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滝口悠生 ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス

1982年生まれの芥川賞作家が『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』と言うタイトルの本を出していたので、どう言う感じの小説なのかと想い本書を購入。読む前の思い込みとしては、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』の様なサイケデリックで前衛的な小説と思っていたが、素直な、巧みな筆で書かれた小説。

小説の最初のシーンが、大学生になって最初の夏休みに東北を原付バイクで旅行する途中で田んぼに突っ込む事故のシーンから始まって肩すかしを喰わされた感があったが、ストーリーの展開が心地よく、一気に読んでしまった。

高校時代のモヤモヤ感と大学時代の自由感が良く書かれていて、小説に登場する房子と桃子の二人の女性への想いの描写で表されているところが巧み。高校の美術講師の房子との関係は、一般的な『彼女』と言える関係では無く、高校時代のモヤモヤ感の中で、こう言った回りから指を指される様な風変わりな女性に惹かれるのは60年代から変わらないロック少年の嗜好で、82年生まれの著者の嗜好も同じなんだろうと勝手に考えている。

大学に入ってから、典型的なアイドルパターンの桃子への憧れは、80年代以降の学生生活のパターンであるのが面白い。この小説の設定である2000年頃も同じだったんだだね。

小説は30代の主人公が高校時代からの生活を追想する設定で、高校時代に関係があった房子がアメリカに発って2000年のニューヨークのツィン・タワーのテロがあって安否を心配するシーンと、大学一年の東北旅行で知り合った人と約10年を経て東日本大震災直後の話がストーリーに出てくるのが、現代の作品だなと感じた。

1980年代生まれの作家にとって、ツイン・タワーのテロと東日本大震災をどの様に感じていたのか、今まで考えた事は無かったが、もっと聞いてみたくなった。

ジミ・ヘンのどの曲が小説に出てくるか気になって読み進めていて、私の予想は、ボブ・ディランの『All Along The Watching Tower』と思っていたが、『FIRE』。偶然、キャンプ場で会った桃子の前で、この曲をフォークギターで演奏して焚き火で燃やすシーンの描写は、ジミ・ヘンのモンタレーのシーンの映像より凄いと思った。このシーンを描きたかったから、この小説が書かれて、小説のタイトルがジミー・ヘンドリックス・エクスペリエンスにしたのだろう。

房子はジミヘンを知っていると思うが、桃子はジミヘン知らないだろう。

大学への往復四時間の通勤時間に聴いていた音楽でロック以外にマイルス・ディビスの名前も出てきたので、主人公が好きなジミヘンの活動した時代はエクスペリエンスの時代では無く、エクスペリエンス解散後の演奏(曲では無くて、インプロビゼーション)と思う。


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