人生100年時代のリ・エンゲージメント第3回:慢心が晩節を汚す

天才プロデューサーの獄中死
 拙著『LET’S WORK ミック・ジャガーに学ぶ「これからの働き方」』の執筆中,紙面の都合で多くののエピソードをカットせざるを得なかった。カットした文章の中に,伝説の音楽プロデューサー,フィル・スペクターとミック・ジャガーを比較したものがある。
 スペクターはジャガーより4 歳年上のニューヨーク生まれ。10代の頃に自分のバンドで成功を収め,やがて音楽プロデュース業に専念をするようになった。多くの名作をプロデュースしたが,最も有名なのはビートルズの「レット・イット・ビー」だろう。その後もジョン・レノンやジョージ・ハリスンのソロアルバムのプロデュースを行い,天才プロデュー
サーとしての名声をほしいままにした。
 音楽を極めたとの慢心からか,彼は次第に音楽活動から離れ,90年代は隠遁生活のような暮らしをしていた。ドラッグに溺れることも多かったようだ。その後のスペクターの人生は,明るいものではなかった。2003年に女優を射殺した容疑で逮捕され,裁判中にモーツァルトのような大きなかつらを被って法廷に現れ,裁判を茶化したとして世間のひんし
ゅくを買った。結局有罪となり,2021年,新型コロナウイルスに感染し,獄中で死亡した。
 スペクターの波乱万丈の生涯は,アル・パチーノ主演の映画「フィル・スペクター」や,今年11月に公開されるドキュメンタリー「Spector」の題材となっている。
 誰もが憧れるような成功を手に入れたともいえるスペクターのキャリアを考えると,あまりにも残念な終わり方である。まさに「晩節を汚す」とは,こういうことを言うのだろう。
 世界のトップに居続けるということの難しさは,私のような凡人には想像しがたいが,「自分は別格の人間になった」と考える傲慢さがそのキャリアを停滞させ,また人生の足を引っ張るものなのだと考える。

カルロス・ゴーンの慢心
 ビジネスの世界では,カルロス・ゴーンのケースが晩節を汚した一例といえる。1999年,日産自動車の最高執行責任者(COO)として就任し,そこで行った改革は自著『ルネッサンス―再生への挑戦』で描かれているが,見事なものだった。多くの日本の経営者が古いしがらみのなかで実践できていなかった改革を進め,自身のコミットメント通りの成果
を上げた。その後しばらくの間見せた彼の経営手腕には,私を含め多くの人が感銘を受けた。
 しかし,ご存知の通り,彼は2018年東京地検特捜部に金融商品取引法違反で逮捕され,さらに特別背任罪で追起訴された。そして,日産,三菱自動車,そして翌年にはルノーの会長職を解任された。さらに,2019年,関西国際空港から音響機材搬送用の箱に隠れて自ら手配したビジネスジェットでレバノンへ密出国したことで世界を驚かせた。そして,今
やレバノンから出られない身の上となった。今後,身の潔白を証明しようと試みるのかもしれないが,ビジネス界に戻ることはもうないだろう。(彼のドキュメンタリーも22年暮れにNetflixより配信されることが決定した。)
 ゴーン氏の罪状については,まだ判決が出たわけではなく,様々な主張があるかもしれない。しかし,経営の天才ともいわれた彼がこのような形で退場してしまった背景には,自分の経営手腕に対する慢心から,経営者としての方向性を見失ってしまったという点は否めないだろう。

「憧れ力」という強み
 一方,スペクター同様,スーパースターの名声をほしいままにしたジャガーは,79歳の今でもステージで走り回り,新しい記録を塗り替え続けている。前号第2 回で,その背景には,彼が仕事を楽しみ続けているエンゲージメントの要素があると書いたが,エンゲージメントに加えて,ジャガーには「憧れ力」がある。それは,到底たどり着けない憧れの
存在を,諦めずに追いかけ続ける能力である。
 ジャガーが憧れているのは,50年代を中心に活躍した黒人ブルースの巨人たちだ。ジャガーは,彼らのように歌えるようになりたくてバンドを始め,一流大学に入学するも中退してプロになった。その後,ビートルズと張り合うために作曲を覚え,ビートルズと並ぶ存在となり,ブルース・ロックを世界に広めた。ブルースの巨人たちも,ジャガーたちの
活躍のおかげで世界中の音楽ファンから注目されるようになり,これには感謝をしているようだ。しかし,ジャガーは彼らを越えたなどとは夢にも思っていない。
 2016年,ジャガー率いるローリング・ストーンズは,「ブルー&ロンサム」という,全編ブルースの古典で埋められたアルバムを発表した。73歳のジャガーは,高校時代に憧れ,聴き込んでいたブルースマンの曲を,デビュー時には持ち合わせていなかった歌唱力と円熟味で熱唱している。そして,そのアルバムから感じられるのは,いまだに「彼らに追いつきたい」という憧れだ。60年間の鍛錬と成功でもまだ足りない,手の届かない高みに向けた執念だ。
 どんなに成功しても,ブルースの巨人たちはいつまでも越えられない憧れであり,自分を「別格の存在」と錯覚することなどあり得なかったのだ。だから,音楽に対する謙虚さを忘れず,晩節を汚すことなく活躍し続けていられるのだと思う。

ロックスター気取りと「本物」の違い
 2016年,カルロス・ゴーンは,自身の60歳の誕生日と再婚の披露宴とを兼ねてベルサイユ宮殿で,豪華なパーティーを開催し,「まるでロックスターのようなはしゃぎぶりだ」と非難された。
 しかし,ロックスター気取りをすることは,ロックスターであり続けることとは全く別物だ。
 ジャガーは,79歳になってもブルースやロックを歌い続けるために毎日愚直にトレーニングを続けている。ロックスターであり続けることは生半可なことではないのだ。
 ゴーン氏は何を追いかけていたのだろうか? もし自分はその辺のCEOとは別格のスターであり,経営からも,自分が経営する組織からも,もはや大して学ぶことはないと考えたのだとしたら,それは慢心といえるだろう。
 本気で追いかける存在,理想の高みがあれば,人は慢心に陥って晩節を汚してしまうようなことにはならない。なぜなら,少しでも憧れの対象に近づくためには,過去に満足するヒマなどなく,やるべきことがいくらでもあるからだ。
 私たちも, 「日々の業務の忙しさにかまけて,自分の目指す姿を見失ってはいないだろうか?」
 「そもそも,どんな理想に近づくために,仕事に
励んでいるのだろう?」
 「目先の成功で慢心してはいないだろうか?」
 「憧れのビジネスパーソンは誰だろうか?」
時には,そんな問いかけを自分に向けてみることも大切だと思う。

(「人事マネジメント」2022年11月号掲載記事より)

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