見出し画像

健康と文明病 ⑤(牙と石器)

 話が少し横道に逸れてしまいました。ここで、これまでの流れを振り返っておきましょう。約200万年前に登場したホモ・エレクトスが最初の真の人類で、脳が小さい以外はほとんど現生人類に変わらない姿をしていました。しかし、その約30万年前にはヒト属(ホモ属)のホモ・ハビリスが出現しており、さらにその30万年前には頑丈型猿人として知られるパラントロプス類も登場していました。このホモ・ハビリスがホモ・エレクトスに進化したと考えられる訳ですが、両者は身体の骨格が全く違っていたのです。ホモ・ハビリスは、頭骨こそ丸みを帯び、脳容積も猿人よりは大きかったのですが、身体の体型は猿人のままだったのです。つまり類人猿の特徴を残した初期のホモが、この数十万年程の間に骨格を大きく変化させ、現世人類に急激に進化していた訳なのです。その結果、約200万年前には脳が小さい点を除けば我々と変わらない、真の人類が誕生したのです。参考に、図22)を再掲しておきます。

図22)猿人からヒトへ(空色:ヒト属)

石器とホモ属の出現

 では何が、その急激な進化を生み出したのでしょうか。 その問題を解く鍵になるのが、猿人からヒト属(ホモ属)への進化の起こった同時期に出現する石器なのです。従来、最古の石器とされて来たのは、エチオピアのアファール地域のレディ・ゲラル遺跡で発見された約260万年前のオルドワン石器です。タンザニアのオルドバイ峡谷で最初に発見された事からこの名で呼ばれています。このオルドワン石器は、25万年前頃まで使われていた様です。実は、同じレディ・ゲラル遺跡で、最古のホモ属とされる約280~275万年前の下顎骨(LD 350-1)も発見されているのです。つまり、ホモ属の出現と石器の発明が深く関係していた可能性が高いのです。

図42)エチオピアのレディ・ゲラル遺跡のオルドワン石器(260万年前)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

図43)レディ・ゲラル遺跡の最古のホモ属の下顎(LD-350-1 )280~275万年前

(出典:ウィキメディア・コモンズ)


 しかし、2011年にケニアのトゥルカナ湖西岸のロメクウィで、330万年前とする石器が発見され、現在最古の石器とされています。ただ、ロメクウィ遺跡の石器は概して非常に大きく、石核は平均 167 mm × 147.8 mm × 108.8 mm、重量3.1kg、金床石は15kgもあり、典型的なオルドワン石器よりも桁違いに大きいのです。また、こんな大きな石器を何に使っていたかも不明で、オルドワン石器とは大分異質なものです。ところが面白い事に、ロメクウィ遺跡でも1.6km圏内でホモ属では有りませんが、ケニアントロプス・プラティオプスと呼ばれる猿人とホモを繋ぐ様な頭骨化石が発掘されているのです。この名は「ケニアの扁平な顔の人」を意味し、非常に平らな顔と、小さな臼歯を特徴としています。このケニアントロプス属には、ホモ・ハビリスに分類される事もある約 200 万年前のホモ・ルドルフェンシスを含める見方も有ります。

図44)ロメクウィ遺跡、330 ~320 万年前のケニアントロプス(KNM-WT 40000)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 この様に、ロメクウィ遺跡の石器と猿人は不明な点も多い事から、ここではオルドワン石器がホモ属が最初に製作した石器で、両者は約280~260万年前頃のほぼ同時期に出現したと、かなり強引ですが仮定して話を進めたいと思います。


オルドワン石器と肉食

 実は、何に使ったか良く分からないロメクウィの石器に対し、オルドワン石器の使用目的ははっきりしています。それを示す証拠が残っているのです。というのも、多くの動物の化石骨が石器と一緒に発見されており、そこに石器によると思われるカットマーク(傷跡)が付いたものが含まれているのです。エチオピアのアファール・トライアングルのゴナ遺跡は、260万年前のオルドワン石器や、180万年前のホモ・エレクトスなどの発掘で知られていますが、ここでも210万年前のカットマークの付いた動物骨が発見されています。このマークは、石器で骨から肉をそぎ取ろうとした時に付いたと考えられています。つまりオルドワン石器は、動物の骨から肉を切り落とすのに使われていたのです。

図45)170万年前のオルドワン・チョッパー

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 長らく最古の石器とされて来たオルドワン石器は、自然石を何度か打ち欠いただけの原始的な石器です。片面を打ち欠いて刃を作ったのがチョッパー、両面から刃を付けたものがチョッピング・トゥールで、この様な石核を利用した礫石器と、打ち欠いた剥片を利用する剥片石器の2種類に分けられます。しかしこうした石器は、研究者でないと自然に破砕した自然石と識別するのが容易ではないと言います。

 典型的なオルドワン石器には幾つか名前が付けられていますが、初めから明確なデザインをイメージして作られた訳ではなく、かなり場当たり的に作られた様です。剥片を剥ぎ取って行くと、たまたまその形になったと言う感じなのです。それどころか、剥片こそがオルドワン文化の主体であり、礫石器は剥片作製の副産物だとさえ言われています。確かに、乾いた死体から肉をそぎ取ったり、骨を砕いて髄を取り出したり、木材加工などには重いチョッパーなどが使われたと考えられますが、オルドワン石器の主目的は、鋭い刃を持つ剥片石器で、動物の厚い獣皮や肉を切る事だった様なのです。実際、解体実験を行うと、獣皮を切るには小型の剥片石器が最も有用だと言います。遺跡で実際に使われていたのは、剥片石器の方が主体だったのです。

 しかし、この小さな石の剥片は、更新世の始まりで気温の急速な低下という気候変動に直面していた猿人の前に、大きな可能性を開く事になります。それまで手を付けられなかった、肉と言う全く新しい食料源の利用可能性が、剥片石器によって初めて開かれたのです。植物に依存して生活していた猿人に、肉食と言う新しい生態系のニッチが開かれ、そこへの適応によって猿人からホモ属への急激な進化が可能になったのです。


類人猿から猿人へ

 ヒトの系統とチンパンジーが分れたのは約700万年前と言われますが、丁度この頃の頭骨化石がアフリカ中央部のチャドで発見されています。トゥーマイの愛称で知られる、サヘラントロプス・チャデンシスです。頭骨底部の大後頭孔の位置がチンパンジーよりも前方にある事から、直立二足歩行していた可能性が指摘されています。つまりトゥーマイは、チンパンジーとヒトの系統が分岐した直後の猿人である可能性が有るのです。

図46)サヘラントロプス・チャデンシス(トゥーマイ)約700~680万年前

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 またトゥーマイは、先端のすり減った小さな犬歯と、低く丸みを帯びた咬頭の大臼歯を持っていました。以前に、小さな犬歯がヒトの系統の証しだと述べました。約700万年前頃には、アフリカ北部全体が緩やかな乾燥化に向かっていたと言われます。チンパンジーと分かれて、森からサバンナへ進出しつつあったヒトの祖先は、柔らかい果実食から種子・木の実・根茎などの堅い繊維質の食物へ転換しつつあったのでしょう。その結果、堅い食物を臼歯で磨り潰して食べる方向への進化が始まり、犬歯の縮小と歯列の変化が起こり始めていたのだと思います。こうして猿人は類人猿と分れて、ヒトへの第一歩を歩み出したのです。

 ここでも、生命史の中で幾度となく繰り返されて来た進化のパターン、つまり環境の変化に対応して以前と異なる新たな生態系の地位への進出と、その新たなニッチへの適応によって、類人猿から猿人への急激な進化が起こっていたのです。

図47)ヒト亜科の進化(Hominini:ヒト族、Homo:ヒト属、Pan:チンパンジー属、Gorilla:ゴリラ属、縦軸:100万年前)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)


小さな犬歯と石器

 こうして、類人猿から猿人への進化の中で、ヒトの系統では進化の初期段階で類人猿の持つ巨大な犬歯、つまり牙を失う事になりました。しかし、牙は闘いの武器であると同時に、肉を切り裂くナイフの役割も果たしています。チンパンジーは集団で小型のサルなどの哺乳類を狩る事が良く有りますが、その時、犬歯で獲物の肉を切り裂いて食べている訳です。

 実際、サルや類人猿のオスの上下顎の犬歯は、巨大化してサーベル状に発達しています。そして、上顎の犬歯と噛み合う下顎の第3小臼歯(P3:人では第1小臼歯)も大型化し、その発達した隆線が上顎犬歯を鋭利な武器として研ぐ働きをしています。これを、C-P3複合体(犬歯-下顎第3小臼歯複合体)と呼んでいます。また、獲物をこのC-P3複合体の間に噛み込む事により、肉を切り裂く鋭利な刃物として機能しているのです。ちなみに、トゥーマイ猿人には、C-P3複合体は見られないと言われます。

つまり、牙を失ったヒトの系統では、同時に肉を食用とする手段まで失ってしまったのです。従って、サバンナの堅い植物食に適応していた猿人が新たに肉を食べようとすると、牙に代わって厚い獣皮や肉を切り裂くナイフが必要不可欠だったのです。そして、この問題を解決したのがオルドワンの剥片石器であり、猿人はこれによって初めて肉を食糧源にする事が可能になったのです。つまり、石器は失った牙の代替であり、牙を失った猿人が肉食を可能にする為に発明したものだったのです。

 オルドワン石器を手に入れた猿人は、サバンナでの肉食という新たな生態系のニッチに進出する事で急激に進化して行きます。そして約200万年前には、ホモ・エレクトスという脳以外はほとんど我々と変わらない、真の人類を誕生させる事になるのです。 

図48)チンパンジーの頭骨底面(小さな臼歯・大きな犬歯・大きな切歯・犬歯前の歯隙・U字型の歯列に注目)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

図49)歯列の進化(左からチンパンジー・アウストラロピテクス・現生人類/上から上顎・犬歯・下顎第3小臼歯・下顎)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

(つづく)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?