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デススト2は繋がりすぎたことで生じた「分断」への問いか【トレーラー考察】

ソニーによるState of Playにてデススト2の新たなトレーラーや発売日が2025年になることが発表された。

今回で2回目のトレーラー予告の発表になったがこれまでの動画を含めてデススト2の話をざっくり考察したい。


「我々は繋ぐべきだったのか」における‘‘跳ね橋部隊‘‘

デスストランディング1では孤立した世界と人々を配送によって「繋ぐ」テーマだったことに対し、

今作は「我々は繋ぐべきだったのか?」がテーマだと見える。

最新ティザーではフラジャイルは自分たちの組織を「跳ね橋部隊」と称しサムと共に孤立した世界をアメリカ大陸とは「別の場所」で再び繋ごうとはしている。

しかしブリッジズ社とは異なって「跳ね橋部隊」と称している通り、1とは「繋ぐ」ことの意味と問いが今作は変わった。

そもそも跳ね橋とは

城塞などの入り口に設け、不必要なときは綱・鎖などでつり上げておけるようにした橋。
2 船を通行させるときだけ、つり上げられるようにした橋。開閉橋。跳開橋ちょうかいきょう。

「必要なときと不要な時に合わせて開閉できる橋」としている。

1によって「繋がりすぎた世界」によって生まれたことに対して「一時的断絶」も加味した橋渡しとして今作では語られる。

これは脅威から身を守るための橋を上げることも想定しており、繋がることで新たに生まれた負の側面について問われることが大きなテーマとなると予想できる。

小島氏によると今作は感染社会によって生まれたシナリオらしく、1の制作中に続編として描いていたものを書き直されて作られたと語っている。


繋がったことで生まれた「アメリ信仰」

デスストランディングは人類絶滅を予見できるアメリが人為的に画策しようとして生まれたものだった。しかしサムの説得によってアメリは諦めデスストランディングは阻止された。

デススト2の2個目のティザーではアメリのようなマリア像が崇められる宗教団体組織が生まれている。


これをアメリを信仰する団体と仮定すれば、人類絶滅の近い未来は今なお変わっていない中でデスストランディングを望む勢力が再び現れ始めていると見える。

最新の予告ではその教祖と思しき人物の顔も明らかにされ、「アメリの顔をした男性」が正体でありおそらく中身は目元から考えるにおそらくヒッグスである。

ヒッグスは元々貧困を理由に配達業に生きる価値を見出したがデスストによってそれも奪われ、テロリストとなりサムの前に現れた。

デスストの首謀者となったアメリの意図を辿れば全て彼女に利用された象徴的な存在であったが、続編でもその信仰はサムへの復讐に変わりさらに固くなったか。

アメリは「あの世」と「この世」に繋がっておりあの世では時間軸が無限のビーチで存在し、この世では大統領として存在した。

マリア像がアメリカの赤に象徴している通り、前大統領を崇拝する人々がアメリを模したヒッグスの下に集まっている。

この辺も「我々は繋ぐべきだったのか」を問う象徴的な組織になっていると思える。カイラル通信が繋がり配送は機械化された中で彼らは新たな民間企業を設立し武器を製造し暴力で支配しているようなことも明かしている。

序盤では船が出てくるシーンもあり世界が横断しやすい世界にはなったがその分武器も入りやすくなった皮肉。

人為的な人類の滅亡は阻止された世界で人間は社会に対して必要のない世界となってしまい、アメリに対する信仰が生まれ、繋がりすぎたことで排他や暴力が生まれた。

最後にヒッグス?はサムに「お前も縄(繋げる橋)の代わりに棒(武器)を選んだか」と吐くセリフは彼らのその世界観を象徴していると思える。


魂と身体性におけるアイデンティティー

アメリの身体に入ったヒッグスと思える男性やBBなどはおそらく魂はそのままに、身体を移動して「この世」における生命の存在を繋いでいるように思える描写が見られる。

サムは白髪となり長い期間眠っている描写に比べフラジャイルやルーはあまり年を取っていないのが今作の「時間軸」の捉え方として気になるところだ

今回ではラストにある少女の身体を「桶」と表現しているところもあり、ヒッグスのような身体性を「入れもの」として捉える概念が存在していると思われる。

その辺もBBがサムと出会う4年前に焼却処分されたことと関係するのだろう。

またデススト1はアメリの魂が無限に存在することへの苦悩がデスストランディングの引き金にもなったが、

その続編として「この世」に置き換えたアイデンティティーの問いとして魂と身体性を「自己と他者」への認識について問い直す話になるのなら面白い。

実際にデスストのモデルとされた安部公房の著作にもそういった解釈はあるらしく、人間の関係性を「自己と顔と他者」によって説き、コミュニケーションや社会的なアイデンティティーを「顔」に重視して、顔を喪った場合は自己がどれだけ変質するかを問いていたそう。

個人的にはこの「顔」の問いは身体性として同じ問いができると思うが、おそらく感染社会で断絶したのちネットで全てが繋がった我々の社会に置き換える大きなカタルシスにもなると思える。

身体性がなくなった象徴として暴力や分断が簡単に行われたことも知っている我々には感染社会後の社会を風刺したテーマになるのはどの角度で観ても間違いないさそう。

その象徴となりそうなのがヒッグスの仮面やアメリの身体であり、ルーの謎になりそうなのが不穏であるが期待感も持たせる。

デススト2は完全に前作のアンチテーゼとして放たれる。




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