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アイヌ語オンリーの集まりに潜入!?

危機言語サミット(前回記事参照)を通して、アイヌ語に興味を持った私は、北海道沙流郡平取町の二風谷地区でアイヌ語学習が盛んだと聞き、その様子を学ぶため、2015年2月に北海道へと向かった。

二風谷にはアイヌ語教室があり、一般向けと子供の部の二つの活動がされている。
このアイヌ語教室だが、歴史は長い。アイヌ民族初の国会議員となった萱野茂さんが1983年にスタートした二風谷アイヌ語塾が前身だ。かれこれ40年近くの歴史があり、ここで学んだ卒業生は各地でアイヌ文化の担い手として活躍している。

講師を務めている方に見学を申し出たところ、快く受け入れてくださった。
一般向けは、通称「プレハブ」と呼ばれるアットゥシ織りの職人の方の作業場で定期的に開催されているとのことだ。

「イランカラプテ!」夜になると、仕事終わりの様子の大人たちが続々と集まってくる。世代や性別はバラバラだ。
講師を囲んではじまったのは完全アイヌ語のみ使用可能な授業だった。

これまで学んだ単語を使いながら、身振り手振りを交えて会話をする。そして新しい単語を毎回5つほど覚える。もちろん新しい単語の意味も日本語は用いず、アイヌ語と身振り手振りで伝えられる。

見学のはずだったのなが、私もいつのまにか一参加者と扱われており、他の方と同じように当てられる。
必死で何を言おうとしているのか推測し、コミュニケーションを取る。
冷や汗ものだが、なんとか回答することができた。

この方法は「テ・アタアランギ」という、ニュージーランドの先住民族マオリがマオリ語の復興運動の際に用いた学習法を参考に行われているものだ。
1979年に「テ・アタアランギ」がスタートしてから、約50,000人ものマオリ語を母語としない人々が、マオリ語で日常会話が問題なくできる実力を身につけてきましたといわれています。アイヌの方々も、先住民間の交流を通してこの手法を学び、導入しているのだ。

たしかにこの手法は効果的だ。短時間だがとにかく集中しなければついていけないため頭をつかう。この体験をしたのは2015年。この記事を書いているのは2020年だが、いまだに当時学んだ言葉を覚えている。

別の日には、イベントが開催されるとのことで地域のイベントホールに足を運んだ。そこでは「シシリムカアイヌ文化祭」が開催されていた。
シシリムカとは、アイヌの神話が数多く残る沙流川流域を指す言葉である。

イベントでは、老若男女が日々磨いたアイヌ舞踊を披露し、芸術作品が展示されていた。これだけ多くの人々がアイヌ文化を親しんでいるという事実に驚いた。また、アイヌの伝統的な生活環境を守るためのプロジェクト(植生を守る活動など)も発表されており、アイヌ文化が当然に息づく平取町の様子にただただ感心していた。

中でも特筆すべきは、二風谷アイヌ語教室子どもの部のメンバーたちによる発表だ。この日に向けて練習してきた踊りや歌を披露する。それを、親たちが嬉しそうに写真を撮っている。

当初、アイヌ文化は歌舞伎のような遠い存在だと思っていた。だが、ピアノやサッカーのように、ここでは身近で楽しめる習い事のようなものとして浸透している様子に、アイヌ文化が息づいていることを感じた。

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