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OASYS LITE - はじめての日本語ワープロ

さて高校時代は、人からいろいろなパソコンを借りるようなことはありましたが、基本的にAPPLE][で頑張ってきたわけです。もちろん最新型の和製パソコンに目移りしないわけではなかったのですが、メモリも64Kオーバーまで拡張していましたし、もう拡張スロットが一杯で電源が怪しくなるまで、使い倒していたので、そんじょそこらのホビー向けパソコンでは満足できないのは確かでした。

ディスクも3台くらいは繋いでいて、DOSもいつの間にかProDOSの方が増えてきていましたし、OS-9やCP/Mなんかも使えましたし、かなり制限は厳しかったものの漢字だって表示、印刷できました。こうなるともう日常的に日本語が扱えるような環境でないと乗り換える意味はなくなっていました。確かにAPPLEのままでは「日常的な」漢字を扱う用途はぜんぜん無理でしたが、当時の日本製8ビットパソコンであっても、そこは似たりよったりでした。

パソコン以外に目をやると富士通は1980年には親指シフトを採用した本格的な日本語ワープロであるOASYS100を発売しましたが、お値段が270万円もする、明らかに業務用の機種でした。その後、1982年には個人でも手が届く(届かないことはない?)小型化し机にも載るようなMyOASYS(約75万円)も登場し、東芝のJW、NECのPWP、シャープのWDなどが覇を競っていました。

日本語ワードプロセッサ

大学に入りアルバイトにも精を出すようになると、自宅でデスクトップのパソコンを使う時間もあまり無くなり、レポートやドキュメントを作るのに、持ち歩けて日本語を扱える道具がどうしても欲しくなってきました。そんな時にちょうど良いタイミングでポータブルタイプの日本語ワープロが登場したのです。

【富士通】 OASYS Lite

私のOASYS>OASYS Lite

OASYS Liteは、液晶の表示画面こそ1行8文字分しか無かったのですが、熱転写方式でA4までを印字できるプリンタを内蔵し、単1電池4本で持ち運んで使うこともできました。重量だって「たったの」3.5キロです(電池含む)。キーボードはもちろん親指シフトで、データの保存にはカセットを使うのですが、ここで既に持っていたレコーディング・ウォークマンが活躍しました。これでお値段は「たったの」22万円でした。もちろん安いとはいえないのですが、日本語が充分に扱えるパソコンとプリンタ、そしてワープロソフトを揃えることを考えれば「格安」でした。

ということで、パソコンを買い替えるのではなく、真っ先にこのワープロに飛びついてしまったわけです。発売は1984年の春頃だったと思いますが、買ったのは翌年に入ってからだったと思います(お陰で価格が少しだけ熟れていた)。本体は持ち歩くためにキーなどが露出しないようなカバーが内蔵されていて端には取っ手まで付いていました。この状態でビジネスバックくらいのサイズにはなるので、そのままの状態で持ち運んで使っていました。

まだそんなものを持ち歩くような酔狂な人間も少なかったので、喫茶店や待合室などで広げようものなら「それはタイプライタですか?」と聞かれるような時代です。これでパチパチとレポートなんぞを書いていたのですが、さすがにたった8文字の画面でよく頑張って入力していたものだと思います。単なる文章だけではなく罫線を駆使して表なんかも作っていたのですから、今考えてもビックリです。当然ですがディスクも無いので、システムのデータはすべてROMに入っています。ですから意外とレスポンスは良く日本語変換も一瞬ですし、狭い画面で文書を縦横にスクロールさせても待たされるようなことはありませんでした。

まあ印刷だけは一瞬というわけには行かず、印字ヘッドが静かに「スコースコー」と動いて印刷しているのを「もう少しお待ち下さい」と言いながら出来上がった出力をそのまま提出していたりなんかしていました。その頃はレポート用紙に手書きで文字を書いてというのが当たり前で、ワープロで出してくるような学生は皆無だった上に眼の前で印刷しているのですから、物珍しいと言うよりも何か呆れたと言うか口がアングリとしていたような覚えもあります。

まあOASYSを選んでしまったので当然のように入力は親指シフトです。幸いにしてJISキーには慣れていなかったので、割とスムーズに入力には慣れました。慣れてしまうと小気味よく日本語の入力ができるようになります。キーはトップの部分がやや丸くなっており、隣のキーとの間にそれなりの隙間があるのが、良かったのかもしれません。

この後、競うようにルポや書院と言った対抗馬が出てきたのですが、最初に親指シフトで慣れてしまうと、なかなか他のメーカーに移れないのがミソだったのかもしれません。毎日のように持ち歩いて使っていたので特にプリンタにガタが出てきたのと、だんだんメモリ容量が足りなく感じるようになってきたので(もちろん8文字の画面はツライ)、1年ほどたったところで後継機種のLite Mに乗り換えました。短い付き合いではありましたが、充分に活用したとは思っています。

パーソナルOASYSシリーズ一覧表(1/4)

OASYS

パソコンでワープロを使うようになっても親指シフトへの思いは捨てがたくPC-9801の時代になってもアスキーボートと呼ばれた親指シフトを使っていたこともありました。モバイルとしてのワープロはEPSONからラップトップ型のPC98互換機が登場して、その役目を譲りました。いつでもどこでも文書を作れるというのは、世の中がまだまだ手書きの時代であっても捨てがたい魅力で、特に一度書いた文書を容易に再利用でき、同じような文章を何度も清書する必要がなくなるメリットをいち早く実感していました。

ヘッダ画像は、月刊アスキー1984年10月号に記載されていた広告の一部

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