「日常X自分の物語」とナラティブ・コーチングの時代
withコロナ時代、語られる物語(ナラティブ)が変わってきている
半年前には全く予期していなかったことですが、私たちは突然「withコロナ時代」という新時代を迎えました。なんだか理不尽のような気もしますが、これから古い価値観の一部は通用しない世の中になります。この時期に幼少期を迎えた子供たちは、その新しい人生観、価値観から「コロナ世代」と言われることでしょう。
コロナ元年ともいえる今、コーチングあるいは雑談を通じで、私は語られる物語(ナラティブ)に変化を感じています。
これまでは、人間関係に関する相談が多かったものです。
「上司とうまくいかない」
「部下の気持ちが分からない」
「自分の思いが伝わらない」
「頑張っているのに評価されない」
といったものです。しかし、コロナ時代を迎えて、その内容が大きく変わってきています。
「仕事がなくなった機会に改めて考えたんだけど、私っていったい何者だろう?」
「これまで、順調にキャリアを積んできたけれど、これまでの30年って一体なんだったんだろう?」
「今の仕事の意味なって、何だろう?」
「このまま仕事を続けていいのだろうか?」
こんな悩みをこの3月以降多く聞くようになりました。これまで仕事のことばかり考えていた人たちが、長い自宅での自粛生活の中で、自分自身のことをじっくり考える機会を得た結果なのでしょう。
そこでは、日常の小さな物語が語られます。withコロナの時代になって、語られる物語のテーマは職場から家庭や自分の思考の中に移りつつあるのです。
「日常X自分の物語」の時代
宇野常寛さん(評論家、立教大学兼任講師)の『遅いインターネット』という著書があります。これはコロナ以前に書かれているものの、今起こっている現象を予言していたかのように感じます。
『遅いインターネット』のなかでの一つの論点は、「日常X自分の物語」です。
宇野氏は「非日常X日常」「他人の物語X自分の物語」という2軸で文化を4象限に分けて、これまでの文化を整理しています。
20世紀には「非日常X他人の物語」を描いた映画や長編小説が多くの人に感動を与えました。そして「日常X他人の物語」を扱った手軽なTV番組の時代となり、今世紀に入って「非日常X自分の物語」を体験させるゲーム、ポケモンGOも現れました。そして「日常×自分の物語」こそがこれからの文化の鍵だと宇野氏は主張しています。
たしかに、読書などに比べてフェイスブックやインスタグラムに莫大な時間とエネルギーが費やされていることを考えると、今は他者のスゴイ物語よりも自分の些細な物語を拡張することに人の興味は向かっている、ということは間違いないと思います。今時、分厚い小説を読んだり、難解な映画を何度も観なおす、というのは変人のすることとなってしまっています。個人的には残念なことですが。
最近、60年代や70年代を懐かしむ声をよく聞きますが、60年代は権威主義を破壊し、個人が「あなたの真実は私の真実ではない」と言い始めた時代だと言えます。ロック音楽やその他芸術、学生運動などによって世界は変えられるのだという革命的な幻想も抱かれた時代です。
そして、80年代。世界を変えることなんかできない、意味なんか考えてもしかたがない。それよりも消費社会の中で生活をエンジョイしようという考えが広がります。それが「おいしい生活」という糸井重里氏のコピーに代表されるようなバブル期です。
そして、ウィンドウズ95の発売以降、人はインターネットとともに成長し、今は「セルフィ―の時代」とも呼べる時代となりました。
セルフィ―の時代
私は、初めて自撮り棒を見たとき、それを醜悪だと感じました。それをインスタグラムにアップするなんてナルシシズム以外の何物でもない、と。
しかし、今はオスカーの授賞式で受賞者が観客と共にセルフィ―で撮影をしたり、ネルソン・マンデラ氏の葬儀の際にオバマ氏、クリントン氏、キャメロン首相がセルフィ―を撮って話題になったりする時代です。この件については批判もあったようですが、一般的にこの行為は親しみのある行為と受け取られ、彼らの好感度を上げることになったようです。有名人たちも自分たちと変わらずおちゃめで、隣人のような人たちであると感じ、安心しているのです。
今時セルフィ―は醜悪だなんて言ったら、「何お高くとまってんだ」と叩かれるだけでしょう。「そういうあんたこそナルシストだ」と言われれば、反論もできません。
そして、年間1千億枚ものセルフィ―写真がネットにアップされるのです。
これが良いか悪いかはさておき(宇野氏は書くための批評精神を啓蒙しています)、気軽にセルフィ―を撮り合ってつながる、「日常X自分の物語」が今の時代の文化です。
ナラティブ・コーチング
アメリカの詩人ミュリエル・ルーカイザーは言いました。
「世界は原子でできているのではない。物語でできている(The Universe is made of stories, not of atom)」
「一人の人生を、単につまらない出来事の積み重ねと考えるより、それぞれの出来事が関連し体系的に組み合わされたもの、つまり人生のストーリーとして考えてみる必要がある」
これは、リーダーシップ研究で著名なBoas Shamirの言葉です。
今、「自分の物語」は語られ、聞かれたがっています。
私は、コーチングを行う際に、クライアントの語る物語(ナラティブ)に注意を払うようにしています。本来コーチングに流派などというものはないと考えますが、語られる物語に注目するこの姿勢を私は「ナラティブ・コーチング」と呼んでいます。
セルフィ―や「日常X自分の物語」の時代、コミュニケーションにおいて「ナラティブ」に焦点を当てることがこれまで以上に大切になってきています。
そこで今後、私が実践している「ナラティブ・コーチング」について、いくつかの記事をアップしていこうと思います。
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