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やりたいことを見つける。

こんにちは!カズです。この記事は、
「やりたいことが見つからない」
「本当に今のまま(仕事や勉強)で良いのだろうか」
「周りの人は、やりたいことがあってキラキラしてる」

(ボリュームが結構出てしまい。14分くらいかかってしまいます。)

それらのことで、頭の中がずーっとモヤモヤしてる人に向けて書いています。理解できた瞬間、すっと身体軽くなり、どんどん自由になっていく実感を得れるもの、になっています。

やりたいことを見つけられれば、一度しかない人生を”誰にも邪魔されずに”自分のものにする、第一歩です。
さあ一緒に頑張っていきましょう!

まずは、価値観・観念について知る

やりたいことの探す時、人の意見を聞いたり、先輩(大人)の体験を参考にしたりして、外の情報を当てに考えるのではないでしょうか。

”情報の質”と言うのも、とても重要になってくるようにも思います。ただし一番最後に判断するのは、「自分」

自分というより、『自分の価値観・観念』で判断すると言った方が正しいですね。

ただし、その価値観と観念が視野を狭め、見つかるチャンスを減らしているのです。(ここでの観念とは『Xとは、Yだ』のような、思い込み状態のこと)

人は、自分の価値観や観念を、『知った気でいる』『理解した気でいる』
『思い込みだった』ということが多いからです。

例を挙げて説明していきたいと思います。

犬恐怖症のAさんがいるとします。その人は幼少期の頃に、たまたま出会った一匹のチワワ、に噛まれました。

人間はその時、本能的に自分の「安心安全」を守る為に『学習』します。

「チワワに噛まれると痛い」や、「チワワという生き物はものは噛む」と言った具合です。

そこで人間は、さらに安全を求め『学習』したことを、他の事例が来てもいいように『応用』しようとします。

チワワに限らず「全ての犬は噛む」「吠えるやつは危険」「睨んできたらヤバイ」「爪の長いやつは危ねえ」などです。

(個人差があります)
その瞬間から、その人の「世界」の犬は、凶悪極まりない存在なのです。

犬恐怖症の人Aさん。犬が好きで仕方がないBさん。どちらでもないCさんがいるとしたら、
それぞれ犬と出会った瞬間(無意識)に、違う反応を示すでしょう。

(無意識というのは、「自分がどんな価値判断をしたのか」を気づかないレベルの、瞬間的な反応。プログラム的なもの)

本質的に見れば、Aさんは世界を少し歪めて捉えているとも言えます。
いつの時代の犬も、犬はただの犬のはずだからです。

Aさんはもう、犬に対して肯定的な見方をすることはもう難しいでしょう。

公園いて、犬の鳴き声を聞いただけで、「うるさい!!」とイライラし、怒鳴り散らすかもしれません。

「しつけのできていない犬は、公園に連れてきちゃダメだよな」と、飼い主に叱責するかもしれません。
でもこの言い分は、本当に正しいのでしょうか。

本質は、「犬は悪」という観念が、「しつけをしていないといけない」と世界を歪めて捉えているのです。

もちろんその人の世界では、「犬は悪」なので、そう思うように意識しているわけではありません。

なので、本人は無意識で(気づかないレベルで)出来事を捉え、観念(思い込み)の通りに応用し、出来事を歪めているのです。

一旦まとめると、出来事を(世界を)ありのままで観れている人は、少ないということです。

ありのままに見れないので、観念が(無意識で、気づかないレベルで)問題解決の邪魔をしているのです。
(遠回りをさせているような感じ)

思い込みの世界から抜け出す。

犬は悪」という世界から抜け出さない限りは、犬という動物を、ありのままで観れる日は来ないのです。

そんな世界の中で、Aさんがペットショップにペットを選びに(やりたいことを探しに)行ったらどうでしょう。

もしかすると、Aさんの目には店にいた「ゴキブリ」の方が可愛く見えるかもしれません。(やや盛りすぎですね。そして犬さんすみません。)

今は、事実の事例を「文字」という形あるもので実際に「目」で見ているので、違和感を感じれるでしょう。

ただし、何度も言うようにAさんは、自分の基準の世界に「住んでいる」(慣れ親しんでいる)ので、ペットショップでゴキブリと犬を判断する際、違和感に感じることすらないのです。

では、果たしてAさんがこうなってしまったのは、犬せいなのでしょうか。
それとも、ペットを選びに行ったのにゴキブリに目が行く、Aさんが悪いのでしょうか。

私の答えは、どちらも悪くありません。
初めに行ったように、本能的に身の安心安全のために、その観念(プログラム)を作ったのです。

やや強引ですが、”成すがまま”だったと言うのが一番しっくりくる、のです。

では、この先どうすればいいのかというと、まずその世界から抜け出すことです。

人生の質は、『質問の質』

抜け出す方法は、まず自分が思い込んで作っている『観念の世界』があることを、まず認知することです。

脳は常に動いていて、動いている間ずっと思考を巡らせています。
友達と話している時に、「有名人の名前が思い出せない!」「首のとこまで出てきているのに!」

そんな”ど忘れ”、をしている時、全く別のことをしているのに「はっ」と一瞬で冴えて思い出す、そのような経験ないでしょうか。

その体験は、目の前の他の作業に焦点を当てているのに、頭の中で「有名人の名前」に意識して焦点を当てて考えていた、と言うわけではないと思います。

つまり「意識して考えている」わけではなく、無意識で脳が勝手に作動しているのです。

勝手に作動しているので、出来上がったものだけを認知するのではなく、作動中の”流れるさま”も認知できれば、変われるチャンスが広がるのです。

思い込みを探し認知する上でのコツは、自分にかける問い(質問)を変えることです。

人生の質は「問いの質」で決まります。
(ここでの質とは、自分の人生での、出来事への満足度だと思ってください)

誰かと話す時も、「何を話すべきか」や「どうやって答えようか」「どんな風に答えたら、印象良くなるか」
「人間関係を良くするには、どうしたら良いか」

会話するだけでも、何かしら用意し、『問い』を自分に無意識に出しています。

私は、良い人間関係を気づくことができないと思っている時期がありました。誰かと会話するとき、自分なりの良くなる答えが欲しくて、コミニケーションの『問い』
を沢山考えていました。

そしたら、日常に異変が起きたのです。
『問い』を意識してから、コミュニケーションに関する情報が自然と目に飛び込んでくるのです。

SNSの広告や、インターネットでの関連記事。
本屋では、コミュニケーションに関する、自己啓発本の表紙。心理学関連の本。テレビのチャンネル(タレントのセリフまで)

決してその時だけ、世の中にコミュニケーション関連の情報が増えていた、わけではありません。それに私が、それらの情報に、意識して探していたわけではないのです。

これはあなた自身ではなく「脳」は、満たされていない問い、を放置しておくことを嫌います。

だからど忘れしていたことも、後から(あなたではなく脳が)閃くのです。

無意識で作っていた『問い』に、体が反応し、勝手に体が目について、記憶するものを選んでいたのです。

強い意識しているものがあると、そればかりが目に入り、そればかり耳に飛び込んできたりするのです。

学校の休み時間中の教室は、騒がしくザワザワとしています。なの聞こえづらい環境にいても、自分の名前を呼ばれたら、反応できるなんてことはよくあります。
(心理学では、カクテルパーティ効果と呼ばれる)

それぐらい、脳は、『問い』に支配されやすいのです。では、みんなが同じ『問い』を持てば、同じ成果を出せるようになるのでしょうか。

同じ学校に、入学した同級生。同じ会社に入社した、同期。
「同じ授業」を「同じ時間」受ける。「同じ仕事」を「同じ時間」こなす。

条件がこれだけ一緒でも、同じ人間はいません。

例えばネガティブな人は、ネガティブな観念(XはYだ)があり、出来事(世界)の歪め方が、ネガティブな方に転じたパターン、の人です。

なので、ネガティブな世界で生きていて、そんな視点を持っています。

その世界にいるから(気づくチャンスもない状態)ネガティブは『問い』を作られやすいのです。

ネガティブな『問い』を埋めるためにネガティブな情報を(無意識に)探し、ネガティブな正解に落ち着き、その世界に愛着が湧いていきます

無意識に(気づかない間に)これらのサイクルを回しているのです。

もちろんポジティブな人は、また違うサイクルが出来上がります。ポジティブな問いを作るからです。

どんな質の『問い』を自分に課すかで、ゴールが変わるわけです。
『問い』を選んでるのも自分なので、”流れていくさま”を、目で捉えることで選択することが可能なのです。

自分への『問い』を変える

『問い』の重要性は分かって頂けたでしょうか。
ここからは、本格的にやりたいことが見つかるための、行動方法にフォーカスして話していきます。

自分への『問い掛け方』を変えれば、自分の観念(XはYだ‼︎という思い込み)に気づくことができます。

それと、狭くなっている視野を、広げることができます。いろんなことに応用が可能なので、ぜひ参考にしてみてください。

一つ目の方法は、頭の中にある考え(支配している悩み)、モヤモヤの原点を考えることです。

「自分のやりたいことがわからない」
そもそも”なぜ”「やりたいことが必要なのか」
そもそも”なぜ”「今こんなに悩んでいる(焦ってる)だろうか」

二つ目は、発した言葉の抽象度をあげることです。

「わからない」って具体的にどうだろう。

「興味あるものはあったけど、仕事にするのは違う」と思った、から。

「自分の描く幸せと違いそう」と感じていた、から。「自分はどんな作業が得意なのか、わからない」と思っている、から。

「そもそも、どんな考えで(何に重点を置いて)仕事を選ぶことが正しいのかわからない」から。

同じ、「やりたいことがわからない」でも、深掘り(掘り下げていく)すると、本当の解決したい問いが見えてくるのです。

人は問いがあると、埋めにかかり、埋めるための問いを用意します。

この時に自分の観念や、遠回りにさせる”ネガティブなサイクル”があると、「本当に解決したい問い」がどんどん埋もれていくのです。

埋もれ切った自分の『問い』が『これが自分』なんだと応用して記憶するのです。

犬恐怖症の話と同じです。たまたま出会った一匹のチワワに噛まれただけで、『自分は犬が嫌い』に思い込むのです。

自分が一番解決したかった「問い」が、埋もれに埋もれ、自分には「やりたいことがない」という世界が始まっているのです。

なので、
”なぜ”やりたいことが必要なのか。
”なぜ”今見つからなくて焦っているのか。
”なぜ”見つかっていた方がいいと思うのか。

わからないとは、具体的にどういうことか。
やりたいこととは、具体的にどんな状態を想像しているのか。

それらは『誰の問い』なのか。

まとめ

ここで振り返りをしていきましょう。
自分の観念・価値観ができる時の落とし穴について。

人は、出来事から学習すると、応用すること。
応用して記憶しているから、世界を歪めて捉えていることがある。

自分が作り上げた、世界の中心で生きているから、歪めてられている(思い込みが)ことに気づきにくい、と言うこと。

自分への『問い』の質が人生の質を左右させる。

出来上がった観念や思い込み、ネガティブな問いをしやすい人は、ネガティブな情報を集めるために、さらにネガティブな問いを生む。

そういうサイクルが出来上がることで、さらに課題(真の問い)を歪めていき、ありのままで見つめることができなくなってしまう。

解決したい真の課題(出来事も)歪んで認知していくから、視野も狭くなり、正しく向き合うことができなくなっている。

解決したい真の課題を解決するために、邪魔している観念(思い込み)や、サイクルに気づく。
そのために、自分への『問い方』を変える。

悩んでいたことの、”なぜ”や具体的に「どういう状態」のことを言っていて、目指していたのか。

今必要なのはなぜで、焦っているのはなぜなのか。
誰の課題で、目標なのか。

自由になる

いかに思い込みが多かったか、気づくことはできたでしょうか。思い込みに気づくことは、誰でもできます。
そしていつでもできます。

思い込みに気づくことは、自由になることです。
思い込みは、選択肢を減らしてしまうからです。

見方によっては、選択肢を減らすことで、道が限られ早く行動することもできそうですね。

けれど、「思い込みができる」しかも自分が作っているということを知ることは、感情に肉体が支配されるのではなく、肉体が感情を支配することが可能だと思います。

感情を支配できれば、惰性で生きることもなくなりますし、人生を自分のものにできるからです。モチベーションも爆上がりでしょう。

最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。
初めて書いた記事なので、これから試行錯誤を重ね、より良い情報を届けられるよう頑張りますので、よろしくお願いいたします。

気になったことがありましたら、教えていただけると幸いです。



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