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#4 短編空想怪談「母の愛」

僕の母は過保護だった。
どれくらい過保護かというと、中学生になるまで『包丁は危ないから』と料理の手伝いはさせなかったし、
一人だけの外出も中学生になってから、しかも門限は17時。
それを越えるとケータイに『いまどこにいるの?』『早く帰ってきなさい』『今日はカレーだよ』とにかく僕に連絡をする。
じゃ、近くにいたらどうかというと、これもかなり一緒に居るのは辛い。
なぜなら、母の自慢のネタは常に僕だった。
やれ、時々テストで100点を取れば直ぐに近所に触れ回る。
特段ネタがなければ、僕の容姿や、行動。
例えば自室の掃除をしたとか、
その程度で自慢のネタにされる。

一番嫌だったのは、僕の将来を決めつけてくる事。
高校も卒業間近、進路をどうしようか、僕は特に考えてなかった。
就職か進学か。
何となくまだ遊びたかったので、
僕でも受かりそうなテキトーな大学に行きたかったのだけど、それが母の逆鱗に触れた。

母は『あなたのしたいことはなに?何かあるハズよ。何になりたいの?弁護士?お医者さん?あ、前に音楽の成績良かったから作曲家とか?』

その時、母の過保護の正体を見た気がした。
たぶん母にとっての自慢が、僕しか無かったらしい。
この期待っぷりに嫌気がさし、先生と相談して東京の一番偏差値の低い大学に行って一人暮らしをする事にした。
全部僕が勝手に決めた。
母は激昂した、『お前をそんな子供に育てた気はない。勝手にしろ』
僕は本当に勝手にした。
父は好きにしたらいいと言って、引っ越しの日にある程度生活費の足しにと少額のお小遣いだけくれた。

その数年後
父から電話で母が亡くなった事を知らされた。
自殺だった。

葬式の為、帰省。
遺品整理や父と話しをしたり。
僕が引っ越してからの母は割りと普通に暮らしていたらしく、特に悩んでいたり、不安定になったり、自殺の兆候らしきものは無かったと聞かされた。

葬式も終わり、遺品もあらかた残すもの、処分するものも分けて、僕も東京に戻ろうかと思った最後の日だった。
父しか使わなくなった寝室へ入り、『ああ、本当に母さんは死んだんだ』と思っていた時、ふと見た窓ガラスに母が写っていた。

驚きもあったが、ガラスに写った母が押し入れを指差していて、それが気になり、押し入れを開けると、大学ノートの束があった。
冊数にしてゆうに100冊は越えていた。
ノートを開くと、支離滅裂だがどうやら日記のようで、びっしり文字で埋め尽くされていた。
そこには母の文字で、『弁護士試験に受かった』『今度医者になることが決まった。』『研究室に入った』とにかく僕が成功したという喜びの日記で埋め尽くされていた。

直ぐに父に問いただすと、僕が引っ越して居なくなってから、本当は母は壊れたらしい。

僕が東京へ行ったのは医者や弁護士、警察、作曲家や社長になるためだとか、とにかくエリートになるため上京したのだと触れまわった。

最初の内は近所の人も信じたが、その日その日で言動が違ったせいで、その嘘は早々にバレた。
それでも母はそんな嘘を触れ回った。

父は『お前に心配かけたくなくて連絡しなかった』と言っていた。
母の最後の行動は、家で暴れた果てに、
この世に怨みを残して自殺した。

『誰も私を信じない。
私が正しい。
私の子育ては完璧。
誰も私を認めない。
私はあんなに頑張ったのに。
あなたは無能。
私だけが頑張った。
私だけが正しい。
私が
私が
私が
私が
私が
私が
私が
私が
私が正しい、お前たちは間違ってる。
あの子だけが私の正しさを証明してくれる。』

これが母の最後の言葉。

こう言われた父はカッとなり
普通の現実を叩きつけた。
『あの子はお前の正しさを証明する道具じゃないし、今は大学生で、今年卒業する。
帰るかは分からないが、無事に何かしら仕事につければそれでいいじゃないか』

それを聞いた母はそのまま自殺、父の目の前で自分の首を包丁で切り裂き亡くなった。


父は『すまない』とだけ言った。


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