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悪魔祓いの「お決まり」を現代版に更新させたが、危ない続編に【映画「エクソシスト 信じる者」】

無数に存在する悪魔映画の祖となった「エクソシスト」の続編とあって、21世紀版の指針にする気概は見られたが微妙な作品に終わった。

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あらすじ
ヴィクターは妻を亡くして以来、娘アンジェラを育てている。ある日アンジェラは親友のキャサリンと森に出かけたきり、行方不明になるが、数日後に発見される。しかし、その日から彼女たちは突然暴れ出したり、自傷行為を行うなどの行動を繰り返すように。

今作は公開前から少女二人に悪魔が憑依することから現代の新しさが多く見える期待が大きかった。

亡くなった家族を降霊しようとしたら悪魔が降りてしまったという始まりは定番である。

少女をあえて人種で分けて二人にしたのは多様化した宗教性や文化の現代社会で、悪魔とどう向き合うのかという話に更新させたかった意図を感じる。

その点でこの続編のテーマも前作と地続きとなる「信仰」ではあったが、キリストの信仰が強固にしながら悪魔によって信仰が揺らいでいく神父の話であった1作目と

アメリカでも信仰が多様化した中で全員と一つに繋がる努力から始めて得体も分からない悪魔と向き合っていくアプローチから中身は大分違うものになった。

その多様の中でのアプローチを前作のクリスマクニールも登場させながら主人公の父を中心に映画中盤まで描いていくため、肝心な悪魔や神父の存在が薄れ途中でダレてしまう。

この辺は厭に前作エクソシストが指針として生んだ悪魔映画のお決まりを期待しすぎてしまった弊害もあるだろう。

それを現代版に更新していく気概も最後まで通してみられたが、個人的に新しい指針としては「危険性」もはらませる良作とは言えない作品にも思えた。

素人だけで悪魔を祓ってしまう危険性

先述したとおり今作は多様化した宗教の上でキリスト神話でもある悪魔とどう向き合うのかという信仰がテーマでもあった。

終盤にかけての祓いのシーンでは神父はまさかのビビりでリタイアし、家族とキリスト信仰の強い近所の人のみの「素人たち」だけで悪魔を祓う力技に。

ここで悪魔と神父のお決まりの対立構造も映画としての憑依のお決まりもなくなる。

この続編が現代の更新として持ち掛けたのは、どこの文化にも悪魔と祓いの儀式は存在し同じようなやり方を想定して行うということ。

悪魔祓いの専門家である神父は簡単にやられ、歴史も伝統も異なる住民のアプローチを単一化させ団結することの方が現代において強力でありそれを促す流れでもあった。

長い歴史や宗教性などでも悪魔儀式一つで異質な観念を持っている現実をある種簡単に均一化し、そちらの単純な信仰が最も平穏に導く話になってしまうのも良いとは思えない。

多様性を認めた作品のようで、信仰の自由や文化の多様性の尊重を上手く取りまとめていない点においても現代版に更新させようとした意義がよく見えない作品に終わったように感じる。

神父が簡単に負けてしまうことで現代の悪魔払いの複雑性を強調したかったのだろうが、多文化均一によって拒否権もない強制参加と素人だけで払ってしまうフォーマットにしてしまったのはポップカルチャーとしての影響を考えるとあまりよろしい作品ではなかったと思う。


現代に描かれる悪魔の共通点

今作は悪魔の名前も明かされず宗教的背景や歴史性なども考察する余地はない。

そもそもの悪魔の基本的な解釈は神が創った天使に抵抗したことで「自分こそが神」であると勘違いをし、天使の対立的な存在として生まれたとされる。

悪魔の最終的な目的は神として現世に存在することであり、だからこそその対となる神父に憑依することがエクソシスト映画のお決まりになったのだとされている。

悪魔が神父という大人の魂に憑依するためにはまずは精神的な動揺を誘い徹底的に弱らせなければいけない。そのために物心のつかない憑依しやすい子供の魂を使いポルターガイストや暴力で物理的に攻撃することが多かった。

ただ最近の悪魔映画は精神性を攻撃することが多く、過去の罪を持ち出して直接魂を弱らせることが定番化しつつある。以前ヒットした「バチカンのエクソシスト」でもここは共通する。

今作品でもその攻撃性は引き継がれ神父ではなく子供らの父を中心に攻撃していた。この辺もキリストの存在が弱まったことを象徴したい、現代の多様文化のテーマを持ちだした理由による新たな解釈なのだろう。

そしてこの攻撃の対策として描かれるのは悪魔の声をまず無視するということ。そして過去の罪を「懺悔」によって神の赦しを得るということである。

この辺りも現代の悪魔映画に共通している。そして二人の父を登場させたのもその判断によって明暗を分けさせる構成にしたわけだ。

あの流れであれば白人側の父はその後悪魔に憑依されるわけだが、彼ら自身の家族背景は全く描かれていないので正直胸糞になるこもなく特に感想が持てないまま終わるのも中途半端だった。

最後も悪魔のささやきも無視して最後まで信じる者が救われる終わりになっているが、その対象を危険な悪魔祓いに文化も宗教も超えた普遍化したものとして描くのは危険だし現代のエクソシスト映画としてかなりちぐはぐな続編になってしまった印象はぬぐえない。







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