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嫉妬と自己肯定感 その4

おさらい
①他者を肯定、リスペクトする。
②自己を肯定、リスペクトする。
③それを合わせて、『僕は僕。君は君』というように自分自身を他人と比較しない唯一無二になる。
というようなことを書いてきました。

今日はちょっと脱線します。

障害者を知る

一昨日、放談zoomというテーマ性をもったzoom飲み会で、障害者就労支援施設を経営する2人といろいろ話をさせていただいた。
カメラマンになってからは別の障害者就労支援施設だったり、養護学校で講演をさせていただいたり、撮影のお客様にも時々いらっしゃったり、サラリーマン時代には接点は皆無だった障害者の方々に接する機会ができた。加えて、サバソニグッズを作っていただくのに支援施設をつかったりで、積極的に関わるようになった。

嫉妬の対象というバロメーター

良いのか悪いのか、私はけっこう嫉妬心を抱いている。正確に言えば、嫉妬心を持つことに対して、意識的、認知的、コンシャスであろうとしている。
障害者に対しても皆無ではないが、頻度は少ないし、程度も小さい。
頻度が少ないというのは下に見ている証拠です。

私が作業を依頼しているティンクルでは目が見えない方がサバソニフラッグ(お子様ランチの旗と思っていただければ)を作っていて
『ちくしょー、あいつ器用だな。俺だってやろうと思えば眼をつぶってもあのくらいできるわ』
『みんなにちやほや(介助)されていいなぁ』
とか。
結構みっともない感情を持ちました。
嫉妬するということは、障害者という相手を下に見ていないことであるとも思います。
でも残念なことに、相手を障害者という大雑把なひとくくりに見ています。
それは良くありません。

自己の肯定も他者の肯定もまずは個として、認知、承認する必用があります。



To Know him is to love him
Phil Specterお得意のSweet & Tenderなラブソングなんだろうけど、
誰かを知ることは誰かを愛すること
つまり、知らなければ愛することはできないということを示唆しています。

一昨日お話しさせていただいたその二人の共通点に、身内に障害者がいたということがありました。他の障害者就労支援をしている知人にも、同じように身内に障害者がいるケースはあります。障害者について、知る機会が私に比べて圧倒的に多かったはずです。知る機会が多ければ、愛するチャンスも芽生えます。

日本の社会はインクルージョンが低いというか、これから頑張って多様性を受容する社会に変えていく途中だと捉えています
過渡期であるので、いろいろな失敗や間違いが起こるのは仕方ないこと。
せめて、積極的に知っていこうと思います。
それが、積極的に愛することに繋がると思います。

汝の隣人を愛せよ

キリスト教の言葉で、その意味を深く知りませんが、隣人を愛することが一番困難だと思っています。
犬やカエルを愛するのが簡単ですし、その気になれば、宇宙人も愛せます。しかし、自分に近しい属性の人を愛することは困難な場合があります。
遠くから来た目の色が違う外国人、自分のそばにいなかった障害者、知れば意外とみんないい奴じゃんとなりがちです。ですが、隣の芝を見て青いと思ったり、対して背が変わらないのに背比べをしたり、出る杭を打とうとしてしまいます。

嫉妬は隣人にしか抱きません。

嫉妬をさせてくれるほど、そばにいるありがたい存在として、尊重し、できれば愛するようにしていきたいと思います。

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