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ビデオの話 - 普及前夜

たまたま父親が仕事でビデオ信号を扱うような装置を使っていたので、我が家にはなんとオープンリールの時代から録画する装置がありました。テープ幅が1センチ以上あって、直径10センチくらいの回転ヘッドが付いていました。面白いのがテープには画像データだけが記録されていて同期信号が入っていないので、音のテープのようにゆっくり回せばゆっくり再生され、止めた状態であれば静止画が得られるという仕組みになっていました。ちょっと今では想像できないのですが、編集をする時は音と同じでテープを切って繋ぐのです。当然、接続した付近の画像は乱れるのですが、これで編集できちゃったんですね。

商品のあゆみ(ソニー)

このリンクにあるCV-2000か、これに類似した機種です。

この後にようやくビデオらしいUマチックというカセットを使うものになりました。確かテレビチューナーは外付けだったので、VP-1100あたりかと思います。これで王選手のホームラン世界新記録(1977)を録画した覚えがあります。テープが高いし他にデッキが無いので、会社でしか見られないですから、滅多なことではテレビの録画なんてしませんでしたけど。

我が家にビデオがやってきたのはベータになってからです(SL-7300)。まだβⅠというか種類がなかった時代で60分しか録画できなかったので映画を録画しようなんて思いませんでした。全体がすごくメカニカルで音声用のカセットと違って、何かとガッちゃんと力強くというか録画ボタンがすごく硬かった記憶があります。

そもそもビデオはテレビを録画するというよりも、会社のPVというか商品説明とかを作ったりしていたので、カメラで映像を撮る用途です。そうすると持ち運べるものが欲しくなります。そこで次は東芝のデッキとチューナが分かれていて、本体はバッテリーでも動くという機種になりました。

東芝 ポータブル ベータ ビデオデッキ V-XT7・TT-XT7

これより前の同じような機種だったと思うのですが、型番が見つかりません。このビデオが使えるようになってからは、会社で使わない休みの日などに借り出して、外の風景とかを撮ってみたりしていました。もっともあまりに重いので、1人で使うのは無理で、必ず3人くらいで連れ立っていましたが。バッテリーがせいぜい1時間しか持たなかったのですが、そもそもそんなに長く撮る素材も体力も無かったです。

そういえば、このビデオで友人たちとビデオクリップとかを作りました。カメラが暗いので、レフ板や照明も必要になり、なかなか大変だった記憶があります。また家庭用ビデオは、そもそも外部同期で動かせないので、プロ用の編集機材は使えず、2台でチマチマ編集したような気がします。ビデオカメラの話はまたにしておきます。

この後、家で使うβ機も増えて自宅でダビングが出来るようになった頃、渋谷に怪しさ満点のレンタルビデオ屋が出来て通うようになりました。まだ販売されているビデオというものが無かった頃なので、もっぱらアメリカから持ち込まれたと思われる、どういうルートで作られたのかわからない映画やドラマなどを借りることができました。当時は映画なども公開タイミングにラグがあって、このビデオのほうがはやく見ることができるという時代でした。当然、販売目的で作られていないわけで、まだコピーガードも無くておおらかな時代でした。

ここから先は、多くの方がご存知な世界だと思いますが、ビデオで映像を売るという商売が伸びるにつれベータの旗色がわるくなり、結局VHSな世界になっていくのですが、我が家にVHSが来たのはだいぶ後になってからでした。ビデオも記録方式が3倍モードとかHiFi録音とかが増え、傷んでくると同期信号がロストするので、コピーガード回避装置を使うと調子が良くなるとか、レーザーディスクが登場したのはいいのだけど、今まで黄色いピンコードで済んだものが謎の信号線が増えていって接続が鬼になるとかネタはたくさんあるので、コレ以降の話はあらためて。

ヘッダ画像は以下のものを使わせていただきました。
https://www.irasutoya.com/2017/10/blog-post_944.html


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