ(※習いユタ)とよばれる修行巫もいないわけではない。
 ウマリユタなどは、幼少期にすでに常人と違った鋭敏な感受性を示し、異常行動に出るのでサーダカウマリ(サーは霊性を現す沖縄方言の「セジ」に由来。セジ(霊性)が高い生まれ)といわれて育っている。そういう人物が不幸な家庭環境や心身の異常に苦悩しつづけているとき、幻覚や幻聴が起こり、夢にうなされる。その状態をカミダーリィ(「神祟り」、「神懸かり」)と称する。
 サーダカウマリであり、カミダーリィに襲われる経験を経た者の中からシャーマンのユタが出現することになる。


 あの人のお母さんとお父さんは生まれ島が違っていて、自ずと民間信仰の背景も異なっていた。
 お父さんの生家は御願者であるお祖母さんをはじめ、ユタの信仰に肯定的であったけれど、そのような信仰に縁遠いお母さんにとってそれは、自分の想像を超えたもの、息苦しいものであったと考えられる。
 そうしてお母さんはお父さんと離れて暮らすようになる。
 あの人は、お母さんが暮らす部屋とお祖母さんが暮らす家を行き来しながら少女期を過ごした。お祖母さんの血を引いてのサーダカウマリ(霊性が高い生まれ)である自身の存在と、ユタの世界にとまどうお母さんの思いを抱えながら。

 祖先崇拝が盛んな沖縄においても、ユタに厚い信頼を寄せる人がいる一方、ユタの存在に否定的な人や存在自体を意識しない人は多い。祖先崇拝の儀礼的行事が簡素化していく現代にあってはその傾向はどんどん加速しているのかもしれない。
 沖縄本島の比較的街中で生まれ育った僕にしても、ユタ自体を目の当たりにしていると認識したことはなくて(認識しないまま会っている可能性はあるにせよ)、少なくとも僕が育った環境にユタの存在が現れる機会はほとんどなかった。
 そんな、信仰に関する複雑な背景を抱えるあの人と、信仰に無頓着な僕は、いったんは結婚して家庭を築いていく。
 はじめから、観るもの、聴くもの、読むもの、身につけるものすべての趣味が異なり、物事の考え方に大きな隔たりがあるふたりだった。けれど、地域医療に従事するあの人と故郷の振興行政に従事する僕は仕事と子育てに忙しくしながら、関東への移住を経て、住宅ローンと学資ローンを抱える平凡な家庭を形成していった。
 仲の良い夫婦ではなくて、それはあの人にも子らにも悪いことをしてしまったのかもしれない。それでも子らが「いい奴ら」に育ってくれたのはありがたいことだった。

 あの人は、親戚のおばさんや実のお父さんが亡くなられるたびにユタに接する機会を得た。そして、ユタへの親密さや関心の高まりとともに不思議な言動、行動が見られるようになっていった。
 たとえば、職場で同僚から変な絡まれ方をして、それがこじれて職場を転々とした。自宅のベランダから外を眺めて「あんなところから鳥が見ていてくれる。不思議ね。」と独り言を言いながら笑った。後になって聞いたのは、「あなたの役目は生来ユタなのだから、ほかの仕事に就くことは妨げられると言われた。」というものだった。僕がユタに関する図書を読んだとき、「ああ、あれが「カミダーリィ」だったのかもしれない。」と思ったものだ。

 「ユタになる」という意思表明があってからしばらくして、僕は離婚を切り出す。沖縄にしか需要がない職業的なユタなるイコール沖縄にはないこの家を出るということであり、また、あの人がいないこの家は、ユタの世界とは全く切り離されたものになる。

 学校を出て社会人になっていたふたりの子らを交えて、離婚の時期や財産分与の内容を次のように取り決めた。
○ユタになるための修行期間は3年が見込まれる。離婚の時期はこの家を出てから3年後とする。
○修行期間の3年間は僕があの人の生活費を負担する。
○財産分与は4人で取り決めた額とし、3年間の生活費とは別に計上する。

 僕はずいぶんと譲歩したつもりだ。できるだけすみやかに僕の家の世界とユタの世界を切り離したかったし、なにより、将来、子らが何らかの負担をすることがあってはならない。

 コロナ禍が始まった春にあの人は出て行った。僕は生まれて初めて(!)家計を担当することになった。娘とのふたり暮らしが始まった。まずはOisixを申し込んだ。
 あの人がいなくなってはじめて気が付いたのだけれど、あの人の僕を否定する言葉や態度は僕を軽い洗脳状態にしていたようだ。悔しい思いをしたときは物に当たることもあり、台所や部屋の片付けに逃げることもありで、結局はすべて逃げてばかりだった。小遣い制で経済的な呪縛もあったのかもしれない。

 今でもお金を自由にいくらでも使えるというわけではないけれど、否定され続けることがなくなって、僕は楽に呼吸をすることができるようになった。
 「ユミヨシさん、朝だ。」なんて言いたい気分だ。
 あの人は自分の役目を果たせばいい。僕とは異なる世界で。

参考文献
日本シャマニズムの研究 下 櫻井德太郎著作集第六巻 吉川弘文館発行
沖縄のシャマニズム 桜井徳太郎 弘文堂
シャーマニズムの人類学 佐々木宏幹 弘文堂

#話したいことがあるんだ

この記事が参加している募集