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嫉妬と自己肯定感 その3
そもそも対処法でなく、予防法なのですが、さらに言えば、自分が嫉妬屋さんにならないという意味ですね。
嫉妬ウィルスに感染しないための策であり、誰かに嫉妬されることは対象としてません。
対処法その3
自分という唯一無二のジャンルでトップになる
その2で書いた下に見ないの発展系です。
他者に持つべきリスペクト、つまり尊敬や尊重を自分自身に与えることです。
自己承認、自己受容に近いですかね。
宗教っぽいというか、道徳っぽいことを書いてますね。
具体的な方法としては
『僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない』
おっと!尾崎豊さんのまんまなんですが、実際にそう思うし、あの詩が一番しっくりきます。
僕自身が十代の頃は
『自分の存在を証明するため、自分の存在を他者に認めさせるためには勝ち続けなきゃならない』と解釈してました。
だから、マラソンや試合の時の脳内ソングで歌ってました。
しかしながら、2番の歌詞には
君が君であるために勝ち続けなきゃならない
とある。
『僕が勝つための歌やろ!君、勝たせてどないすんねん』
『尾崎ほどの人も、僕って言ったから、次は君ってな感じで曲作ってんだな〜。適当だな。まあ、応援歌っぽくもなるし』
とか思っていたが、違う。
優しさを口にすれば人は皆傷ついていく
なぜだ?
優しさとは誰かを傷つけるのか?
偽りに優しさのことか?
街に飲まれて少し心許しながら
中二の俺よ。
30年間の疑問を今、晴らす。
いや、30年間の疑問に今、勝手にこじつける。
こいつは嫉妬だ。
優しさを口にするとは、その2で書いた褒めるや叱るという優しさ、つまり相手を下に見る優しさに似た何かのこと。
街に飲まれて心許すとは、他者の許容と自分の許容。
そう思うとしっくりきた。
修行を繰り返し、聖人君子になれば、自分が嫉妬しないというコントロールはできるかもしれない。
もしくは、嫉妬を健全なエネルギーに変えることができるかもしれない。
残された問題
それでも、他者の嫉妬を止めることはできないだろう。
せめて、
みんなが、みんなを、目線を同じにして、ひとしく尊重し合える社会というところにたどり着くことができればと思います。
僕が僕であるために
君が君であるために
いい歌詞だな。
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