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送り火

毎年八月の盆前には、亡父の墓掃除をした後、その足で銀閣で有名な慈照寺の脇にある浄土院で送り火の塔婆を申し込みます。亡父の戒名を書いた塔婆を、有名な大文字の送り火の中央で燃やすのです。
内陸盆地の京都の夏は蒸し暑いのですが、時間が許せば、塔婆を申し込んだその足で、送り火の火床まで散策するようにしています。

浄土院、今は浄土宗のお寺

暑いとはいえ、火床までの道は油蝉ではなくヒグラシの涼しげな声が満ちており、陽射しも木々が遮ってくれます。

花崗岩が風化した白砂の清々しくも明るい山道。火床までは普段から地元の老若男女がよく歩かれており、山を歩き慣れている方なら20分ほどで火床に到着します。(とは言え山道ですのでハイヒールでは無理です。街灯も無いので日が暮れれば暗闇で行動不能になります。)

タイトル写真はiPhoneで撮ったものですが、この写真を含めて他の写真はGRIIIxで撮影

大文字は真西、現在の寛永年間に幕府により再建された御所の方角を向いていると思われている方が多いようですが、北西を向いた尾根上にあります。ですので、送り火を現在の京都の中心地である中京や下京あたり、また東山区あたりから見ると、向かって左の大の払いが斜面に隠れて見えず、大ではなくKの字に見えます。

今出川の北にある鴨川の河原から見ても大の字の正面はこちらを向かず、まだ少し北(左)を向いています。

私個人の考察では相国寺、足利室町第、衣笠山麓の金閣を擁する鹿苑寺に正面を向けているように思います。この件はもう少し調べて深掘りをしていずれnoteに記したいと思いますのでここではこれくらいで。

現在の大文字本尊安置所とされる浄土院は浄土宗のお寺ですが、送り火の中心には弘法大師が祀られています。弘法大師空海さんは言わずと知れた真言宗の開祖。宗派が違うのですが、送り火当日の法事には真言の坊さんも来られるようです。江戸期以降の日本らしい宗教間の大らかさでしょうか。

送り火の火床は、街から見えるように木が伐採されている為、もちろん見晴らしも良好、右後方に比叡山、市街越しの対面に愛宕山、左奥には天気が良ければ大阪のビル群が見えます。
逆に木陰が無いので真夏の炎天下には暑いのですけれどね。

私自身は特定の宗教の信仰を持たず、不可知論者です。どちらかと言うと、一神教などの人格神を崇めることよりも、プリミティブに自然を崇敬したり、ゴーダマ・シッダールタさんのように生きる中で執着を捨てて心を穏やかにする考え方に好意的です。
その一方で、盆の前に亡父の墓を掃除し、送り火の塔婆を申し込む習慣も非科学的と頭から否定はしたくなく楽しんでいます。亡父に思いを馳せる自分自身の為の演出なのです。
そんな中、日本の仏教での盆に死者がこの世に戻ってきて、盆の終わりにあの世に帰る足下(足はある?)を照らす送り火を灯すと言う世界観に面白みも感じています。ゴーダマ・シッダールタさんはおそらくそんなことを言っていないはず。この世界観の起源はどこだろう?その世界観が生まれて受け入れられる文化的土壌は何だろう?死者は夜行性だと思うのに、送り火が無いと帰り道が見えないのかな?毎年戻ってくると言うことは輪廻転生はしないのかな?
いろいろと好奇心が湧き立つテーマが溢れていますので、いずれゆっくりと調べてみたいと思います。

そんなこんなで、亡父との思い出に浸れた良き真夏の一日でした。


かなり以前に松崎辺りから望んだ送り火


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