脇見歩きのつぶやき 牛頭天王編(2)
2021年の夏から秋に、牛頭天王の痕跡を探して右往左往しました。
その小さな成果をUPさせてもらいます。
自宅付近をサイクリング中に、高皇産霊尊(タカミムスビ)神社(武庫之荘の北伊丹市山田)という神社を見つけました。
高皇産霊神は、記紀神話で最初に高天原に立った五柱の神々の一人で、いわば、皇祖神の皇祖神です。
本殿の裏に複数の摂社が纏めて祭られていて、牛頭天王も祭られていました。(御祭神 祇園牛頭天王と書かれています)
「高皇産霊神社 御造営記念」の碑(昭和48年)に、「このたび飯御頭講 講員 氏子 並びに 崇敬者各位のご協賛を得て・・・」とあります。何と読むのでしょうか、この地区の講社の名称のようなのですが、「・ゴズコウ」とも読めるのが気になります。
9月に富田に行った折に、
子供の時から、さびれた林の中の公園みたいな認識しかなかった、近くの神社を訪れて写真に収めました。
神社の名前は、地名を冠した「五百住(よすみ)神社」ですが、境内に八坂神社と春日神社が祭られています。
ありました。鳥居の左柱の上部に、すごく明瞭な「牛頭天王」の刻印があります。
子供のころからあったのかどうか。全く意識してなかったのでわかりません。
2021年10月23日に訪れた茨木市東太田の八阪神社は、
東太田茶臼山古墳(宮内庁公認継体天皇陵)の南を東西に通っている西国街道を少し南に入ったところにあります。
社務所、神社名表示はなく、管理小屋に個人名と八阪神社と書かれた郵便受けがあるきりです。
境内写真右の燈篭に「牛頭天皇」(天王ではなく天皇となっているのは、珍しいと思います)と彫られています。
拝殿の中をのぞくと、なにやらおどろおどろしい額絵が・・・・。左は船団が海獣に襲われているような、右は、須佐之男命とクシナダヒメが描かれているのか、龍の身体が途切れ途切れに見えるように思えます。
昔の地図を見ると、お寺の記号になってます。いつから神社にされたのでしょうか。
高槻の摂津峡の北東の盆地に「原」という村があり、ここの八阪神社を10月28日に訪れました。
高槻の名所、旧跡の地図に大概載ってます。
今は、祭神を須佐之男命としていますが、鳥居に牛頭天王の由来が刻まれています。鳥居の左の柱の上の方です。拡大すると何とか読み取れます。
漢文古文が大の苦手だったわたくしめが無理やり読んでみます。「正一位牛頭天王はこの地往古に、如来薬王菩薩の化身として現れ・・・」。
境内に、屋根で覆われただけのお堂があります。ここに大きな奉納額絵があるのですが、雨ざらしのまま放置されているので、今ではほとんど何が描かれているのか分かりません。東太田八阪神社の額絵を思うと、どんな光景が描かれていたのか、大変気になります。