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私たちの”普通”は戻ってこない


 「この1、2ヶ月の辛抱だ」
 「緊急事態宣言が解けたら、街に出て、いま我慢しているあれやこれを思う存分楽しもう」

 こう思っている人には、耳の痛い話をしなければなりません。
 まず、いま私たちが経験しているこの未曾有のパンデミックは、1、2ヶ月で終息するものではありません。早くても1年、長く見て2、3年はかかるでしょう。
 そして、その長い異常事態を抜けたあと、世界の景色は大きく変化しているでしょう。私たちがこれまで当たり前にしてきた生活のあらゆる側面 ―働き方、学び方、余暇の過ごし方、経済・政治のあり方― は、コロナ・ショックの終息後、大きく姿を変えているに違いありません。私たちは、その急激な変化を観察し、変化した社会に備えつつ、この困難な時期を乗り越えていかなければなりません。


 今は、誰もが目の前のことで手一杯かもしれません。私も、ここ数週間はずっとコロナ対応に手を焼いています。それでも、時代を俯瞰して、先のことを見据えて、これからの社会がどうなるのかを考えなければならないと思いました。余裕がない中でも、時間を割いて未来のことを考え整理しなければならないと思い、筆を執りました。先の見通しがあってこそ、正しく危機に対処できます。この長い戦いを共に乗り越えていくために、ぜひ読んでいただけると幸いです。

・数ヶ月では終息しない

 まず、コロナ・ショックは長期戦になるという話から始めます。終息には早くとも1年、長くて数年を要すると見られます。
 過去のパンデミックの例を見てみましょう。1918年から1920年にかけて世界的に大流行したスペイン風邪(インフルエンザ)は、全世界での終息に2年を要しました。日本でも1918年8月から翌1919年7月にかけての1年間で国内で約2100万人以上の感染者を出した後、勢いが収まったかに見えました。しかし再び人々が外出しはじめると第二波が襲い、次の1年で新たに240万人が感染しました。
 米ハーバード大学の研究チームは、完全終息は早くて2022年を待たなければならなず、その間、継続的な外出自粛が必要であるという発表を出しています(4/14)。4月9日に7都府県で発令された緊急事態宣言は、5月6日までを期間として定めていますが、仮に5月6日で外出自粛の禁を解いて再び大勢が街に繰り出したとすれば、感染者数の増加は再びぶり返すでしょう。

 大規模感染症の終息は、次の2つのいずれかでしか達成されません。
 1つは、集団免疫の獲得です。集団免疫の獲得とは、コミュニティのほぼ全員が病原菌に晒され、ほぼ全員が病原菌への抗体を得ることです。
 もう1つは、ワクチン・治療薬の開発です。ワクチンによって人々が後天的に抵抗力を得たり、治療薬によって致死率が下がったり、治療が容易になることによって終息する場合もあります。
 感染症終息の例を2つ挙げましょう。


 1つ目は、大西洋の孤島・フェロー諸島での例です。この地域では、1846年にヨーロッパ船によってもたらされた麻疹(はしか)が大流行しました。初の症例から3ヶ月のうちに8000人の島民ほとんどに感染しましたが、その後、麻疹の感染者はぱったりと消えました。3ヶ月のうちに島民の全員が麻疹に感染し、死亡するか、回復して抗体を得たため、以降麻疹は完全にフェロー諸島から姿を消しました。これは、集団免疫の獲得によって終息した例です。


 2つ目の例は、ヨーロッパでの天然痘です。中世のヨーロッパはたび重なる天然痘のアウトブレイクを経験しましたが、その度に生き延びた人たちが子をつくり、天然痘に抵抗力のある遺伝子を持つ人口が増え、社会全体での抵抗力を高めました。この過程には10世紀以上の時間がかかっています。しかし、それでも大陸中のすべての人口が抗体を持つことはできません。この後にも天然痘は社会に潜伏し続け、感染者・死亡者を出し続けていました。天然痘の完全な撲滅は、20世紀後半のワクチンの開発を待たねばなりませんでした。これは、集団免疫によって勢いを押さえ、ワクチンによって根絶された感染症の例です。


 フェロー諸島は、絶海の孤島で、人口も8千人程度しかいない小さなコミュニティであったために、3ヶ月という期間(それでも3ヶ月もかかっている!)で集団免疫を獲得し、感染を抑え込むことができました。天然痘の場合は、ヨーロッパがすでに人口の稠密な社会であったために、集団免疫のみでの抑え込みには数世紀の時間が必要でした。


 いま、我々が生きている21世紀の社会は、70億人が高度な交通技術でつながっている巨大なコミュニティです。さらに、世界中の人たちが外出を避け、ウィルスとの接触機会を減らすよう努力しています。この状況で、すべての人口がウィルスに接触し、抗体を得るには、いったいどれだけの時間がかかるでしょうか。このため、コロナ・ショックのもっとも早い終息は、ワクチン・治療薬の開発と実用化にかかっていると言っていいでしょう。いま世界中の製薬会社や医療研究機関が開発を急いでいますが、薬やワクチンを実用化するためには、入念な臨床実験を繰り返して人体への害や副作用が少ないことを証明しなければなりません。向こう数ヶ月でワクチンが実用化しているという見方は楽観的すぎると言わざるを得ません。最も早くても半年、長くて数年は、継続的あるいは断続的な外出自粛が続くと考えるべきでしょう。

・私たちの”普通”は戻ってこない

 コロナ・ショックが終息した後、私たちが見慣れた日常の当たり前が戻ってくることは、期待しない方がよいでしょう。あるいは、コロナショック前の世界を思い出せないほどに変化に慣れきってしまって、以前の当たり前が戻ることを期待すらしないかもしれません。
 前章で、コロナショックは半年から数年に及ぶ長期戦になるだろうという話をお伝えしました。
 事態が長引けば、異常の「常態化」が起こります。

 たった一ヶ月程度の非常事態であれば、人々は、
「短い間の辛抱だ」
と考え、異常事態は異常事態のまま終わるでしょう。
 
 しかし、異常事態が長期に及べば、人は次第に異常事態に慣れ始め、それ以前の普通の状態を思い出せなくなります。人は数ヶ月も”異常事態”を続けることはできません。”異常事態”でも、数ヶ月も続けばそれが当たり前に変わってしまいます。得られないものを欲しいと思い続けるのはしんどいことなので、「やっぱり直接会って仕事したい」「外で遊びたい」と言っていてる人たちも、この状態に慣れていかざるを得ないでしょう。

 社会の様々な面で「常態化」の兆しはすでに見え始めています。多くのリモートワーカーやその雇用者たちは、在宅でも十分に仕事ができることに気づいてしまいました。かれらは、すでにデスクやイスなどを新調して在宅勤務の環境を整え始めています。通勤ラッシュのない働き方を覚えてしまった人たちが、終息後に果たして職場に通おうと思うでしょうか。むろん直接会うことは重要であり続けるとしても、「会社に働きに出るのが当たり前」から「家でも働けるが、必要があれば会いに行く」という風に、そもそもの前提が変わってしまっているでしょう。日本の商習慣の中で亡霊のように生き続けてきたハンコの文化も、この変化の中で消えようとしています。

 教育の場も大きく変化しているでしょう。多くの大学で4月からの授業がオンラインになりました。従来の講義型の授業では、学生たちは自宅でのオンライン受講の方が快適で集中できることに気付きました。自宅で講義を受けられることを覚えてしまった学生が、終息後、わざわざ教室に足を運ぶ授業とはどんな授業でしょうか。当然、教室で提供される教育の価値は大きく変わるでしょう。以前から注目を浴びていた反転授業やアクティブ・ラーニングの導入が一気に進む可能性もあります。

 経済も大きな変化を余儀なくされます。
 いま、各国政府が大規模な財政出動を行い、国民に一律な現金給付を行おうとしています。安倍政権も一人あたり10万円の支給を発表しました(4/18)。しかし、この事態が半年以上に及ぶとなれば、休職・失業・廃業に追い込まれた人たちは、たった一度の10万円で食いつなぐことはできません。コロナショックの期間、現金給付が繰り返されるとしたら、期せずして実質的なベーシックインカム*経済に移行する可能性があります。そうでなくとも、長期にわたるパンデミックは多くの事業者を淘汰していきます。コロナショック明けの商店街は、まるで見覚えのない景色になっているでしょう。

 ここまでの話を大袈裟なデマだと思われるかもしれません。しかし、歴史を振り返ると、パンデミックは頻繁に社会の変化を加速させてきました。19世紀の英国では3度のコレラのアウトブレイクによって、ロンドンを中心に2万人以上の死者が出ました。コレラの感染源が未処理の汚水であることが判明すると、ロンドン市当局は下水処理設備に投資し、近代的な下水処理システムを作り上げました。それまで、公衆衛生の改善は政府の仕事とは見なされていませんでした。このコレラのアウトブレイクを受けて行政はその重要性を認識し、公衆衛生は今では行政の担うべき重要な仕事の1つになっています。

 『サピエンス全史』『ホモ・デウス』の著者で歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏は言います。


 「今まさに歴史が加速している。向こう2,3ヶ月で、我々は社会を根本から変えてしまうような社会的・政治的な実験を行っていくだろう」


 私たちは今、かつてないほど大きな社会の変化を経験しようとしています。すでに社会が内包していた変化の種が、コロナショックによって一気に芽吹き始めています。
「1、2ヶ月の辛抱で、以前の生活に戻れる」
と期待すべきではありません。コロナが終息しても、これまでの”普通”は戻ってこない。その前提で、私たちの人生設計や事業計画を考えていかなければなりません。


・それでもソーシャル・ディスタンス(Social Distancing)は必須


 途中、「皆が外出を控えているために集団免疫の獲得に時間がかかっている」とお話しました。それでも外出自粛とソーシャル・ディスタンスは必須です。理由は次の2つです。
①医療崩壊を回避するため
②ウィルスの強毒化を防ぐため

 ①医療崩壊を回避するため
 理由の1つ目は、ソーシャル・ディスタンスの徹底によって短期間での爆発的な感染拡大を避けることで、医療現場の負担を減らすことができるからです。
 医師や看護師のキャパシティには限りがあります。病床も無限にあるわけではありません。医療機関が一時に対応できる患者の数には上限があるため、感染者数が爆発的に増えると、医療現場が対応しきれなくなり、救えたはずの命も救えなくなってしまいます。社会的距離の確保や外出自粛を心がけ、感染拡大の速度をゆるやかにすることが、多くの命を守ることにつながります。

 ②ウィルスの強毒化を防ぐため
 もう1つの理由は、感染拡大の速度が大きいと、ウィルスが強毒化し、致死率が上がる恐れがあるからです。
 ウィルスも生命なので、自然淘汰による進化圧を受けて性質を変えていきます。ウィルスが生存し広まっていくためには、宿主を殺してしまう前に新たに1人以上に感染しなければなりません。人口が密集していて接触が多ければ、ウィルスは新たな感染対象を短い期間で容易に見つけることができるため、宿主を早く殺してしまっても十分に生存し広まっていくことができます。つまり、人の接触が多ければ、ウィルスは致死性を高めるような進化圧を受けることになります。
 致死率の高い集団感染症の出現は、農耕の開始と時期を同じくしますが、その理由の1つはここにあります。人口の規模も密度も小さい狩猟採集民の社会で病原菌が生き延びようと思えば、次の感染者を見つけるまで宿主には長生きしてもらわなければなりません。このため致死率が低くなるような進化圧を受けます。しかし農耕によって人口の規模も密度も大きくなると、病原菌は次の感染者をすぐに見つけることができるため、宿主に早く死なれても問題なくなり、結果として致死率の高い感染症に変異していきます。
 つまり、ソーシャル・ディスタンスを徹底して人と人との接触を避けることで、ウィルスの致死率を下げ、多くの命を守ることができるのです。

 そもそも、ソーシャル・ディスタンスは終息を目的としたものではありません。上でも述べたように、終息はワクチン開発を待たなければなりません。ソーシャル・ディスタンスの目的は、ワクチン完成までの間の犠牲者の数を減らすことにあります。


・私たちにできること

 この未曾有の危機に際して私たちに求められるのは、①社会の変化を予測する想像力と、②正しい知識にもとづいた配慮ある行動です。

 ①社会の変化を予測する想像力
 繰り返し述べているとおり、終息後にコロナショック以前の世界の当たり前がそっくりそのまま戻ってくることはないでしょう。私たちに求められているのは、まず「もう以前の普通は戻ってこないかもしれない」と認識すること。そして、コロナが終息後の社会にどんな変化をもたらすのか、さまざまな知識や情報をもとに想像することです。私がこの記事の中で挙げた変化は、あくまで一部の予測にすぎません。実際には起きない変化もあるかもしれないし、もっと大きな変化が起きるかもしれません。100%正確な予測を出せる人はいません。大切なのは、「もとの生活が戻ってくる」と楽観せず、想像力を発揮し、変化に対して心理的・物理的に備えておくことです。

 ②正しい知識にもとづいた配慮ある行動
 いま、コロナショックに際して民主主義も危機に立たされています。感染拡大防止を口実に、政府が市民の監視を強化したり、権限を拡張したりする可能性があるからです。実際、ハンガリーでは、コロナ対応という名目で首相の権限が大幅に強化され、議会の承認なしに非常事態宣言を無期限に延長できるようになりました。実質的な独裁と呼ぶべき政治的状況が生まれています。


 民主主義を守るために必要なのは、市民一人一人の良識と配慮に基づいた行動です。
 SNS上では市民の配慮に欠ける行動が頻繁に見られます。緊急事態宣言が発令されてパチンコ屋が閉まったから、他県のパチンコ屋に外出する。熱が出て会社から自宅待機を命じられたから、沖縄に旅行する。こうした知性と配慮を欠いた行動が増えれば、政府は感染拡大防止のために市民の監視と政府権限の強化を考え始めるかもしれません。事実、イスラエルでは、感染拡大防止のために最先端の監視システムが運用されています。感染者の携帯番号が保健省から警察に送られると、警察は、感染者の過去の位置情報から接触者を割り出し、必要とあれば接触者を隔離することができます。


 福沢諭吉は『学問のすゝめ』の中で、次の意味のことを述べました。
「社会が立派に独立するためには、まず市民一人ひとりが自立しなければならない」
コロナショック後も民主主義が保たれ、よりよい社会に変わっているためには、市民一人一人の配慮ある行動が不可欠です。たとえば、スーパーマーケットに来る市民にアルコール消毒をさせるために、以下のどちらの方法を取るのが望ましいでしょうか。
①入り口に監視員を配備して消毒しなかった者を罰する
②知識と配慮にもとづいて、市民一人一人が自発的に消毒を行う
どちらのほうが効率が良く住みやすい社会であるかは明らかです。市民一人一人が正しい情報をもとに分別のある行動を取ることで、民主主義社会の基盤である自由と権利を守ることができるのです。

 本当につらい、大変な時期です。終息後にどんな社会になっているのかは、私たちの選択と行動次第です。後に今を振り返って「大変なこともたくさんあったけど、コロナの後から社会が良くなってきたなあ」と思えるよう、先の未来に少しでも希望と展望を持って、この危機をともに乗り切っていきましょう。
 

参考
・NHK『緊急対談 パンデミックが変える世界』
・ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』
・https://en.wikipedia.org/wiki/Smallpox (4/18閲覧)
・https://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_flu (4/18閲覧)

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