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自己肯定感の話

こんにちは、カズトです。
タイトル通りの話をしようと思います。

「苦手」と思い込む事

絵について私はものすごく自己肯定感が低く、それを回復させずに数十年放っておいて描いていたら描けなくなりました。
自分の成長がわからない、いいところがわからない、誉め言葉は耳に入らない。「絵が下手」という情報を補強する言葉しか拾う事ができない状態です。
これに関して、フォロワーさんからとあるポストを教えてもらいました。

読んでほしい6を引用させていただきました。これだけでも読んでみてください。これを読んで私はこう思いました。

あ~、確かにG入ってるわ、私の絵に対する思考。

苦手って思いこんでるからやれない、辛い。
まあそう思い込んだきっかけは明白なんですけどね…
私のイラスト人生、初手が否定と罵倒でしたから。むしろそれをされてまだ描いてたことを褒めてほしいくらいだわ。

ちなみにネームはいくらでも描けます。
思い返す限り、基本褒められた記憶しかないので。ただし「絵はちょっとね」が付く事多数。これも私の「絵が下手」を補強し続けたし、さらには「話がいい」と言われると「絵が下手って事ですね」という変換をし始めました。自分で地獄を作ってたわけです。地獄へようこそ。

話は戻って。
ノートに漫画を描いていた小学生の私は仲のいい友人に見せ、褒められ、続きをねだられる事で調子に乗り下書き程度の漫画を描き続けた。中2で同人誌を頒布したりもした。すると次回のイベントで知らない人が私の漫画を褒めにやってくる。もちろんうれしい、漫画を描こう。この繰り返し。

上記の引用ポストを少し読み進めてみると出てくる「試行回数」ってやつが私の場合ネームが一番多いわけです。

じゃあなんで絵が上手くならなかったのか。
また引用したポストの話になりますが、最初の体験で「絵が下手」というGを混入されてしまったからですね。同時に「私は絵が下手だから」を言い訳にしてもいるという。だってG入ってるかもしれないから食べない。みたいなやつ。

前も書いたようにこの「絵を罵倒され捨てられた」という体験は私のスキーマになってしまっています。

突然の気付き

が、色々調べて自己肯定感の本とか読み、「別の立場で考えてみる」というワークをしてみた時、ふと思ったんです。「あいつ嫉妬してたんじゃね?」と…
だってマジモンに異次元で上手い、後に某有名アニメ会社に入社した同じマンションに住んでた子は、一度たりとも私の絵をばかにしなかったし、楽しんで一緒に描いていました。だけど私を罵ったそいつは、もしかしたら余裕がなかったのかもしれない。こいつの絵結構いいかも、と感じて許せなくなってそういう行動に出た。かも。もしくは私が嫌いで傷つけようとしてやったか。中学生くらいじゃあり得る話ですね。

あれ?じゃあ私、言うほど下手ではなかったのでは?

という思考になれたので、しぶとそうに思えたスキーマってやつを少しやわらかくする事には成功したように思います。
あ、スキーマについては「下手だから絵を描きたくないという病#2」という記事で説明しています。

超えるべきハードルの高さ

かといって数十年ものの認知を変えるにはかなりの労力を要します。
変えきる事は難しいかもしれません。ただ、さっきのポストの話に戻りますが、試行回数を増やせば話が変わってくるかもしれない。
10年以上同人誌を描いてきましたが、20年イラストばかり描いていた人と比べたらそりゃ試行回数は減ります。落書き毎日描いてる人とくらべてもそうです。

ただ今まで数が大事という事は嫌というほど知っていたので、毎日落書きだとかカラー絵を描くだとか、そういうハードルを置いては転び、置いては転び、「やっぱり私は絵が描けないんだ」という気持ちを補強する事ばかりしていました。

で、最近気づいた事がありまして。
別記事で書いている通り、最近英語学習に四苦八苦しています。
そこで一時期ついていただいたコーチに、ものすごい低いハードルの日課を課されました。もちろん私は「もう少しやれると思うんですけど…」と食い下がりましたが、先生は「習慣というのは最初は続ける事だけが本当に大切。だから体調が地の底まで落ちていても達成できるくらい低いハードルを繰り返し飛ぶことが大事です」とおっしゃいました。

…ハードルって高くないと意味ないんじゃないの?

と、思ったんですが私はそれを絵でやって永遠に失敗している自覚があるので、だまされたと思ってそのバカみたいな日課を続けてみることにしました。

低いハードルにも意味はある

初日は指示された量よりたくさんやりました。
それがだんだん減っていきます。死ぬほど頭が痛い日もありました。それでも最初に指示された分だけはなんとかこなし続けました。すると段々指示された分プラス一定量を自分で判断して追加するようになりました。気が向かない時は絶対にやるなと言われていたので、気が向いた日だけ。それが大体週1周期、週2、と少しずつ増え始めたのです。

私はなんとなくこれを絵にも応用し始めました。自分に課した日課は「毎日クリスタを起動して丸を描く」以上。正直なところ、クリスタすら触らない日が続いていたので、触らないよりはきっとマシだし、頭が割れそう(私の主な不調は頭痛です)でも、丸くらいなら描ける。
この英語と絵のタスクをアプリで記録してみました。

すると不思議なことに何日かに一回は気が向いて丸以外を描き始めるんです。これ何なのかよくわからないけど、大体今は週1周期で絵のようなものを描けるようになってきました。
これを少しずつ週3、週4、平日毎日…と増やしていけたら、安定して原稿を量産できます。ただ、先に「今月は週2に増やしてみよう!」とかやると絶対ダメっぽい事はわかります。骨折してるのに走り込みしようみたいなものです。まずは骨をくっつける。話はそれからです。

全然別のところで得た自己肯定感

昨日の記事で「なんか去年より英語できるようになってた」という話を上げましたが、あれ自然と自己肯定出来てるんですよね。
いつもの考え方だと「他のENファンはあんなに英語わかるのに私は…」になるわけです。それが不思議と過去の自分と比較して「できた」と認めることができるようになっていたんです。
どうやら英語に対しては強烈な苦手意識もといGが混入された事がなかったらしく、私はなんの躊躇いもなくハンバーガー(英語)を楽しめているようです。
じゃああとは試行回数を増やすだけだわ~って感じです。楽なものを勉強しているつもりはありませんが、気持ち的にはイージーというか楽しみがまだ多いです。これが苦痛に変わったら絵と一緒なので気を付けたいと思います。
たまたま躁なだけじゃないの?という気持ちもわかります。そんな方のために爆笑画像を用意しましたのでご覧ください。

英ナビさんの「英検級かんたん測定」の結果です

ご覧のとおり英語は数値化可能なので結果がはっきり出ています。要するに私の英語力はA1、一番下という図です。これを見て私は、少しも嫌な気持ちになりませんでした。いつもだったら「やっぱり私は底辺だ、バカなんだ」が始まっていたと思うのですが、今日は「やっぱこんなもんか。これから勉強したらどのくらい上がるのかな?」でした。

バカと断じるのではなく、のびしろとして捉えることができています。

文法伸ばせばいいんだな、と具体的なアクションも考えられていました。どうも英語に関しては比較的客観的に自分を評価できるようで、そこに苦しさは(今のところ)存在しません。苦しくない、むしろ楽しいのでやり方が決まった今、試行回数を増やすということも容易に実行できそうです。

絵に応用できねえかな~

英語学習で得た(比較的私にしては)健全な認知と行動を、絵にも波及させられたら幸せになれるのになあと思っています。ただ絵はもうある程度学習してしまっているので初学者が初級から中級にかけて伸びを実感するみたいな楽しみはもうどっか行ってるんですよね…あと数値化できないし。イイネ数等の他人の評価を数値化として見るのは地獄の入り口です。やめましょう。

ちなみに、年内は絵はお休みとしています。丸は描いて、筆が乗った日はなんか描く。例えばポートフォリオ用に描きためておく。何かを試してみる、等。そんで来年上半期は2ヶ月に一本、下半期は1ヶ月に一本ペースで二次創作・オリジナル問わず漫画を「仕上げて」行くつもりです。さて、漫画を仕上げるとどうなるか?そう、持ち込みです。来年は持ち込みの年にしたいです。

クソほど体調が悪かった一年

3月に虫垂炎で入院したんですが、それ以降びっくりするほど動けなくて参りました。最低限のアシスタントや原作のお仕事しかしていない。今動けているのは躁説あるけど元気になってきたとも思いたい。躁鬱だけど任せとけ!最近某Vtuberさんがニディガ実況やってたけど、お日様の光の擬人化みたいな男なのでデパスもODもわかんないし躁鬱もわかんないし、でもあめちゃんのことを大切にしようとしてるのは見ててわかるからこう…くるものがありましたね…本当に健康な人間とあめちゃんってこんなにすれ違うんだ…っていう

話がそれました。

とにかく今年はまだ3ヶ月弱残っているので、習慣化を続けつつ助走期間にしたいと思います。

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