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信仰と宗教の関係について、スピ的な視点

これは、宗教は必要か?

という話でもあるので、かなり個人の信条などに、
踏み込む話になるかも知れませんが、

私の考えを情報として伝えるだけで、
それぞれ個人の信条や信仰などを否定するものではありませんので、
そこは誤解無きようにお願いします。

信仰とかって、個人の問題ですから、
他人が否定するとか、評価するとか、そういうのって、
そもそも適切じゃないですからね。

シンプルに言えば

「自分の信条、信仰は他人に押しつけるべきものでは無い」

ということです。

信条や信仰は、個人のものですから、
誰が何を信仰しようが、それはその人の自由と選択の結果
であって、他人がどうこう言えるものではないわけです。

まして、
こちらの信仰の方が正しい、などは、
押しつける物では無いわけです。

その個人にとって正しいなら、それで良いわけですから。

どうも、
宗教に対して信仰を持つと、
それを他人に押しつける人が多いし、

他の信仰は間違っていると考える人が多いし、
あまつさえ、

違う信仰を断罪するような人も多いので、

それは違うでしょう?

と。

このnoteでは、

私はこう考えている、というのを情報として伝える
ということですので、誤解されないよう。

で、

私的には、

なんらかへの信仰は、スピ的に(魂的に)は、
自然なことだと考えているので、

信仰や、信心は肯定的に考えています。

根源なる神様によって、自分が創造された、のなら、
その創造主である根源なる神様に信仰や信心を持つ
(崇めるとかも信仰ですよね)
のは、自然だろうと思っているからです。

その信仰の対象が、
根源なる神様ではなくても、ひとそれぞれに、
そういう崇めるとかの対象があって良いと思いますし、

誰が、何を信仰していても、それはその人の自由な選択の結果
なので、どうこう言える物では無いと思っているので。

だから、そういった信仰は肯定的なのです。

だからこそ、
神社巡りをしたりもするわけですけどね。

では、宗教への信仰はどうか?

と言うと、

宗教と言うものは、個人と神様との間を、仲立ちする物
だと考えています。

個人と神様を繋げる仲介役、ということですね。

これは、キリスト教などで言う、メシア(救世主)が、
神と人との仲立ちをする者として考えられて居るのと、
同様だと言うことです。

メシアも、宗教も、
個人と神様を仲立ちするもの。

その範囲(役割)での信仰は、有益で役に立つと
思いますので、その範囲での主教への信仰は、
肯定的に考えています。

しかし、

その仲立ちという範囲を超えている場合は、
それは望ましいのか?

と考えるわけです。

莫大なお布施を出さないと、悪魔に魅入られる
とかいって、負担を強いるような所も見うけられますし、

歴史的にも多くの宗教は似たようなことをしてきていますが、

それは、

個人と神様との仲立ちの範囲の中なのか?

と考えるわけです。

シンプルに言えば、

お金で、個人と神様との仲立ちしますよ、って話ですから、
それってどうなの?

という事ですね。

しかも、沢山出せば、それだけ神様に喜ばれるとか、
近づけるとか。

神様ってお金で、人への対応が変わるような存在だ
と言っているように見える
ので、

それって、どうなの?

ってことです。

その神様は、少なくとも根源なる神様とは違うでしょうし。

そもそも、根源なる神様は、人の世界に介入してくることは無いはずです。

見ているだけで、手出しはしないでしょう。

なら、
人に干渉してくる神様って、なんなの?

と、疑問に思えるわけです。

と、そのように、
宗教への信仰は、現状では、仲立ちという範囲を逸脱している
と思われることが多いので、

私は、宗教を信仰はしません。

大事なのは、根源なる神様にたいしての信仰だと思うので。

そして、
根源なる神様に対しての信仰に、
仲立ちが必要だとも思えないのです。

なので、
私の信仰や宗教への考え方は、

信仰や信心は肯定的だし、根源なる神様に対しての信仰は有益で必要な物

宗教は、仲立ちとしての範囲までなら有益な場合があるので
範囲無いなら肯定的。
しかし範囲を超えるものは有害になりかねないので、疑問あり。

私的には、宗教は不要で、
信仰は持っている。

という感じです。

あくまでも、これは私の考え方を、
参考になれば、と書いたモノで、

こういったことは個人的でとても、ナイーブなものなので、
他者の考えを否定するつもりはありません。

宗教を信仰している人を、否定するつもりはありませんし、
無神論者を否定するつもりはありません。

それはその人の自由な選択なのですから。

ただ、
私自身は、宗教を信仰することはないし、
無神論ではなく、神様を実感している人間なので、

その実感出来る神様と、仲良くしていこう。
と考えている、ということなのです。


今後、人間と神様との関係は、変わると思います。

これまでは、宗教を仲立ちにしなければ、
個人が神様と繋がれなかったのでしょう。

なにより、救世主という存在が、
仲立ち、仲介者ですから。

しかし、今後は、そういう仲介者無しで、
個人と神様が繋がれるようになるのではないでしょうか?

だから、
巷で、神様という概念が、ありふれてきたのでしょう。

近くになってきたから、
それを感じたクリエイターが、

それを作品にしているのでしょう。

神様は、潜在意識に働きかけますからね。

この混沌とした世界が、この先で、どうなるのか?

は、分かりませんが、
少なくとも、

個人と神様との関係は、これまでよりも近くなる
のだろう。

と思います。

そうなると、どういう事が起こるのか?
人生にどう影響してくるのか?

気になると思いますので、
それを、次回にお話ししようと思います。

お楽しみにどうぞ!



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