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日記の記憶

note の記事は別に日記に限らず、好きなことを好きなタイミングで書くことが出来るのですが、毎日更新が合言葉になっているみたいなところもあって、日記のように使われている方も多いみたいです。

最初の日記との出会いは、そういう人も多いのかもしれませんが、小学校での夏休みの宿題で出た絵日記です。子供にとって日々の出来事を記録するなんて、どんな意味や目的があるかなんて知らないですし興味もありません。夏休みなんて楽しすぎて日記を書くなんて面倒なこともしたくはありませんし、出かけるときに絵日記帳や色鉛筆まで持っていくのも大変です。絵日記には何故か、その日の天気を書く欄があって、昔はネットも無いので、このために図書館に行って新聞を調べるなんて言う技を覚えたような気がします。

ということで日記を書くと言う習慣を持たないまま中学生あたりにまでなったのですが、古文という授業があって、日記文学なんぞを習うわけです。そこで「男性は日々のお仕事についての記録をつけるのが日記」というクダリを聞いて「なるほど、自分の思ったことを書く必要はないのか」と気がついたわけです。日記というのは自分の思ったことを書かなければならないという先入観が出来ていたわけで、実はそれが一番面倒だと思っていたことだったんです。そういう意味では手帳に予定を書いていくのは既に始めていたので、そこに結果がどうだったのかのメモを付けるようになりました。これが私にとっての日記の始まりなわけです。

若い頃は遊ぶにしても学ぶにしても時間が惜しくて振り返るなんて言うことをやっている暇なんて無いよ。という気持ちも強く、まあそういう性格でもあったのだとは思うのですが、何をどうしたのかを忘れてしまうことも無くは無いので、やったことに対するメモは大切になってきたわけです。ただ勉強についてはとにかく、人と話したことに関しては割りと物覚えが良い方で、友人などに久しぶりにあっても、前回会ったときにどんな話をして、どうだったのかはだいたい思い出すことが出来たので、メモをするのはいつどこで会ったなんていう事実の列挙で、やはり何を思ったのかなんて記録することは無かったわけです。

そんな調子で大人になり、結婚して子供が出来ても、日々の記録は付けていても日記を書くなんて言う習慣は出来ずじまいでした。ただその日に何をしたかは手帳のカレンダーには書かれていましたし、デジカメが使いやすくなってきた頃には、別に特別なイベントが無くても日常的な出来事、例えばどこを掃除したみたいな写真を撮っておくようにはなりました。だんだん物覚えも悪くなってくるので、記録が無いとどうしたかわからなくなるようになったんですよね。

結局、この歳になっても日々の記録はいろいろな形で残していますが、自分の思ったことなんてどこにも書いてないです。まあ大抵は思い出そうと思えば、ちょっと時間がかかるようになりましたが、キッカケがあれば何をどう思ったかは思い出せますしね。もっとも、そのキッカケを作るのがだんだん大変になってきましたけど。ということで、私のnoteの投稿はまだ毎日書いていますが、あくまで人に伝えたいことを書き連ねているわけです。

ヘッダ画像は、いらすとや さんより
https://www.irasutoya.com/2012/03/blog-post_5870.html


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