メシマズ東京育ちがいかにタコスに目覚めたか【佐藤自己紹介②】


前回は、調理担当の佐藤の自己紹介をお送りしました。今回は、私佐藤と料理との出会いについてお送りいたします。
そんな風に始まった我々のタコス計画ですが、なぜ私が調理担当になったのでしょうか。それはメンバーの中で最も料理に関心と情熱があったからでした。
次はそんな私と料理の歴史をご紹介します。私は初めにも述べたように、東京生まれ東京育ちです。東京の食卓に並ぶ食材たちは基本的に他県から輸入されており、新鮮な食材と無縁の食材貧困県です。加えて、料理のレベルは関西や九州などの西日本に遠く及ばず、美味しくない料理店が淘汰されにくいメシマズ県です。
これは全国から人が集まることの弊害で、味覚が全国の平均である上に、誰も郷里のレベルを期待しません。また人口が多く流動的なために多少美味しくなくても誰かが常に利用してくれるので潰れないのです。
そんな食の貧困県東京にあって、食への情熱を持てたのは全くの偶然でした。まず両親が食へのこだわりが強く、両親ともに料理に感動を求めて探求していました。基本であるお米は鍋炊き、みそ汁は鰹節を毎回削って作っていました。また、母は関西や韓国の食、父は九州や東南アジアの食を経験しており、それぞれの本物の味、
その要となる食材や調味料に関して良く知っていました。そんな家庭で経験した食は必然的に多様で強い魅力を放っていました。やがて、自ら食を求めて外へ繰り出すようになりました。先ほど、東京は料理のレベルが低いと言いましたが、それでも東京は全国、世界から人が集まるだけあって多様で美味しい料理屋も存在しました。
そんな東京で食のロシアンルーレットに挑み続けたことで、中華、韓国、東南アジア、南アジアなど多様な食に触れ、それぞれの魅力を感じることができました。同じ食材でも、料理が違うだけで、魅力の引き出され方が全く違いました。タイ料理などの五味の重層性によって際立つ魅力、インド料理などの香りの複雑さが引き出す魅力、
中華が閉じ込める食材それぞれの魅力。そんななかでもメキシコ料理は、味付け、香りづけ、加熱などのバランスが良く、食材そのものが互いの魅力を引き出すように構成されており、非常に洗練された料理でした。
そんなこんなで高められた食への関心はやがて、自分で作ることへと発展していきました。はじめはホットケーキやスコーンといったシンプルなものから始まり、次第に、チャーハン、親子丼などの主食、さらに
スパイスカレー、ラムローストなど多様な文化の食へと発展していきました。私がその中で気づいた最も大切なことは、食材の特徴を生かす調理で最も美味しい料理ができることでした。これは裏を返せば食材の質によって料理の上限が決まってしまうということです。
新鮮で高品質な食材が多い秋田・鹿角、食材の魅力が発揮されやすいメキシコ料理の出会いはもはや必然でした。特に野菜が育つ内陸の鹿角と、野菜が要となることの多いメキシコ料理の親和性は抜群です。
こうして私は東京から遠く離れた鹿角の地で、これまた遠く離れたメキシコの料理を作ることになったのでした。

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