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たとえレスポールがなくても…
何かを通じて、実はそうだったのかと気づくことがある。
誰かに指摘されて、本を読んで、テレビを見て…。
その気づき方はさまざまである。
わたしは、最近ある曲を聴いて、自分の悩み、我慢してきた感情に気づくことがあった。
それは、中学2年生から付き合いのあるバンド、ミスチルの曲である。
毎年コンサートに行く、CDが出たら必ず買うというようなファンではない。
ただ、何かあるときにはいつも彼らの音楽がそこにあった。
4月のはじめ、朝早く起きて家を出てぶらぶら音楽を聴きながら散歩していた。曲はランダムに再生されていた…。
そこで、この曲が流れた。
その瞬間震えが止まらず、泣いてしまった。いや、泣くというより嗚咽していた。
~歌いだし~
立ち止まったら そこで何か
終わってしまうって走り続けた
でも歩道橋の上 きらめく星々は
宇宙の大きさでそれを笑っていた
わたしは、なぜか分からないけど、こうあらねばみたいな観念に縛られていた。独り身ではないので、家族のためにこうしないといけないとか。せっかく就いた仕事も軌道に乗せてやっていかないととか…。
うまくいかないことが日々自分の身に降りかかってきても、持ち前の明るさと、好きを原動力になんとかやり過ごしてきた。いつも何かでネジを巻いて、前進し続けていた。でも、それが急にできなくなった。
診断は誰かがしてくれる。名前が付けば、安心することもあるが、実は深いところで自分の悲しみに蓋をしていた。
だから、この歌いだしを聞いたとき、感情が溢れた。
~2番のサビ~
「遠い町で暮らしたら違う僕に会えるかな?」
頭を掠める現実逃避
さぁ叫べ Les Paulよ
いじけた思考を砕け
新しい「欲しい」までもうすぐ
自分の環境を変えることが現実的に難しいことがある。(ただ、それも自由な発想で変えられることがあるのかもしれない…)
その中で、今の状況をすべて捨てて自分を知らない土地で生活をしたらどうなるのだろうと空想するときがあった。
(自分の場合は、それがなぜか東北の地だった。)
そして、この現実逃避に対して出てくるレスポール。
レスポールを弾いて音を放つ自分を妄想した。
数日後、レスポールを探しに楽器屋へ行った。
あいにく、某漫画の影響で店頭にレスポールはなかった…。
(買ったとしてもギターを弾くことはできないが。)
たとえ、レスポールが弾けなくても。
たとえ、レスポールが手に入らなくても。
きっとできることがある。
そう信じて、自らのレスポールを奏でたい。
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