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【プレイクリア】ウィッチャー3は戦後の悲鳴を剥き出しに全てを委ねられる。JRPG漬けのプレイヤーほどやるべし


友人も薦めて気になっていたウィッチャー3をプレイしクリアした。

メインクエストとサブクエ7割ほどはクリアし50数時間でメインシナリオは終えた。

先月で発売から9年前のゲームになるがPS5やスイッチ、steamの移植発売は続き未だプレイするファンや新規の圧倒的な高い評判も根強い。

自分はdlcも入ったPS4のコンプリート版をゲオセール980円で買えたので一番安価で始めるならこちらを薦める。

後に詳細も書くと思うがロード時間以外はストレスはなく、よほどサクサクプレイにこだわりある人以外は今でも違和感なくできる代物だったのでよかった。

ウィッチャー3とは

『ウィッチャー3 ワイルドハント』は、2015年にポーランドのCD Projekt REDが開発及び販売したアクションロールプレイングゲーム。アンドレイ・サプコフスキによるポーランドのファンタジー小説『ウィッチャー』を原作としたもの。

現在ではネトフリでもシーズンドラマ化されるほどで原作の世界観の高さがうかがえる。

原作の小説世界をゲームに落とし込んだストーリーは探索やアクションだけでなく、終始プレイヤーに会話による応答の選択を迫られる。

この選択によっては仲間が急に退場してしまったり、国政に関わる行方が左右されたりなどプレイヤーの選択が引き金になってストーリーが大きく分岐していくシステムになっている。

プレイヤーは荒廃した戦後の広大なオープンワールドの舞台の中で自ずと現実のような同じ緊張感を味わいプレイすることができる。

自分はキーラとヴェレンの男爵を思わぬ形で亡くしてしまった。プレイした人は分かるがこの辺の結末も日本のゲームでは考えられないほど、包み隠さない残酷な結末で終わることも多い。

オープンワールドにおける膨大な探索とシナリオのボリュームも確かに素晴らしいのだが、戦後世界における不安定な世界の現実を訴えかけられ委ねられるストーリーラインの緊迫感をゲーム世界に落とし込んだ大人のゲームとしても評価されるべきだろう。


ウィッチャーは世界救済するための「勇者」ではない


そもそもこのゲームにおける「ウィッチャー」とは何なのか。

平たく言えば魔法と人工的な突然変異として、怪物や魔物の脅威を駆除するために生まれた社会的階級の人間のことを言う。

主人公のゲラルトは決して世界を救う大義を持って動いていることは全くなくただ力を生かせる仕事だから戦っているにすぎない。

だから人間に依頼されれば相応かそれ以上の報酬をしっかり商談してから依頼を受けるし他人に無償の愛で受けるほどのお人よしな性格でもない。(この辺の裁量もプレイヤーには委ねられる)

しかしそれを職業としての偏見や根拠のない噂を流す市民は多く迫害を受ける対象にもなっている。

ストーリー序盤は恋人であった魔法士のイェネファーを探す旅から始まるのだが、戦後まもなく荒廃し治安も国家も宗教も不安定な世界での市民は当然のようにウィッチャーに対して差別し何を聞いても不親切なところからはじまっていく。

そんな始まりの中でゲラルトはウィッチャーの能力を活かしながら探索し、報酬によってサブクエの依頼を答えたり、人探しに関わる会話の選択によってディストピア化した世界の公共を再建するきっかけを与える「結果的な英雄」になる過程をプレイヤーも徐々に感じていくのである。

しかしその過程によってウィッチャーやその仲間も決して世界から評価されることは最後までない。

この話のメインとなるゲラルトの娘シリの行方を追い、その彼女を狙うワイルドハントを倒すことだけが彼らの最終的な目的にすぎないからである。決して世界を救済するために舞台に上がっている

その手掛かりを掴むための取引の一環として、ウィッチャーと同じように迫害された魔女を救ったり、各国の王に近づいて国の陰謀に手を貸したり、はたまた王の継承に役立てたりと国家規模の働きをすることになるにすぎない。

目的のため結果的に再建に役立ちワイルドハントから世界を救っただけに話はとどまり、シナリオをクリアしても彼らは王に目をつけられ、職業差別を受ける現状はあまり変わらないのである。

こうした戦後における人間の本能からくる不条理さと、一つの選択で平等に貴族から市民まで「死」が身近になる現実感を剥き出し表現のままプレイヤーに委ねられるゲームはそうない。

少なくともJRPGは世界を救う事を生まれたときから担われた主人公として活躍し、町の人間はみんなが笑顔で親切なファンタジー世界観のものだけに囲まれていた事がよくわかる。

このゲームにおいて安い善意ほど許されない。素直な気持ちを表現する人間はおらず、あるのはどの感情の会話であっても皮肉だけなのである。

日本人が世界でもよほど評価が高く神げー扱いする信者が多い理由もここから来るのだろう。


9年経ってもストレスはほぼないゲーム性のPS4版


ロード時間や画質、携帯性を重視するなら移行版であればあるほどいいだろう。

ただ個人的にプレイ環境に至ってはPS4版でもストレスなく遊べた。

またPS4版は移行版に比べて表現の規制も働いていると聞いたが、あれ以上の表現を見せられても目のやりどころがなくなるだけだと思うほど十分表現はされていた。

ゲーム性に至ってもパルクール後の若干のもっさり感と細い道に対応しづらい操作の繊細さが低いのが気になるところはあるが、9年前のゲームと考えれば許容範囲で世界観に没頭できる。

このゲームはサブクエの進行度もメインのエンディングの奥行きに関わるほど重要になり、クオリティが高い。

逆にいえばサブクエをこなさないとメインにおけるゲラルトと後に出てくる登場人物の繋がりや国家における市民の様子も全く見えないまま終わる。

それほどまでに親切なチュートリアルや説明もなく突然話が変化し進んでいくのだ。レべリング機会もサブクエにある程度は担われている仕様にもなるので序盤はやらないと悲惨である。

DLCも含めると自ずと100時間に迫るプレイ時間になるらしいので自分に合ったプレイ環境を選ぶことが必要な人もいるだろう。

自分はPS4でも十分楽しめる環境だったので改めて伝えておく。DLCプレイ後も終わればまた追記したい。


追記 DLC2本クリア ヌルかったボス難易度はかなり上がる


追加コンテンツの「無常なる心」「血塗られた美酒」もクリアした。

2本のメインストーリーだけで25時間ほど遊べ、血塗られた美酒はマップが丸々一本新たに追加される。

サブクエも合せるとかなりのボリュームになっていた。この辺はほとんどやりこみ要素となる設計図集めやおつかいが多いためメイン後に進めても特に失敗は起きない。

自分は無常なる心では商人二人のイベントと血塗られた美酒ではおとぎ話の世界の途中で発生するサブイベだけはこなした程度である。

大きなボスは3体ほどになる。厄介なのは序盤のカエルの王子様と3形態で戦ってくるラスボスの○○だろう。

何度もやりなおしてチマチマ攻撃しておけば誰でもクリアはできる仕様ではあったが、以前のメインシナリオはラスボス含め2回目があれば倒せる程度の正直ヌルい難易度だったので追加コンテンツで大きく改善されていてよかった。

声も漏れ出るぐらいの強さと厄介さは出ているので若干不評だったアクションもあからさまな難易度で応えたのには満足できる。

次回作あるならロックオンは追加してくれることを祈る。最後のラスボスは流石に視点に苦労してやりづらかった。

分岐するエンドも全てハッピーエンドで終われた。血塗られた美酒は終盤に連続する会話の選択一つで変わるらしいのでに公爵姉妹に向けた大人の理解を持てるかどうかで影響する。

シリは引き続きウィッチャーとして生きゲラルトの元にまで戻ってきた。

女帝エンドもあったらしいがシリの意志を守りあらゆる憑き物から解放された姿はゲラルトを超える清々しさすらある。

人々のウィッチャーへの意識は変わっていない様子も語っていたが、吸血鬼がそうであったように近代文明の発展とともに怪物の存在から忘れられ普通の生活に溶け込んでいく姿も自然の成り行きになるのだろう。

穏やかな家と畑を手に入れたゲラルトとともに二人で幸福を語りながら終わるのもいいエンドだった。

アクションの難易度も面白くなり、オープンワールドマップの広さとともに家や畑による暮らしのシュミレーション要素も加わって文句なしの追加コンテンツだった。

10年経とうとしてもゲーマーから神ゲーと言われる所以はたしかに確認できる70時間になった。






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