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「うちの親父」

自己紹介:妻の転勤の機に福祉施設の施設長を退職し、持ち家も処分。当時13歳の娘と家族3人で2023年夏にオーストラリアに移住の48歳。現在子育てと家事全般を行う完全専業主夫。ワーホリのタグ付けをしているが、ワーホリではなく働く予定も特になし。一応、社会福祉士だが外国ではなんの意味もない。吉本芸人チャド・マレーンがオーストラリアを「ラリア」と呼ぶことに感銘を受け、そのまま使用する。

某SNSの思い出機能に出てきた7年前の投稿。



妹が「お母さん」になるらしい。

兄弟で一番出来がいいのが妹で、俺と8歳、姉とは10歳離れているせいで彼女が物心つく頃には上の二人は家を離れ両親も共働きだし、ある意味一人っ子みたいな感じだったと思う。

それでも家族内で一番愛情を注がれ、彼女が家を出るまでそれこそお姫様の様に育てられた。いまでも 俺は娘・7歳のことを思う時、どうしても同じ年頃だった妹の姿が重なる。

そんな妹と親父の話。

その昔シノラーというのが流行ったでしょ?篠原ともえ。感じとしては今のきゃりーぱみゅぱみゅみたいなぶっ飛んだファッションで、でもお笑い要素もあって歌も歌ってって。妹(当時14歳)が大ファンでね。しょっちゅう真似してた。

で、そのシノラーが沖縄にライブに来たんだよね。

場所はいまは無き国際通りベスト電器のJAVY?だっけ?あったよね、そこに。

チケットも取り、シノラーファッションも決めて、当日。

親父に会場まで送ってくれと頼んだところ、何をトチ狂ったか親父が「自分も行きたい」と言いだした。

察するに可愛い可愛い末娘を一人でライブ会場の前に並ばせて何があるかわからないライブ会場(笑)にほっぽり出すのが不安だったんだろうね。で「自分も行きたい」と。

で、妹(当時14歳)の返事は「やだ。お父さんダサいからはずかしいよ」。シノラーがナウいかどうかはいまは置いておいて(笑)、まあ、妹(当時14歳)としては若者が集まるであろうシノラー会場に父親同伴、その上おっさんファッションってのがバツだった。

そこで親父の出した答えが。

「じゃあ、僕もシノラーになるよ!!」

で、妹(当時14歳)の答えが。

「だったらいいよ。ついてきても」

いいんかい!!

着ていたスウェットを7分丈にカットし、お兄(俺ね)が置いていったそれらしいバンドTシャツを着て、家中のカラフルなものを身につけ、あげく髪の毛を・・・。

20年前なんで、親父は47〜8歳くらいかな?でも、すでに社会福祉法人の常務理事だったし、当時幾つかの大学で社会福祉・社会保障やなんかの講師もしていて翌日講義もあったらしいけど。

そんな親父が可愛い可愛い末娘のために恥も外聞もなく髪を金髪に染め、奇妙に着飾り、国際通りに並んでシノラーを見るという姿。

のちに妹に聞くと「楽しかったよ。私は安心してライブ楽しめたし、グッズもいっぱい買ってもらったし。たしかにお父さん超浮いていたけど(笑)。全然はずかしくないよ〜、だって面白いじゃん、お父さん」

行きたがる親父も親父だし、連れて行く妹も妹だ。金城家だな〜。

よく周りから「アンタん家はぶっ飛んでいる」って言われるけど。

奥さん・36歳曰く「一家揃って行動が無軌道」らしいけど。

その後も親父と妹はよく連れ立ってコンサートにいく。というか親父がついて行く。

この前は槇原敬之のコンサートに行ったらしい(親父、マッキー好きでもなんでもないのに)。んで、帰ってきてから妹とは「楽しかったね〜」とニコニコし、その後俺に「おい、カズロよ、槇原のあの歌詞の本当の意味はよ、・・」とマッキーの音楽性について語り始める。金城家だな〜。

因みにその後数週間、金髪で社会福祉論の講義したらしいよ、親父。



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