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生活の解体

引越しに向けて、毎日細々と荷物の整理をしている。ワンルームの狭い部屋と侮るなかれ、これが結構骨が折れる作業だ。

原因はどう考えても蔵書の多さだし、箱詰めした段ボールを部屋の中でどのように配置していくか、これもまた部屋の狭さがネックになっている。昔、倉庫番というゲームがあったが、まさに荷物の多いワンルームの引っ越しは、あのパズルゲームと同じ要領だ。

この引っ越しを会社員の時にやっていたら、と考えるとゾッとする。土日の限られた自由時間を使って、一気にこの作業を進めていくなんてとても現実的ではない。フリーランスで常に自宅にいるということもあり、仕事の合間を縫って作業を進められるのはありがたい。

引っ越しは部屋の中央に構えているこたつテーブルを撤去するところから始まった。これをどかすだけでも、だいぶ段ボールを積む場所が確保できる。

押し入れの奥から、ボロボロになった段ボール箱を取り出す。購入当時に、このこたつを梱包していた段ボールだ。見ると、昔の伝票がそのまま貼ってあって、新卒の時に住んでいた名古屋のアパートの住所が記載されている。

懐かしい住所だ。新卒で縁もゆかりもない名古屋に配属されることになった時、父親がこのこたつを買ってくれたことを思い出した。住んでいたアパートは、数年前に再訪してみたら工事中で、その後取り壊されてしまったらしい。今は存在しない「末廣コーポラス」というアパートの痕跡を、思いもかけず発見することができた。

荷造りが進んでいくにつれ、部屋の隅に高々と段ボールが積まれていく。本棚の中も空っぽになり、部屋の顔つきはどんどんと変わっていく。10年間、慣れ親しんだ部屋なのに、今は、なんだか他人のような白々しさを感じさせる。知らない部屋にいるようで、落ち着かないし、夜になると、恐ろしさすら感じる。俺は一体、どこにいるのだ。

「生活の解体」というと、なんだかキザな感じにも聞こえるだろうが、実際に引っ越しという作業は文字通りの生活の解体だと感じる。

ここで寝たことも、料理をしたことも、メシを食ってクソをしたことも、仕事をしたことも、生活そのものが解体されていく様子を、「荷造り」という現実の過程を通じて観察することができる。そういう意味では、かなり興味深い体験だとも思う。

荷物が全部片付いたら、この部屋はまったく赤の他人のような顔つきになってしまうのだろう。オンボロなアパートだが、あともう少しは生き延びそうだ。次の入居者に気持ちよく使ってもらえるよう、できる限り部屋をキレイに掃除して、この場を去りたいと思う。


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