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日本盆踊り紀行 01 陸上の墓踊り(鳥取県岩美郡岩美町)

お墓の周りを踊る盆踊り

 きっと僕はその盆踊りに恋していたのだと思う。

 最初の出会いはYouTubeの動画だった。どんなきっかけでソレにたどり着いたのかは覚えていない。とにかく強烈だったのは、お墓の周りを舞い踊る人々の姿だ。
 いわゆる観光的な大々的な盆踊りではない。ひっそりと、その集落の住人だけが楽しむような、ささやかな雰囲気。浴衣の者もいれば、普段着の者もいて、着飾らない。みんな、おだやかな表情で踊っている。
 トン、トン......と一定のリズムで叩かれる太鼓。それに合わせて、のびやかで哀愁に満ちた歌が聞こえてくる。この世のものでないような、不思議な響きを持つその歌声が、画面の向こうに満ちた夏の湿っぽい空気の中に溶け込んでいく。
 僕はどうしようもなくその動画に魅了されてしまったのだ。

 ここ数年、お盆の時期には実家にも帰らず、時間の許す限り全国各地を巡って盆踊り行脚をしている。車持ちではないので、青春18切符と夜行バスと自分の足を使った、亀のように鈍い旅行ではあるけれど。場合によっては踊りの会場まで山道を1時間歩くことだってある。宿代をケチって野宿をすることもある。決して快適ではないけれど、未知の盆踊りとの出会いや、現地の人々との交流は、何ものにも変えがたい魅力がある。

 そんな私であるから、「これぞ」と思った盆踊りを見逃すはずもないのだ。しかし、動画を見て惹かれた「陸上(くがみ)の墓踊り」は状況が違った。まず、場所が鳥取県である。鳥取県、一度も足を運んだことのない場所だ。そして、動画の雰囲気からして、いかにも地元の人たちだけの催しという感じで、よそ者としては腰が引ける。さらにネットで見つけた情報では「毎年8月14日夜19時30分頃から地区の初盆の家のお墓で踊られる」となっている。具体的な住所表記はなく、手がかりは「初盆の家のお墓」というフレーズのみだ。これらの理由から、「いつか行こう」とは思いながらも、その思いはずっと棚上げになっていた。

太鼓の鳴る方へ

 2018年の夏。なんのきっかけもなく、「そろそろかな」と鳥取行きを思い立った。
 本当にこれという理由もなかったが、いつまでも憧れを憧れのままにしていいのかと急に心が奮い立ったのだ。一度心に決めると、途端に気持ちが昂ってきた。いそいそと鳥取までのルートを調べる。どんな交通手段を使えば、安く、スムーズに目的地にたどり着けるか。地図を睨めっこしながら計画を立てるのもなかなか楽しいものである。
 それから「よそ者が参加していいのか」問題も解決しなければいけなかった。陸上の墓踊りについての解説が載っている「鳥取伝統芸能アーカイブス」というサイトでは、問い合わせ先が「岩美町 教育委員会生涯学習係」とされていたので、電話してみる。窓口の人に「陸上の墓踊りについて知りたいんですけど」と話すと、「担当がいないので折り返します」と返事。そして数時間後だったか、翌日だったか忘れてしまったが、「担当」という人から電話があった。役場の人であったが、なんとその盆踊りの運営に自分が関わっているというのだ。恐る恐る東京モンですが参加しても大丈夫か?と聞くと、OKだということで安心。さらに開催場所について質問すると、これが面白かった。

「隣海院というお寺を目指してください。そこから高台になっている方にずっと歩くんです。そうすると、太鼓の音が聞こえてくるので、そこを目指してください」

 住所ではない。目印となるランドマークもない。ただ、太鼓の音に向かって歩いていく。なんだか、おとぎばなしような道案内に、おかしいような、楽しいような気持ちになってくる。

イカ丼と盆棚

 鳥取県岩美郡岩美町。鳥取県の東端に位置し、兵庫県は目と鼻の先だ。町の北側は日本海に接し、私が降り立った東浜駅からも、駅を出てすぐ目の前に海を眺めることができた。

 そういえば、件の墓踊りの動画をよく見ると、踊り子たちの足元が砂地であることに気づく。まさに海辺の町の盆踊りなのだ。

 役場の人に教えてもらった盆踊りの時間まで、まだ3時間ほど余裕がある。ちょっとこの町を散策してみることにする。

 海岸線に平行して町を歩く。どこまで行っても、目に入ってくるのは、広大な空、そして海。関東平野の真っ平らな土地で育った自分にとっては、自然の地形が感じられる風景というのは、それだけで感動ものである。
 しばらく歩くと家族づれでにぎわう海水浴場が見えてくる。大人になってからは久しく海で遊んでないが、砂浜で遊ぶ子どもたちの姿を見ていると、幼い頃、毎年夏に遊びに行っていた母の実家を思い出す。岩手の海沿いにある田舎町で、車で少し行ったとこに海水浴場があり、何時間も砂浜を掘って遊んでいた記憶が頭の中に残っている。

 海で泳ごうという気にはならないが、せっかくなので海の幸をいただくことにする。海の家で注文したのはシンプルな「イカ丼」。白い飯の上に、白いイカ。何も足さない、何も引かない、ダンディズムすら感じる飯であるが、大人になるとこういうごはんが本当に美味しく感じるのだ。歯応えのあるイカを味わいながら、白飯をかっこむ至福の時間。

 腹ごしらえも終わったので、目印となる隣海院を目指すことにする。集落の中を歩いていると、家の玄関に不思議なお供えを見かけた。木で作られた棚にお札が貼ってあり、そこに野菜が添えられている。先祖の霊を迎えるいわゆる盆棚というものであろうか。素朴な進行の気配に、お盆というこの特別な時期を強く意識する。

海に起立する墓

 しばらく歩くとと、隣海院にたどり着いた。事前に調べた情報によると、かつてはこの神社の境内でも盆踊りを行っていたそうだ。過疎化でなくなってしまったのだろうか。往年は屋台が並んだり、さぞ賑やかでだったのではないだろうかと想像する。
 お寺の北側は確かに高台のようになっており、ゆるかな坂道が海に向かって伸びる。えっちらおっちらと歩いていくと、突然目の前の景色が開けて、僕は思わず息を呑んだ。

 それは、海に向かって起立するいくつもの墓石であった。物を言わず、静かにそこでたたずむお墓の群は、海と共に生きてきたこの土地の人々の暮らしぶりを何よりも雄弁に語っていた。なんだかわからないけど、泣きたいような気分になる。この光景を見ただけでも、来てよかったと思う。

 日も落ちてきて。いよいよ盆踊りの時間が近づいてきた。しかし、あたりに祭りの気配はない。本当に盆踊りは開催されるのだろうか?  にわかに不安が募ってくる。手がかりは役場の人が言っていた「太鼓の音」しかない。
 周辺を歩きながら観察していると、墓地は海岸に沿っていくつか点在していることがわかる。このどこかの墓で盆踊りが行われるに違いない。耳をすましながら、あたりを動き回る。探しているうちに盆踊りが終わってしまったらどうしようという焦りも出てくる。
 あたりがすっかりと暗くなる。視界が奪われて、道もよくわからなくなってくるが、かすかに太鼓の音が聞こえてくる。鳥肌が立つ。本当に太鼓の音が聞こえる! しかし場所がわからない。草地のような場所を小走りで駆け抜ける。しばらく彷徨っていると、ようやく人の気配を感じることができた。そうだ、あそこだ。草地をかき分けて音に向かって進む。

 墓地に集まる人々の群れ。目視できるだけでも、20人以上はいるようだ。思ったより人が多い。浴衣を着た主催者のような人たちが数人いて、一人が一輪車に太鼓を載せて、一定のリズムで叩いている。「さあ、これから盆踊りがはじまるぞ」と寄せ太鼓で踊り子たちを呼んでいるのだ。僕たちが普通イメージするような盆踊り大会のイメージとはまったく違う。露天もないし、提灯もないし、ヤグラもない。先祖供養、弔いという、もっとも純粋な形での盆踊りの姿が、僕の目の前に現れている。

墓場でダンス

 しばらくすると、近くにあったお墓の周りを人が取り囲み始めた。これが初盆を迎えた家のお墓のようだ。突然に、「死」という概念が忍び寄ってくる。当たり前だが、ここにいる誰かの家族が最近になって亡くなっているということだ。少しうろたえた気分になっていると、やがて盆踊りが始まった。

 お墓を中心にして輪を作り、音頭取りと呼ばれる唄い手の声に合わせてゆったりと踊り出す。「口説き」と呼ばれる物語形式の唄である。選ばれた題目は「鈴木主水」。素朴な唄、素朴な太鼓。お墓が舞台だからといって変にシリアスな雰囲気はない。踊り子さんたちも、わきあいあいとした雰囲気で踊っている。子どもたちも見よう見まねの動きで、大人たちについていく。

 もしも僕が墓場に眠る霊魂だとしたら、こんな状況では踊らずにはいられないだろう。だって現世に残してきた親族や、近所の知り合いが、自分の墓の周りで踊っているんだ。盆踊りとは先祖供養の踊りである、そんな当たり前の事実を、これほどまでに体現した光景があっただろうか。
 一通り写真をや動画を撮った後に、僭越ながら僕も踊りの輪の中に参加させていただく。飛び入りだけど、もちろん拒否されることはない。前後の人の動きを観察しながら、手足を動かしてみる。シンプルな動き。右、左、右と手足を交互に出しながら、体を左右にひねって、少しずつ前進していく。どこかしら、東京の佃島の盆踊りを彷彿とさせる。物凄い勝手な印象だけど、山の踊りというよりは、海の踊りという感じがする。
 約10分ほどで踊りは終了。さあ、次はどうなるんだろうと様子を伺っていると、太鼓を乗せた一輪車を先頭に、踊り子と見物客の集団が動き出した。次の初盆の家の墓に移動するようだ。
 あたりは真っ暗闇。しかも舗装された道路を行くのではなく、藪の中に突っ込んでいって、地元の人しかわからないような小さな道をぐいぐいと進んでいく。うっかりとしていると取り残されてしまいそうで、必死についていく。
 次の踊りの会場は、周辺を背の高い草に囲まれた狭い空間。こんな場所でもみんな肩を寄せ合いようにお墓の周りを踊る。飽きてしまった子どもが卒塔婆で遊んだりして、周りの大人たちが慌て出す。笑い声も起きる。アットホームな雰囲気の中、僕も一緒に踊らせていただく。先ほどは砂利だたが、今回の地面は砂地だ。下駄を履いてきたので、とても踊りにくい。 心の中で苦笑しながらも、憶えたての振り付けで僕もついていく。

海と踊りとともに

 踊りの合間に、少し休憩をとって地元の方にお話を聞いてみる。まず驚いたのが、音頭を取っている方が学校の先生であるということ。そして、かつて2種類あった踊りと唄が、現在は1種類になってしまっているということだ。踊りがなくなっていく、全国各地で当たり前のように起きている現象ではあるが、墓踊りでもそれは変わらない。でも、こんな魅力的でユニークな盆踊りが、いまだ地域の人々によって継承されている、それだけでも価値のあることだと踊りながら思う。

 4カ所ほどのお墓を回って、最後のお墓にたどり着く。これで終わるということもあってか、踊り子たちの人数も多く一層にぎやかだ。代々のご先祖様や、亡くなった方々の霊も一緒に踊っているだろう。ここでも10分ほど踊って、終了。最後に、主催の方から参加者に缶ジュースが配られると、余韻を味わうこともなく、あっという間にみんな立ち去ってしまった。
 ぽつねんと暗闇の中に立ち尽くす自分。先ほどまであれだけにぎやかだっただけに、余計に寂しさがつのる。あれは夢だったのだろうか。坂を下った突き当たりの家屋に、音頭を取っていた数人が吸い込まれていき、にぎやかな声が聞こえてくる。これから盆踊りの打ち上げなのだろう。さて、自分も今宵の宿を見つけなければと思い立ち、静かに駅に向かって歩き出した。

 お墓の周りを踊るあの人々の姿と、海に面して静かにたたずむたくさんの墓石のことを頭に思い浮かべる。土地に根を張ることなくふわふわと生きてきた自分は、こういう光景に出くわすとなんとも言えない気持ちがこみ上げてくるのだ。
 海の気配を感じながら、足元の砂を踏みしめながら、またいつかあの音頭で踊りたい。

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