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泊まってはいけない民泊の地下にはゴーストタウンの闇が住んでいた【映画「バーバリアン」】

見た後には本当の野蛮人は誰なのか道徳観も問うジョーダンピールのような作品だった。最近の洋画はこういうホラー多い。

面接のためデトロイトに来た若い女性(ジョージナ・キャンベル)が予約した宿泊先に深夜に到着すると、手違いなのか既に見知らぬ男(ビル・スカルスガルド)が泊まっていた。不本意ながらもそこで夜を過ごすことにするが、やがて家のどこかから謎の音がしてそちらへ向かうと、予期せぬ客よりも恐ろしいものが待ち受けていた。

物語は3章に分かれており民泊となったデトロイトのとある家を舞台に、客、民泊のオーナー、元々住んでいた持ち主だった男という人物の3視点で時系列を辿りながら展開されていく。

序盤は主人公となる若い女性キャンベルが面接のため舞台となる民泊に泊まろうとするが、ダブルブッキングにより既に泊まろうとしていた男キースと不審ながら一夜を過ごさなければいけないという展開で進んでいく。

キースも女性に手を出さなそうな一見好青年ではあるが、キャンベルが寝るベッドのシーツをなぜか既に洗っていたり、洗濯の間に酒を誘うなど扱いは丁寧ではあるが絶妙な不気味さも残す。

キース役は映画「IT」のペニーワイズを演じたビルスカルドガルドだっただけに何かが起こしそうな醸し出す緊張感も素晴らしかったが、後半に続くただのフリに使われていたのはもったいなさも感じた。

予告や宣伝はこちらの場面を全面に出しすぎたのも評価に繋がらなかった原因だろう。

その後デトロイトのその民泊周辺の住宅地は既にゴーストタウンと化しており、地元の人間や警察からも放置された場所に一軒だけ残っていたのがその民泊の家だったと徐々に明かされ謎が深まっていく。

アクシデントによって家に閉じ込められたキャンベルは微かに物音がしていた地下から脱出を試みようとしたところでそこに住人がいる痕跡を見つけこの家の闇を知ることになる。

そこから民泊のオーナーであり性搾取により訴えられた映画監督の男、元々住人であり女性を監禁していた男のパートによって不気味さが浮き彫りになっていく。

地下に住み着いていた怪物と化した女性は元住人が地下に監禁した女性の子供であり、彼女はあそこ以外の外の世界を知らない。

元住人の男はあの地下で彼女に生きる目的を与えるために近親○○もしたわけだが子供は結局できず、母性だけが女性の象徴として残った。

彼女が終始怪物として描かれたのもあの地下で男に女性たちがされてきた憎悪や復讐心を具現化したものだったということだろう。

そもそもデトロイトという舞台の背景も盛んだった車産業が衰退し住民が如実に少なくなっていった代表的な都市でもある。
そうしてゴーストタウンは増え治安も悪化していったが、市民はおろか警察でさえ通報されても相手にせず、住人がいても0のものとして目を背かれ続けた惨状があの地下だった。

途中で元住人の男がオーナーの前で自決したのもようやく第三の目で裁かれる時が来たからだろう。それほどまでに外の目からともされることは無かった対比が地下と地上の描写だった。

地下から地上へ戻っても作られた惨状は同一でありどちらが野蛮な人間なのか皮肉もよく描かれている。最後のオーナーの男の行為と結末こそが映画タイトルの本当の意味であり時代の道徳観が訴えられる。

バーバリアン(野蛮人)は女性ではなく作中の男性すべてこそがそうだったという皮肉。

ホラー要素としては微妙だったが個人的には今後増えていくゴーストタウンを全て0勘定してしまえば因果応報の報復が返ってくるという問題提起の視点としても見るとあんまり笑えない話だったとも思える。






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