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逮捕、人生の転落  ~人生が大きく変わる瞬間~ 逮捕から何を学べるか? #1

#1 初日の衝撃: 警察署での極限体験

 2023年10月3日の朝、福井県越前市で私の人生は突然大きく変わりました。その日は通常の日常が一変する日となりました。社会保険料をめぐるトラブルに不満を持ち、年金事務所に抗議に行ったのです。職員とのやり取りがエスカレートし、最終的には警察が呼ばれました。

 警察官が到着し、私と職員の間に割って入る形で強く押されました。右手で警察官の左肩を、左手で警察官のベルトを掴んでいる状態で、警察官は後ろに倒れました。その場面で私は「まさか逮捕されるとは」という感情に襲われました。逮捕の瞬間の驚きと困惑、そして「この状況で逮捕なんてありえるのか」という疑念が頭をよぎりました。サイレンを鳴らしたパトカーが現れ、私はそのパトカーに連れ込まれ、福井県越前市の警察署へと向かいました。

警察署での最初の対応

 警察署裏側にある車庫にパトカーが入ると、そこには刑事と思われる人たちが二十人ほどが取り囲むように待機していました。そしてパトカーから降り、車庫の出入り口から階段を上がり、複数の階を上がって取調室へと連れて行かれました。そこで、まず持ち物をすべて出すように指示され、スマートフォンの電源を切りました。その後、取り調べが始まりました。

 取調室での取り調べの後、私は留置所へ移動しました。留置所では財布の中のお金やカードの枚数が細かく数えられ、持ち物のチェックが行われました。さらに、全ての衣服を脱ぎ、身体の隅々まで調べられるという厳しい手続きが行われました。留置所の部屋に入るときには一旦壁を向いて待たされ、留置所の中の係の人が来たら壁を向いていたのをやめて留置所に入ります。また、房に入るとき、出るときは足と手を広げて大の字のようになり、身体の隅々まで金属探知機で調べられる徹底ぶりでした。この時点で、留置所内の生活がどれほど厳しいものになるかを実感しました。

名前ではなく番号で呼ばれる日々

 留置所では、氏名ではなく番号で呼ばれるルールがありました。私の番号は50番でした。50歳で50番と覚えやすい番号でよかったです。自分は数字を覚えるのがとても苦手なのです。番号で呼ばれることは、名前を知られないようにするための措置であり、他の拘留者とも直接的な交流が少ない環境を作り出していました。この非人間的な扱いは、精神的な負担をさらに大きくしました。しかし、拘留所でお世話をする係の人たちはとても優しく接してくれました。彼らの温かい対応は、厳しい環境の中で唯一の救いとなりました。

最初の取り調べ

 最初の取り調べでは、担当刑事が私の名前や身上、家族構成、職業など細かく質問してきました。刑事さんは非常に口調が優しく、取り調べに対して答えたくないことは答えなくてもいいといった被疑者の権利についてまず説明をしてから取り調べを行いました。また、事件そのものの内容が難しい内容ではないため、取り調べについてもそれほど厳しくはなく、雑談交じりの取り調べでした。私は警察官を倒してしまったことは認めましたが、投げ飛ばしたわけではないと主張しました。その場にいた警察官の人数や状況についても詳細に聞かれ、私の主張を伝えることに努めました。

拘留中の初日の生活

 初日は逮捕された朝の後、昼ご飯の時間に500円ほどのお弁当が出されました。揚げ物が多く含まれたその食事を、房の中で一人で食べました。留置所の生活は極めて単調で、自由が奪われた状態でした。寝具は消灯時間の前に煎餅布団のような昔ながらの布団を取りに行きました。消灯時間は21時、起床時間は7時です。起床後は部屋の掃除を行い、布団を押し入れのようなところへ運びます。貸本があり、貸し出しのリストから一度に3冊まで借りられるというシステムがありましたが、暇な時間はほとんど本を読むか筋トレをするぐらいしかありませんでした。拘留中の初日は孤独で不安でしたが、48時間の拘留が終われば出られるだろうと楽観的に考えていました。

弁護士との初面会

 個人の資産が50万円以下であったため、国選弁護人をお願いすることにしました。留置所で国選弁護人が接見に来た際、初めての面会が行われました。弁護士からは「自分の主張と違うことは認めない方が良い」とアドバイスを受けました。認めることで早く出られるかもしれないが、それは確実ではないため、自分の主張を貫くべきだと言われました。また、弁護士は外部との唯一の連絡手段だったため、仕事上どうしても連絡を取りたい人へのメッセージをお願いしました。他の方々には仕事上での連絡をしたかったのですが、連絡先などがすべてスマートフォンに入っており、一切スマートフォンを触れないために連絡が取れず、大変ご迷惑と心配をおかけしたことに対して謝罪するしかありませんでした。

ここから何を学んだか

 この初日の経験を通じて、私はいくつかの重要な教訓を学びました。まず、自由が奪われることの重さを痛感しました。日常の中で当然と思っていた自由がいかに貴重であるかを身をもって知りました。また、他人の助けと優しさが精神的にどれほど大きな支えになるかも実感しました。拘留中に優しく接してくれた係の人々や、心強いアドバイスをくれた弁護士の存在が、私の精神的な支えとなりました。そして、法律や権利についての知識の重要性も痛感しました。自分の権利を守るためには、基本的な法律の知識が必要であることを学びました。この経験は私にとって厳しいものでしたが、同時に多くの教訓をもたらしてくれました。
 そして、この後に続く検察での取り調べや裁判所による勾留の決定などさまざまな経験をし、人質司法の問題などについてもお伝えしていきます。

※みなさまの応援が現在の制度を変えます

 現在検察に対して取り調べの録画を提出して欲しいと要望を出していますが、裁判所への提出されたものではないため閲覧ができないと言われています。これでは何のために録画がされているのか意味がわかりません。正直、この一件で実体験しましたが人質司法の問題や、勾留の本来の目的から外れた運用がなされているのが現実です。録画を手に入れるには裁判を起こして公開してもらう必要があります。人質司法であったり違法ではないかと思われる勾留請求はいつあなたやあなたの周りの人に襲い掛かるかわかりません。そんな問題を無くしたいと考えています。弁護士の費用などに使うためみなさまのサポートをお待ちしております。


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