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ラジカセと短波ラジオ

先日、秋葉原を巡っていたら、懐かしいラジカセを発見しました。まだ現物を見ることができるなんて思ってもみませんでした。

これは小学校の時にはじめて買ってもらったラジカセの同型機です。カセットテープの録音再生、マイクも内蔵していました。ラジオはAM、短波、FMの3バンド。電池でも動きます。

はじめての録音デバイスですから、何でも録音してみたくなります。ただ使い方というかつなぎ方をよく理解していなかったので、テレビの音を録音するのに、テレビの前に置いて、静かにしているなんていうことをしていました。

ちょうど鉄道にハマっていた時期だったので、このラジカセを担いで小田急線に乗って箱根と江ノ島までの旅に出ました。当時の小田急は2200とか1800あたりが活躍していた時代です。家で電車の音が聞けるだけで大興奮です。

ラジオもFMはステレオではなかったし、当時は東京でも2局しかなかったので、もっぱらAMと短波ですが、外国語がわかるわけではないので、もっぱら日本語放送を探していました。よく聞いていたのは北京放送とモスクワ放送です。北京放送はちょうどベトナムと仲が悪かった頃で、国境付近で毎日のように石を投げあっているという何ともいえないニュースが流れていました。想い出深いのは毛沢東が亡くなったときのニュースで、この時は慌てて録音した覚えがあります。モスクワ放送もミグ25が函館空港に舞い降りた事件があって、日本の放送とは随分内容が違うのにびっくりした覚えがあります。

短波放送を探しているうちにベリカードの存在を知り、国内外問わず、ほとんどノイズだらけで何を言っているのかわからない放送を聞いては、手紙を書いた覚えがあります。たまに日本海側に出かけた時に、東京とは違ってたくさんの放送が聞こえたのに感動しました。もっとも日本語はあまりなくて内容はわかりませんでしたが。

ベリカード

今思えば、このラジカセがいろいろな起点になっていたように思います。音楽を聴くような代物ではなかったので、ステレオセットが欲しくなったり、ウォークマンが出ても録音できないとデンスケを借りてみたり、短波を聞くだけで飽き足らずアマチュア無線の資格を取ったりしました。

1980年あたりまでは、体験を切り取って保存する方法は、文字にして残すか、瞬間を写真に取るしか無かったのです。それをやってみたものの、おそらく物足りなかったのでしょう。音を残したり、動画を撮ったりするのが楽しくて仕方が無かった覚えがあります。今はそれが当たり前に簡単に出来てしまうので、素晴らしい世の中になったと思いますが、その感動は味わえているのかは、どうなんでしょうか。

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