『また。』

「また。」という言葉は、私は愛でもあり、裏切りでもあると思う。

私はこれまでの人生を生きてる中で、「また」は無い事の方が多かった。

なのに、世の中には「また」を軽々しく吐く人が多すぎるので、とても悲しくなる。

確かに、信じたい『また』。

『また』があるのは、そこに『愛』があるからと言うのを否定しない。

でも、またっていつなのか??

世の中には、またが無い事の方が多い。

また今度、あの店に行こうねと言っていたら、次に行くまでに潰れていたり、火事でお店が無くなっているなんてことがある。

また会おうねって言って、次がなくて、親しい好きな方が亡くなってしまったこともある。

また、次回参加するので誘ってくださいね。と社交辞令で言われても、同じイベントで同じ内容で、同じ参加者のイベントは二度とない。

「また」なんて、言葉が無くなってしまえば良いと何度も思ったことがある。この世に「また」なんて、本当は無いに等しいのに。

でも、「また」を使いたくなるのは、願望と甘えだ。

「また」は「信用」だと考えている人が、物凄い多いと私は思っている。

私は、そこに違和感を感じる。

「また、そこに同じものがある。」「また、その人に会える。」

それは、そこに同じものがあり続け、その人が元気で生き続けている信用の証なのか?

私は、そんなのは本当の『愛』ではないと思っています。

信じられる人が愛する人なのでしょうか?

私は、ちょっと違うと思ってます。

私は、これが本当に最後なのだと、毎回毎回、真剣勝負で次は無いという覚悟で一緒に過ごせる人が「愛する人」だと思っている。

それが、本当に相手を大切にするって事だと思う。

だから、私は「また」という言葉の響きが嫌いだ。

「また」は実はない。

常に、今が最初で最後。

だからこそ、後悔ない「今」を全力で生きるんだ。

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