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第3回/将来は、女性の自立支援をするコミュニティをつくりたい/LE THAOさん

こんにちは!
第3回は私が前職で就職活動のサポートをしたことがきっかけで友人になったタオさんです。
前職時代にはベトナム出張の際の通訳を紹介してくれたり、ベトナムで開催するイベントの集客を手伝ってくれたりと大変お世話になりました。
聡明でやる気に満ちた彼女のストーリーをぜひご一読ください。

LE THAOさん
1994年生まれ。ベトナム社会主義共和国バリア出身。地元の高校を卒業した後、ホーチミン市師範大学日本語専攻(在学中、1年間神戸大学に交換留学)-つくば大学大学院-株式会社大和総研-日本タタ・コンサルタンシ・サービシズ株式会社

ーーーご出身のバリアとはどのような場所ですか?

ホーチミン市から100キロほど離れた小さな普通の街です。神戸と規模は同じくらいですが、もちろん神戸ほどおしゃれじゃないです(笑)海が近いので海産物が有名です。バリアが含まれるブンタウ省は観光地として有名で、特に海がきれいなことで知られています。海から採取される石油資源でも潤っています。

ーーーどんなこどもだったんですか?

勉強が好きで、遊びも好きな子どもでした。よく他人からも真面目と言われていました。遊びは、バスケットボールなどのスポーツしたり、近くにある山に登ったり、海の景色を見たり(泳げないけど笑)していました。一人で行動するのではなく、いつも誰かと一緒にいるタイプでした。成績はそれなりによく、高校は比較的地域で知られている進学校で、勉強を頑張りました。高校には部活とかなく、四季のイベントとしてキャンプや各クラスで演劇を出し物としてやったり、スポーツ大会などに参加したりしていました。

ーーーなぜ大学で日本語専攻を選んだのですか?

実は、英語学部にもともと入る予定だったのですが、不合格になってしまいました。でも言語が好きだったので、英語の先生から日本語を勧められ、日本語専攻を考えるようになりました。日系企業の進出が増えているので、日本語をを身につけることができればメリットがあると思いましたし、日本のアニメや商品が周囲に増えていたので親近感がありました。

大学に入って初めて日本語の勉強を始めたんですが、意外とすんなりできるようになりました。でも、大学だけでなく塾など日本人の先生から直接学べる機会を作るようにしていました。また、日本の文部科学省がやっている1年間の奨学金を貰って日本の大学に交換留学できるプログラムがあって、3年生の時にそれを応募したところ合格しました。正直自分は合格するとは思っていなかったです。そこで、当初は自分の先輩がいた大阪大学やつくば大学への留学を考えていたんですが、友人も多くそれらの大学を選択していたので、せっかく留学するならベトナム人から離れようと思って神戸大学にしました。

交換留学中は、大阪や京都、広島や沖縄まで旅行したり、国際交流のサークル活動に参加したりと、充実した1年間を過ごしました。1番良かったのは、自分のプログラムは最後に研究内容をまとめた小論文を書かないといけない(単なる交換留学ではなかった)ので、その小論文を大学院入試の際に自身の研究実績としてアピールすることができたことです。

ベトナムでは女性は結婚して子どもがいても仕事を続けていますが、日本で専業主婦に多く出会ってなぜ辞めてしまうのかと興味を持ち、日本人女性の心理の研究をしました。当初、日本人が核家族で、子どもができても育てる際にめんどうを見てくれる人がいないから辞めてしまうのではという仮説をもっていました。でも、インタビューする中で、子育ては今しかできないので集中したいという考えの人もいて、興味深く感じました。だが、あくまで経済的に余裕がある夫がいることが専業主婦を行う前提だと感じました。

ーーーつくば大学への大学院への進学はどんなきっかけがありましたか?

日本の観光業界の企業からオファーをいただいていたのですが、交換留学から帰国した後は、ベトナムで働くことを検討していました。ですが、つくば大学大学院へ進学する日本語学部卒業生向けプログラムを大学の教授から紹介され、進学を考えるようになりました。外国籍の人は、大学院に入学する前に1年間準備コースに通学して、研究生として研究に耐えうる日本語の力などを磨くルールがあり、そのコースでの年度末試験に合格しないと研究生の期間がどんどん増えていきます。ですが、このプログラムでは日本語学部卒業生であることを条件にその準備コースを免除していたので、とてもいいと感じました。また、交換留学は関西だったので、関東に住んでみたかったし、せっかく日本に行くなら就職もしたいので、関東にあるつくば大学がいいなとも思いました。

つくば大学では、いくつかの講座を受けながら自分の研究をして論文を書きました。自分は、国際日本研究という日本の政治経済全般を対象とする勉強をしており、論文では、様々な商品の原産国がベトナムの消費者の購買意欲に与える影響を分析しました。例えば、日本製はデジタル製品やバイク、テレビなどで購買意欲にポジティブな影響を与えますが、化粧品だと韓国製の方がその影響は大きかったです。その背景も探っていきました。

留学中、もっと地元の方、地域の方と仲良くなれる機会があったらいいなと感じました。自分は積極的に飛び込んでいく性格だったので、それなりにつながりを作ることができましたが、やはり地元の方しか知らない情報が存在していて、なかなかその情報にアクセスすることが難しかったので、そこはちょっと残念でした。就職したいまも同じ想いです。

ーーー大学院を卒業後、日本の企業に就職されましたが、どのように就職先を選択していきましたか?

日本で働こうと思ったのは、大学院に入って半年くらいの時期でした。ちょうど先輩たちが就職活動をする様子を見ながら、日本で働きたいという気持ちが出てきたのです。母国に帰る選択肢はなく、せっかくだからぜひ日本で働きたいと思うようになりました。ですが、あまり日本の就職活動事情がよく分かっていなくて、インターンシップやイベントにたくさん出るようにして、いろいろな情報を得ながら自分の就職活動の軸をブラッシュアップしていきました。やっていくうちにだんだんわかってきたのですが、やはり情報不足には苦しみました。探すのはとても時間がかかります。そう時に、同世代とのつながりや、同じ経験をした先輩たちと出会えたらもっと早く行動することができ、いろいろやりやすかったと思います。例えば、就職活動の時のグループディスカッションはどうしたらいいのか、練習したいけどどうしよう、と困りましたが、情報はインターネットにしか載っておらず不十分でした。

最終的には、これから成長していく業界で働きたいということで情報通信分野の企業に絞っていきました。株式会社大和総研を選んだのは、希望業界であったことと、社員の人柄の良さや、給与が他の内定先企業よりも良かったことなどが理由です。就職してからは、システムを作るプロジェクトをよくやっていて、システムの一部について要件定義や構築、オフショアスタッフのマネジメントや保守点検をしていました。また、プロジェクトマネージャーの補佐業務や、お客さんにシステムを納品する前の検証なども担当していました。全く不満もなくすごく楽しく働いていたのですが、自分の将来を考えたときに、コンサルタントやソリューションアーキテクトとしての経験をもっと早く積みたいと考えました。もちろんいまの会社でも経験できなくはないのですが、そのポジションに到達するまでに時間がだいぶかかりそうだったので、すぐにチャレンジできる会社を探して転職しました。

ーーー最後に、これからやっていきたいこと、将来の目標など聞かせてください。

新しい会社でも最初はシステムエンジニアとして働くのですが、いまの会社よりも早くソリューションアーキテクトになれるキャリアパスがあるので、そこを目指して頑張りたいと思います。将来的には経済的に自立した上で、余裕を持って自分のやりたいことに力をいれたいと考えています。

やりたいことというのは、女性がもっと自立できるためのコミュニティを作ることです。まだふわっとしたアイデアですが、女性が結婚して子育てと両立するのは大変そうだと先輩をみて感じているので、みんなでチーム、コミュニティになって助け合うことができたらいいなと思っています。自分があったらいいなと思っているものを作る感覚です。そして、それが仕事になればいいなと思っています。場所はどこででもできると思うので、日本でやるかもしれないし、ベトナムでやるかもしれないし、それはまだ決まっていません。いまは自分の将来に向けて勉強中です。

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