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ごまめのごたく:サルタヒコとの遭遇(1)

 2022年11月上旬、家族で、ウサギとかつての毒ガス製造施設で有名な大久野島へ。2回目。

 前回は海外からの観光客が大勢きてて、ユーチューブなどで100匹以上のウサギに追いかけられてる観光客など紹介されててにぎわってましたが、いまはネズミが増えてそれでウサギの数が激減してるとか。あちこちにネズミ捕りが仕掛けられてました。

  広島県竹原市大久野島(うさぎ島)に行った帰りに、たけはら町並み保存地区に立ち寄りました。その時、西方寺・普明閣(ふめいかく)を見学。

 西方寺まで数十段の階段を上り、本堂脇手からさらに数十段登ったところに普明閣があります。

 石段の途中の踊り場風の展望がいいところがあったので立ち止まり、脇見歩きが性分で、脇を見てみると、2m程の高さの土塁の上に灯篭がありました。

早速そこへ登って竹原の町並みを撮影。

灯篭の下の石碑に、昭和七年八月十七日 とあります。

後ろを振り返ると、山すそに小さな祠があるのに気が付きました。こういうのを見ると、正体を探りたくなります。

 岩窟の中に、(ろうそくの)炎のような形をした岩が祀られていて、よく見ると、不動明王のような像が刻まれています。

 湯呑が置いてありますが、頻繁に訪れる人はいないようです。岩窟の前面には玉のれんのようなものが飾られています。とここまで書いて、投稿する写真をよく見てみると、ちゃんと人手で飾られているんだ、と思ってたのが、岩肌をはっている植物の葛が垂れ下がっているようです。うまくできてるなあ・・・

 それで、これはどういう神様、仏様を祀っているのかよくわからんけど、と思いながら、先ほどの灯篭と石碑の表側に回ってみると、「猿田彦大明神」とありました。全体を撮影。

灯篭の左下の石碑に「猿田彦大明神」とあります

 一昨年あたりから、古代史関連本を読んだり調べたりしてたので、猿田彦が、天孫降臨の際にニニギノミコトを案内した神であることは頭の中にあった。

 ここで復習。一年も経つと、学んだことの詳細は靄となって消えていくので、また初めから流れを追ってみます。
 去年7月の記事「ごまめのごたく:山田の周辺」で述べた古事記の話は、スサノオノミコトのところまででした。

 古事記によると、まず高天原(たかまのはら)に現れたのは、アメノミナカヌシの神、高皇産霊神(タカミムスビの神)、カムムスビの神。
それから神世七代の神々が現れ、イザナギ(伊邪那岐)とイザナミ(伊邪那美または伊弉冉)が最後に現れる。
 お二人が、陸地のない泥沼のような海を矛でかき混ぜると、矛先から滴ったしずくからオノコロ島ができたので、そこに降り立った。
 
 その後、淡路島など八つの島(大八洲:おおやしま)をお産みになった。
 大八洲を産まれた後、さらに山や草木や自然界をつかさどる二十三柱の神々が産まれた。
 さらに、イザナミさんの排泄物から様々な農産物の神々が生成し、最後に、イザナミさんが火の神カグヅチを産み落としたが、そのとき大やけどを負って亡くなられた。
 怒ったイザナキは、カグヅチを切り殺してしまったが、このカグヅチは、防火の神として愛宕神社にに祀られている

 死んだイザナミは、黄泉の国に行ってしまったが、イザナキは大きな悲しみに包まれて、黄泉の国へ妻を連れ戻しに向かった。 イザナミは、「もう地上には戻れない、決して私の姿は見ないように」といって、立ち去ってゆくが、結局、イザナキは妻の姿を見てしまう。
 そこで垣間見たイザナミの身体は腐敗して腐臭を放ち、ウジがたかった穢れた体から生まれた雷神八柱がついていた。
 黄泉の国から脱出したイザナキは、日向国(宮崎県)へ行って、黄泉の国の穢れを祓うために禊(みそぎ)をする。
 そこで、左目を洗ったときに生まれたのがアマテラス、右目から生まれたのがツクヨミ、鼻から生まれたのがスサノヲです。
 スサノヲは、父から海を治めるように指示されたが、所かまわず悪さをし、アマテラスが天の岩屋に隠れる話となる。
 この、天の岩屋の出来事がもとで、スサノヲは高天原から追放される。

私の記事「ごまめのごたく:山田の周辺」より要約

 スサノヲは、出雲国でヤマタノオロチを退治して、生贄にされかけていたクシナダヒメを妻に娶り、六代目の孫にオオナムヂ=オオクニヌシが登場する。
 オオナムヂは多くの試練を受けた後、スサノヲの娘スセリビメと結ばれる。スサノヲからオオクニヌシの名を授けられ、八十神(ヤソガミ)を倒して出雲を平定する。
 
 時が経ち、オオクニヌシの国が繁栄しているのを見たアマテラスは、葦原の中つ国は自分の御子が治めるべきだと決意され、天孫降臨の話となる

天孫は天、つまり天照大御神、の孫です。
天上と葦原中国(あしはらのなかつくに)との間ですったもんだの取引があった後に、
 天照大御神と高木神(たかきのかみ)の仰せによって、天照大御神の御子オシホミミノミコトに「今、葦原中国を完全に平定し終わったと報告があった。したがって委任したとおりに、葦原中国にお降(くだ)りになって統治しなさい」と仰せられた。
 仰せを受けた太子のオシホミミノミコトが答えて、「自分が天降ろうとして装束を整えている間に子が生まれました。名はニニギノミコト、この子を降すのがよろしゅうございましょう」と申した。
 この御子は、オシホミミノミコトが高木神(たかきのかみ)の娘と結婚なさってお生まれになった子であり、兄にホアカリノミコトがおり、次がニニギノミコト、二神である。
 そこで、オシホミミノミコトが申されたとおりに、ニニギノミコトにお命じになって、
この豊葦原の水穂の国は、お前が統治すべき国である、とご委任があって授けられた。だから仰せに従って天降りなさい」
と仰せになった。

「ごまめのごたく:歴史の断層と交流」より

 この後、アメノウズメがサルタヒコの神と対峙する話になります。

 お言葉に従って、ニニギノミコトが天降りなさろうとする時に、天の道の八つ辻の分岐点において、上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らす神があった。そこで天照大御神と高木神の仰せがあって、アメノウズメノ神(天の岩戸にお隠れになったアマテラスを外に引き出すために、岩戸の前で裸踊りをしたあの神様)「おまえはなよやかな女神ではあるが、面と向かい合って、相手の神の眼力に睨み勝つ神である。だからおまえがただ一人で行き、相手に問うべきは、『我が子孫が天降ろうとする道にこのようにいるのは誰か』と問え」と仰せになった。
 アメノウズメが相手の神に、そのようにお問いになった時に、相手が答えて、「自分は国つ神で、名はサルタビコノカミであります。ここに出ているわけは、天つ神の御子孫が天降りなさると聞きました。それならば先導をお仕えしたくて、お迎えに参っておりました」と申した。

角川文庫「新版 古事記 現代語訳付き」
神々の名前が長たらしく読みにくい漢字表記です。
そこで、よく使われる短い呼称をカタカナで表記してます。


話が長くて、神々の名前も沢山沢山出てきてこんがらがります。

竹原の西方寺の話に戻ります。

 へー、こんなところで祀られてるんだと思いながら、考えを巡らせていて、そういえば、土産物店に「猿田彦珈琲」というブランド名のドリップパックを売ってたのを思い出した。それで、「猿田彦珈琲」はきっと、このあたり(広島?竹原?)の地本ブランドの珈琲ショップなんだと考えたのですが、調べてみると、東京の店らしい。2011年開業で、創業者は古代史マニアかと思いきや、行き当たりばったり、聞きかじった名前をつけたらしい。

 そしたら、伊勢神宮のお隣の猿田彦神社の宮司さんから、コラボを申し出られ、猿田彦神社公認の珈琲店として、三重に出店して拡大したらしい。

 (なお、グーグルマップなどで調べると、猿田彦神社は全国各地にありますね。たいがい、小さな祠で、道祖神らしい祀られ方です。)

 最近、近くのコーヒー売り場や自販機で、猿田彦珈琲監修の缶コーヒー(ジョージアのネジ蓋の缶コーヒーです)を見つけました。全国展開してるんや・・・・。
 書き出しから脇道へそれたようで、締めくくりは、ネーミングで商売繁盛の紹介になってしまいました。

 旅から戻ってしばらくして、古書店でタイトル画像の「サルタヒコの旅」という本を見つけました。

 この「サルタヒコ・オディッセイ」はスリリングとインタレスティングの融合する道であった。面白おかしの旅であった。・・・この本は面白い。なぜなら、みんながサルタヒコやウズメの神の光に照らされて、サルタヒコ同様・・目を輝かせ、・・顔をほてらせ、面白楽しと懸命に取り組んでいるからだ。

同書「はじめに」より

ーーーーーーこういうタイミングで、こういうのに出会うと、ニンマリ微笑んでしまいます。