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#5 短編空想怪談「夫の記録」

「これは私の最後の記録だ。

私の家族構成は妻、娘、息子、至って普通のどこにでもある家庭。仕事も大学を卒業後、何事もなく就職し10年以上は働いていた。ところが30歳半ば過ぎにして、身体に異変が起きた。右脚が突如、痛みと共に動かなくなったのだ。

その日は会社を休み病院へ行くも、医者の見立てでは、何も異常が無いという。とりあえず様子を見てくれと言われ、一旦家に帰ったのだが、家に着く頃には、不思議と痛みも無く、嘘のように脚が動く。

一体痛みの原因はなんだったのか皆目検討がつかない。それからまた2〜3ヶ月は何も無かったのだが、また右脚に痛みが走った。今度は見た目で分かる。太腿から下が赤黒く変色していたのだ。直ぐに救急車を呼び、病院へ。

原因は不明だが、右脚全体が壊死していて、すぐさま緊急手術により、右脚を切断。私は絶望の底へ叩きつけられた気分だった。だが、これは始まりに過ぎなかった。

切断面の傷口も塞がり、ようやく退院した頃だった。次は左脚が赤黒く変色し始めたのだ。左脚も同じく原因不明の壊死、そして切断。私は自らの脚で歩く事はおろか、立つ事さえ出来なくなった。

原因不明の右脚の痛みからもう一年程が経とうとしていた。左脚も切断面の傷口も塞がり、それからは何も無かった。そうして、車椅子の生活にも慣れた頃だった。

次は左手が痛みだした。

この時の痛み方は尋常ではなかった。何か刃物の様な物を何度も突き刺した様な感覚があった。だが出血も無く、ただただ酷い痛みが左手から感じられる。

そしてまた原因不明の壊死。左手も切断を余儀なくされた。残ったのは右手だけになった。
私はもうどうすれば良いのか分からなくなっていた。右手だけで、どう生きていったらいいのか。

この頃になると、妻の方が働きに出て私は家に居るようになった。幸い子供は二人とも小学生に上がっていたので、子育ての面では大きな問題にはならなかった。

両脚左手を無くし、数ヶ月経ったある日、同窓会が開かれるという連絡を受けた。この酷い身体を見られたくなかったし、あまり気乗りはしなかったのだが、妻からも、『気分転換も兼ねて行ったら?私も一緒に行くよ』と後押しされ、同窓会へ行く事にした。

いざ実際行くと同窓会は楽しかった。
皆一様に老けていたが、それでも誰が誰なのかすぐ分かった。そして、皆一様に私の身体を見て驚きを隠せずにいる。しかし、その中の一人が明らかに驚きと共に、何か別の恐怖を顔に浮かばせた。すぐ問いただしたが、教えてはくれない。

同窓会の後日
その恐怖を顔に浮かべたクラスメートの彼から連絡があった。『あの時は言えなかったけど、お前のその身体、アイツと同じ部分が無くなっててそれが気味が悪かった。』という。アイツとは誰か聞くと、学生時代仲が良かった“アイツ”の名前が上がる。そういえば“アイツ”は同窓会に来ていなかったので、その彼に聞くと、既に亡くなっている事が分かった。

彼も同窓会の連絡の為、“アイツ”に連絡をしたのだが、ご家族に亡くなった事を知らされ、同窓会の前日に線香を上げに行き、その時“アイツ”の最後の姿と、“アイツ”が自分の身体全身に刃物を突き立てて自殺した事を親御さんから聞かされたという。

彼はさらに付け加えた。 
『気を付けろ。“アイツ”も最後は両脚と左手が無くなって、一番俺が怖かったのは、“アイツ”遺書を残してて、お前を絶対許さないって書いてあったみたいなんだよ。親御さんに遺書の人は誰か聞かれたけど、答えられなかったよ。
いや、分からないけど、それでも一応な。』

私は分かったと答えたが、確信した。

これは呪いだ。

でもなんで、“アイツ”が?その疑問を払拭する様に彼が続けた。『まぁ、俺たち“アイツ”イジメてたからなぁ、悪い事したよ…』
私は、『は?』となった。私にはイジった感覚はあるが、イジメた感覚は無い。それどころか、親友だと思っていた位だ。

···いや、親友だと思っていたのは私の方だけだったのかも知れない。“アイツ”は学校を卒業してからも、憎悪を募らせ十数年もの間、憎悪を貯めに貯めていたのだ。

そして恐らくは、
自らの身体を媒介に、私に呪いを掛ける方法を見つけだし、自分の苦しみより、私に呪いを掛けること優先させたのだ。その執念で自らの両脚を腐らせ、左手には刃物を突き立て、最後は自らの身体を切り刻んだ。

もしかしたら、私ももうすぐ死ぬのかも知れない。あの世で会えたら、謝ろう。

○○年○月○日



絶対に許さない」



書いてある日付の日、夫は亡くなりました。
最後の一言の筆跡は夫のものではありません。











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